第六十四話 見せられなかった金の証
イリスの過去に、もう一歩踏み込む回です。
そして、新たな脅威の広がりが判明します。
「……数字なんかより、どう生きるかが、大事」
街道から戻った夜、少女は食堂の隅で借りた本を読んでいた。ふと、その一節を口にする。
だが、その一言に、イリスの手が止まった。
「――今、何て」
声が、いつもより鋭かった。
「え……本に、書いてあった言葉」
「その言葉、昔、私に言った人がいたの。全く同じ言葉」
食堂が、静まり返った。
「……大丈夫か」
セレスの問いに、イリスはしばらく答えなかった。
「大丈夫、じゃない、かも」
らしくない、正直な言葉だった。
「あの人は、育ての親だった。無属性――無色判定を受けた私を、それでも育ててくれた人。数字なんかより、どう生きるかが大事だって、いつも言ってた」
言葉は、堰を切ったように溢れ出した。
「金ランクになった時、真っ先に報告したいと思った。でも、その少し前に、病気で逝ってしまった。結局、私の成長を、あの人に見せることはできなかった」
「それからずっと、思ってる。誰かに何かを見せたい、認めてほしいと思うたびに、また間に合わないんじゃないかって」
「今は、どう思ってる」
「分からない。……ただ、ガロンやミュゼが、当たり前みたいに背中を任せてくるのが、時々怖くて、時々――嬉しい」
そこまで話して、イリスは、ふっと自嘲するように笑った。
「情けない話よね。金ランクの剣士が」
「情けなくは、ない」
セレスは、はっきりと言った。
「怖いのに、隣にいるんだろう。それは、情けないこととは違う」
小さな沈黙の後、イリスの目元に、うっすらと涙が浮かんだ。
「あの人の名前は、まだ誰にも言ってない」
「言いたくなったら、言えばいい」
「……今度、言うわ。いつか」
そこへ、宿の扉が勢いよく開いた。
「――アルト?」
息を切らせて立っていたのは、アルトだった。
「悪い、遅い時間に。だが、聞いてくれ」
「どうした」
「今日、ギルドの調査部に鑑定を頼んだ鈴、覚えてるか」
その名前に、少女の肩が強張った。
「あれと同じ魔力の反応が、街の別の場所からも報告された。北区の外れ、廃棄された倉庫だ」
「別の場所……」
「一箇所じゃない、ってことだ。奴らは、街のあちこちに、同じ仕込みをしてる可能性がある」
食堂の空気が、一気に張り詰めた。
「明日、確認しに行く必要がある」
イリスが、涙の跡も拭わないまま、剣を引き寄せた。
「今夜のところは、休みましょう。……ありがとう、話を聞いてくれて」
セレスに向けたその言葉には、確かな温かさがあった。
窓の外の夜は深く、静かだった。だが、街のどこかに潜んでいるかもしれない仕掛けのことを思うと、その静けさは、今までとは違う重みを持っていた。
第六十四話「見せられなかった金の証」をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、まだ名もない少女の何気ない一言がイリスの心を不意打ちする、という形で過去に踏み込みました。人前で動揺する彼女の姿を、少しでも感じていただけたら嬉しいです。
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