第七十六話 銀に届くということ
銀ランク昇格試験、ついに開始です。
中央広場に着いたのは、まだ朝日が石畳の半分しか照らしていない時間だった。
それでも、人はもう溢れていた。
「うわ、こんなに並んでんのか」
受付の長机の前に伸びる列を見て、ガロンが呆れたように呟く。列の先頭は広場の反対側の噴水まで届いていて、最後尾がどこかはセレスの位置からは分からない。
「銀ランク試験は年に二回しかないから」ミュゼが列を数えながら言う。「今年受けられなかったら、また半年待ちだもんね」
セレスは列に並びながら、周りの声に耳を澄ませた。
「聞いたか、今年の受験者、三百人超えてるらしいぞ」
「で、実際に銀まで上がれるのは何人だ」
「去年は……確か十八人だったか」
十八人。三百人のうちの十八人。
その数字が、思っていたより重く響いた。
「随分厳しいのね」レイフィアが眉を寄せる。「私が受けた時は、もう少し楽だった気がするけど」
「レイフィアの時は受験者自体が少なかったんだよ」イリスが淡々と補足する。「今は無色が現れてから、無謀な希望者が増えた」
無色。セレスのことだ。
周りの視線が、ちらちらとこちらに刺さっている。銅ランクのくせに、と。あるいは、あれが噂の測定不能か、と。
「ま、いつも通りだな」
セレスは特に気にした様子もなく答えた。慣れた視線だ。
列がゆっくり進む中、受付の職員が声を張った。
「本年度の受験資格を再確認します!銀ランクとは――単独で、銀ランク相当の魔物である灼熱狼の群れ、最低三頭を退けられる実力!あるいは、銀ランク帯の護衛依頼を、単独で受けられる基準です!」
灼熱狼、三頭。銀ランク帯の依頼、単独。
周囲がざわつく。
「三頭って、俺、一頭でも危ないんだけど……」
「単独で銀ランク帯って、あれ普通は五人パーティーの仕事だろ」
その声に混じって、セレスは初めて、はっきりとした形で「銀」という言葉の重さを掴んだ気がした。今までは、ただ「上のランク」という響きだけだった。灼熱狼三頭、銀ランク帯の依頼を単独で――それが銀の物差しだ。
「……そういうことか」
ガロンが低く呟く。「俺があの依頼を受けた時、パーティー全員でも汗をかいた」
「レイフィアとイリスは、それを『単独』でやったってことだよね」ミュゼが少し声を落とす。
二人は、何も答えなかった。ただ、当然のことのように前を向いていた。
その時だった。
「――やはり、混んでいるな」
背後から、落ち着いた声。振り返らなくても分かる。
「アルトか」
濃い青髪を短く整えた男が、資料の束を小脇に抱えて立っていた。
「昨日の件、ギルドに報告は済ませた」アルトは列の外に立ち、姿勢を正して言う。「――何か、様子がおかしい。試験中も、気を抜くな」
「分かってる」
アルトはそう言うと、生真面目な様子で一度、姿勢を正した。誰も文句を言わない――言えない、というのが正しいか。彼の腕は、この場の誰もが知っている。
「――セレス」
その時、列の後ろから遠慮がちな声が届いた。ノアが、人混みをすり抜けるようにこちらへ駆けてくる。手には、小さな包みを抱えていた。
「ノア、来たのか」
「……見送りたくて」
ノアは小さな包みを差し出した。
「塩むすび。皆さんの分も」
「――全員分かよ」
ガロンが目を丸くして、それから照れくさそうに受け取る。レイフィアとイリスも、それぞれ短く礼を言って自分の分を受け取った。
ノアはそれから、セレスの袖を軽く引いた。
「セレス。危なくなったら、逃げてください」
「お前がそれを言うのか」
「言います。皆さんが、いなくなったら……」
言葉がそこで途切れた。セレスは少し迷って、それから、いつもより素直に頷いた。
「分かった。約束する」
ノアは念を押すようにセレスの目をじっと見て、それから、ようやく安心したように小さく頷いた。
やがて列が進み、セレスたちの番が回ってきた。受付の職員が、セレスの顔を見て一瞬、動きを止める。
「――無色判定の方、ですね。試験区分は……」
「銅から、正規に」
セレスが答えると、職員は少し驚いた顔をしたが、すぐに手続きを進めた。今年の受験者はセレス、ガロン、ミュゼの三人――既に銀ランクのレイフィアと金ランクのイリスは、あくまで付き添いの登録だ。
三人の登録を終えて列を離れると、広場の中央、一段高くなった台の上に、試験官らしい鎧姿の男が現れた。
「本年度、銀ランク昇格試験を開始する!課題は――」
男は一拍置いて、声を張った。
「【北の森、氾濫源における討伐指定任務】。三日以内に、指定区域の脅威を排除せよ。単独か、パーティーかは問わない――だが、評価は【個人】に対して下される」
どよめきの中、受験者の一人が声を上げた。
「単独で三頭、ってのが銀の基準じゃなかったのか!」
「それは『銀ランクとは何か』という定義の話だ」試験官が短く返す。「試験のやり方は別だ。仲間の力を借りてもいい。ただし、討伐した魔物には、とどめを刺した者の魔力の痕跡が残る。ギルドの鑑定術式で、誰がどこまでやったかは後から必ず割れる。楽をした者に、銀は出さない」
受験者たちの間に、微妙などよめきが広がった。誤魔化しは利かない、という事実が、今更のように重くのしかかったらしい。
男はそこで一拍置き、話題を変えるように声を落とした。
「――付け加えるが、氾濫源周辺では、ここ数日、見慣れない黒ローブの目撃報告が相次いでいる。魔物より厄介かもしれん、とだけ言っておく」
どよめきが広場を包む。
個人評価。つまり、パーティーで挑んでも、誰が何をしたかが問われる。
セレスは、隣に立つ仲間たちの顔を見渡した。ガロンは静かに頷き、ミュゼは少し緊張した顔で杖を握り、レイフィアとイリスは、これまでのどこか物足りなさそうな表情から一転、初めて何かに火が入ったような目をしていた。
「――面白くなってきたな」
アルトが、笑いながら剣の柄に手をかけた。
だがセレスは、隣のレイフィアとイリスの間に、一瞬だけ走った視線に気づいていた。今までは、五人でどう倒すかだけを考えていればよかった。だが今日からは、それだけでは済まないかもしれない――。
第七十六話「銀に届くということ」をお読みいただき、ありがとうございます。
個人評価という初めてのルールが、パーティーにどう影響するか。次話、いよいよ試験本番です。
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