第六十九話 守られる理由が分からない
廃坑から帰った翌朝の話です。
「……よし」
廃坑から戻った翌朝、リンは誰よりも早く起きていた。台所に立ち、誰もいないのを確かめてから、小さく気合を入れる。昨日、ガロンが朝食を作っていたのを、こっそり観察していたのだ。
だが、鍋を火にかけて十分も経たないうちに、部屋には焦げた匂いが充満していた。
「うわ、なにこれ……!」
真っ先に飛び込んできたミュゼが、鍋の中身を覗き込んで顔をしかめる。
「ご、ごめん。加減が、分からなくて」
リンは、しゅんと肩を落とした。そこへ、ガロンが眠そうな顔で現れる。鍋の惨状を一目見て、しばらく無言だった。
「……初めてにしては、上出来だ」
「絶対、慰めてる」
ミュゼの突っ込みに、ガロンは何も言い返さなかった。代わりに、無言で鍋を引き取り、手早く具材を足して立て直し始める。手つきに、迷いはなかった。
「私、足を引っ張っただけ」
「そうでもない。火加減の癖は分かった。次はもう少しうまくいく」
不器用な励ましだったが、リンは小さく頷いた。それでも、朝食が並んだ食卓で、彼女はどこか落ち着かない様子だった。
朝食の席では、ミュゼが早速、鍋の焦げ具合について熱弁を振るっていた。
「これくらいなら、まだ食べられるよ! 削れば大丈夫!」
「削るってレベルじゃないだろう、これ」
ガロンの突っ込みに、ミュゼはむっと頬を膨らませたが、結局は自分の分から率先して食べ始めた。
「こういう時こそ、甘いもので元気出さないと。今度、プリン作ってあげる」
「焦げてないやつ、期待してる」
「作るのは得意なの! 焦がすのはリンだけだから!」
「うっ……」
その様子に、リンは思わず口元を緩めた。
食後、片付けを手伝いながら、リンはぽつりとセレスに言った。
「昨日のこと、まだ、うまく飲み込めてない」
「廃坑でのことか」
「……あなたが、『渡さない』って言った時のこと」
リンは、皿を拭く手を止めた。
「今まで、誰かに何かを『してもらう』時は、必ず理由があった。使えるから。役に立つから。……ただで守られたことなんて、一度もなかった」
「今回は、違ったか」
「違った。だから、分からない。なんで、そこまでするの」
その問いは、責めるようなものではなかった。ただ純粋に、理解できないという顔だった。
セレスは、少し考えてから答えた。
「理由なんて、後付けでいくらでも作れる。仲間だから、とか、放っておけないから、とか」
「でも」
「本当のところは、多分もっと単純だ。お前がそこにいたから、守った。それだけだ」
リンは、しばらく黙っていた。皿を拭く手が、また動き出す。
「……分からない。でも、悪い気は、しない」
小さな声だったが、確かにそう言った。
片付けを終えた頃、二階からイリスが降りてきた。寝起きらしく、いつもより少し髪が乱れている。
「……何、この匂い」
「リンが、朝食に挑戦した」
「ああ、それで」
イリスは納得したように頷くと、焦げ跡の残る鍋をちらりと見て、目元だけで笑んだ。
「次は、私が教えましょうか。案外、得意なのよ」
「イリスが? 意外」
「失礼ね」
そんなやり取りを聞きながら、リンの頬が、自然と緩んだ。
遅れて起きてきたレイフィアが、鼻をひくつかせながら食堂に顔を出す。
「……何、この匂い。何かの実験?」
「リンの朝食」
「実験で合ってたわね」
「ひどい」
不服そうなリンの声に、食堂に小さな笑いが起きた。レイフィアは、焦げた鍋を一瞥すると、意外にも真面目な顔で言った。
「次、失敗しても気にしないことね。私も最初は、お湯すら沸かせなかったから」
「レイフィアが?」
「言っておくけど、今は違うわよ」
軽く睨みながらも、その口調はどこか優しかった。
その時、玄関の方から、慌ただしい足音が響いた。
「大変です!」
飛び込んできたのは、宿の女将だった。息を切らせている。
「北区で、火事です! しかも、普通の火事じゃないって話で……」
セレスとリンは、思わず顔を見合わせた。手首の紋様に、微かな熱がよぎった気がした。
穏やかな朝は、そこで終わりを告げた。
第六十九話「守られる理由が分からない」をお読みいただき、ありがとうございます。
守られることに戸惑うリンの心情と、束の間の日常を描きました。そして、新たな異変の予感で幕を閉じます。
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