第七十四話 倉庫の中の巡回者
噂になっていた「隠れ家」の調査に動きます。
「北の外れの噂、確かめに行かないか」
朝食の席で、セレスがそう切り出した。
「あの、隠れ家があるかもしれないって話?」
「ああ。噂だけで放っておくのは、危険な気がする」
イリスが、すぐに頷いた。
「賛成よ。銀ランク試験まで、まだ数日ある」
「私も、行く」
リンが、迷いなく手を挙げた。ノアは、今日も宿に残るらしい。洗濯物を畳みながら、静かに手を振って見送った。
「今回は無理するな。危なそうなら、すぐ戻るぞ」
「分かってる」
北区の外れへ向かう道すがら、ガロンが大剣を担ぎ直した。
「にしても、噂だけでよく動く気になったな」
「動かない理由がない」
「まあ、そうだが」
ガロンは、それ以上は言わなかった。
北区の外れは、王都の中でも人通りの少ない一角だった。朽ちかけた倉庫が並び、そのうちの一つに、確かに人の出入りした跡がある。
「ここね」
イリスが、扉の隙間から中を覗き込んだ。
「誰もいない、みたい」
慎重に押し開けると、埃をかぶった木箱がいくつも積まれていた。
「これ……」
ミュゼが、木箱の一つを開ける。中には、黒く濁った結晶の破片と、使い古された装備が乱雑に詰め込まれていた。
「拠点、で合ってそうね」
「もう撤収した後、か」
セレスが、床に残る轍を目でなぞる。
「リン、大丈夫か」
「……うん。ここは、知らない場所」
リンは、木箱の隙間を覗き込みながら答えた。
「知ってる場所じゃないのに、緊張する」
「無理はするなよ」
「してない。……ただ、こういう場所を見るたび、息が詰まる。それだけ」
正直な言葉だった。セレスは、それ以上は聞かなかった。
「レイフィア、何か分かるか」
「……この装備」
レイフィアが、装備の一つを手に取った。刻まれた紋章に、指を這わせる。
「見覚えがある。地下遺跡編の時、黒ローブが使ってたのと同じ型よ」
「銀仮面の、か」
その名前に、全員の顔が引き締まった。
「奴、まだどこかで動いてるってこと?」
ガロンが、低く唸る。
「分からない。でも、装備の型が同じってことは、繋がりがあってもおかしくない」
イリスが、さらに奥を調べる。壁の一角に、爪で引っかいたような跡が並んでいた。
「これ、文字……?」
「読めるか」
「一部だけ。……『上への報告、遅延中』」
短い沈黙が落ちた。
「報告先が、いる。しかも、まだ生きてる組織として動いてる」
セレスの言葉に、リンの手首が、無意識に押さえられた。
「大丈夫か」
「……何も感じない。ここには、もう何もいない、と思う」
言い終えるより早く、倉庫の外で砂利を踏む音がした。
一人ではない。複数の足音が、ゆっくりと近づいてくる。
「――隠れろ」
ガロンが、低く鋭く言った。全員が、積まれた木箱の陰に身を潜める。
戸口の隙間から、黒いローブの裾が二つ、通り過ぎるのが見えた。
「……ここも、片付けは済んでるはずだが」
くぐもった声が、外から漏れ聞こえる。
「念のための確認だ。上からの指示だからな」
足音が、倉庫の入口で一度止まった。心臓の音が、やけに大きく響く気がした。
「――特に、異状なし」
やがて、足音は離れていった。誰も、しばらく動けなかった。
「……行った、みたいね」
イリスが、押し殺した声で言う。
「奴ら、まだこの辺りを巡回してる。倉庫を『片付けた』のも、最近ってことだ」
セレスの声も、緊張を隠せていなかった。
「戻ろう。今度こそ、ここで長居する意味はない」
倉庫を出ると、外はすでに夕暮れだった。
「巡回してるってことは、まだ他にも同じような拠点があるはずよ」
イリスが、押し殺した声のまま言った。
「今の連中を、尾けたらまずいか」
「危険すぎるわ。数も分からない相手を、この人数で追う気?」
ガロンの言葉を、イリスが即座に切り捨てる。
「……だな。悪い」
「今日のところは、これで十分な収穫よ。銀仮面の装備、まだ生きてる組織、巡回してる見張り」
「お腹すいた……」
緊張が解けた途端、ミュゼが力なく呟いた。
「今それ?」
「今だからこそだよ。緊張すると、逆にお腹すくの」
「よく分からない理論だな」
「分かってよ! 帰ったら何か甘いもの食べたい……」
気の抜けたやり取りに、張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
「屋台、まだやってるかしら」
イリスが、夕暮れの通りに目をやる。
「行く!」
真っ先に反応したミュゼに、ガロンが呆れたように肩を揺らした。
宿へ戻る道すがら、セレスは手首の紋様に目を落とした。まだ、何の反応もない。だが、さっきの足音の記憶だけは、耳の奥に張り付いたまま消えなかった。
「ねえ」
ミュゼが、隣を歩くリンの顔を覗き込んだ。
「怖かった?」
「少し。……でも、みんなと一緒だったから」
短い答えに、ミュゼは満足そうに頷いた。
翌朝、宿にアルトが顔を出した。
「聞いたぞ、昨日の倉庫の件。俺も、調べを手伝う」
「ちょうどいい。銀仮面の男についても、心当たりがないか調べてほしい」
「銀仮面……。地下遺跡編の、あの」
アルトの表情が、ぐっと険しくなった。
「厄介な名前が出てきたな」
「厄介だからこそ、放っておけない」
セレスの言葉に、アルトは短く頷いた。それから、資料の束をテーブルに置く。
「ついでに、もう一つ。ギルドの記録を漁ってて、妙なものを見つけた」
「妙な、とは」
「巡回してた黒ローブの数、俺が把握してるだけで、この一週間で三倍に増えてる。何かに備えてるみたいにな」
食堂の空気が、一気に張り詰めた。
第七十四話「倉庫の中の巡回者」をお読みいただき、ありがとうございます。
長らく姿を見せていなかった銀仮面の男の影が、ようやく再浮上しました。見張りに気づかれかけるヒヤリとする場面と、黒ローブの数が急増しているという不穏な情報――次話以降、緊張感が増していきます。
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