第六十三話 誰もいない野営跡
街道調査編、続きます。
「……道、外れる」
街道を半日ほど進んだ頃、最初の異変に気づいたのはレイフィアだった。
彼女が指し示したのは、街道からわずかに逸れた獣道だった。踏み固められた跡が、明らかに人の手で作られたものだと分かる。
「商人の道じゃないわね」
イリスが屈み込み、地面の跡を確かめた。
「馬車の轍がない。歩いた跡だけ。それも、複数」
セレスは、手首に軽く触れた。紋様は、まだ静かなままだ。だが、何かがこの先にあるという確信めいた感覚だけは、拭えなかった。
「行ってみよう」
獣道を進むこと、四半刻ほど。木々は徐々に密になり、日差しが遮られて、辺りは薄暗くなっていった。落ち葉を踏む音だけが、やけに大きく響く。
「静かすぎるわね」
イリスが、ぽつりと呟いた。鳥の声すら聞こえない森の中を、四人は無言で進んでいく。
木々の間に、開けた場所が見えてきた。
そこは、野営の跡だった。
焚き火の跡が三つ。踏み荒らされた地面。だが、人の姿はどこにもない。
「……もぬけの殻ね」
イリスが、周囲を油断なく見回しながら言った。
ミュゼが、焚き火の跡にしゃがみ込む。
「これ、まだ新しい。昨日か、今朝か」
灰の中に、わずかに温もりの残る炭が混じっていた。慌てて立ち去った、というよりは、計画的に撤収したような跡だった。荷物らしきものはほとんど残されておらず、必要なものだけを持って、静かに消えたのだと分かる。
「黒ローブの連中の跡、か」
セレスの問いに、レイフィアが短く「そうね」とだけ返した。
「多分。この規模なら、五、六人ってところかしら」
野営跡の端、地面に何かが落ちていた。イリスがそれを拾い上げる。
小さな、金属片だった。黒く塗られた、鈴の一部のようにも見える。壊れたのか、それとも意図的に置いていったのか、判断はつかなかった。
「……あの子の紋様と、似た気配がする」
セレスが、それに手を伸ばしかけた瞬間だった。
手首の紋様が、初めて熱を帯びた。
「!」
「セレス?」
「……何でもない。少し、反応しただけだ」
だが、その反応は、これまでのものよりも強かった。まるで、この金属片そのものが、何かの合図であるかのように。
ミュゼが、心配そうにセレスの手首を覗き込む。
「大丈夫?無理しないで」
「平気だ。ただ――」
セレスは、金属片から少し距離を取った。
「これ、罠かもしれない」
イリスの手が、金属片を持ったまま止まった。
「探すよう仕向けられた、ということ?」
「分からない。だが、こんなにわかりやすく落ちてるのは、出来すぎてる気がする」
沈黙が落ちた。誰もが、同じ違和感を共有していた。
「回収は、しない方がいいわね」
イリスが、金属片をそっと元の場所に戻した。触れたことで既に何かが伝わってしまったかもしれないという不安を、誰も口にはしなかったが、確かにそこにあった。
「戻ろう。ここでこれ以上できることは、なさそうだ」
セレスの言葉に、三人は頷いた。来た道を戻りながら、レイフィアがぽつりと呟く。
「集団戦を覚悟してたんだけどね」
「肩透かし、か」
「ううん。……こういう静かな不気味さの方が、正直、苦手」
珍しく、彼女の声に本音が滲んでいた。
「今日はもう休もう。街道を戻る道中で、日が暮れる」
セレスの提案に、誰も異論はなかった。
だが、獣道を戻り始めてすぐ、空気が変わった。
木々の奥で、乾いた木材が軋むような音がした。
「――来る!」
イリスの声と同時に、闇の中から何かが飛び出した。
四足の姿をしていたが、獣ではなかった。朽ちた木材と獣の骨、砕けた武具の破片が、粗い縄と黒ずんだ樹脂で無理やり縫い合わされている。関節の代わりに、小さな結晶が継ぎ目にいくつも埋め込まれ、動くたびに軋んだ音を立てた。目はなく、額に空いた一つ目の穴から、冷たい風のようなものが漏れている。
「……作り物か」
セレスは短く呟いた。前へ出た瞬間、その構築物が地を蹴った。
一撃、二撃。骨で出来た鉤爪が空を裂く。セレスは剣で受け流しながら後退する。
三撃目、爪の先が頬をかすめた。
「イリス、右!」
「分かってる!」
イリスの剣が側面へ走るが、縫い合わされた武具の破片に阻まれ、浅い傷しかつけられない。金属と樹脂がぶつかる、耳障りな音が響いた。
「硬いわね……!」
構築物が向きを変え、今度はイリスへ鉤爪を振り上げる。イリスは身を沈めて躱したが、体勢を崩したまま後退を強いられた。
「なら、動きを止める!」
レイフィアが叫びながら地を蹴った。構築物の懐へ、低く滑り込むように潜り込む。細剣の切っ先が、継ぎ目の隙間、結晶の根元を正確に突いた。
軋んだ悲鳴のような音を立てて、構築物が体勢を崩す。その一瞬を、ミュゼが見逃さなかった。淡い光が地面を這うように広がり、四肢を縛った。
「今!」
紋様の熱が、腕を伝って刃へと流れ込む。セレスは、額の穴の奥――結晶の中心へ、刃を突き入れた。
軋んだ音を最後に、構築物は崩れ、朽ちた木片と骨の欠片となって地面に散らばった。額にあった結晶だけが、最後まで赤く明滅していたが、それもやがて静かに消えた。
荒い息のまま、誰もがしばらく動けなかった。
「……見張り用に、組み立てられたものね」
イリスが、崩れ落ちた残骸を見つめながら言った。
「私たちが野営跡に近づくのを、待ち構えてたんだと思う」
「なら、あの金属片も、やっぱり罠だったか」
セレスの言葉に、レイフィアが頷いた。
「多分。踏み込みすぎなくて、正解だったわね」
怪我人はいなかったが、誰の顔にも緊張の色が残っていた。
呼吸を整えながら、一行は再び歩き出した。
歩きながら、イリスが静かに口を開いた。
「向こうは、私たちが来ることを織り込んでる。多分、街道の噂も、わざと流したもの」
「誘い出された、ってことか」
「その可能性は、考えておいた方がいいわ」
物騒な推測だったが、誰も否定しなかった。これまでの黒幕のやり方を思えば、十分にあり得る話だった。
王都へ戻る足取りは、行きよりも重かった。何も起きなかったことが、かえって不安を膨らませていた。手首に残る熱の余韻を感じながら、セレスは何度も、あの金属片のことを思い返していた。
* * *
同じ頃、宿の一室では、ガロンが黙々と鍋の灰汁を掬っていた。
「……静かだな」
呟くと、部屋の隅で洗濯物を畳んでいたノアが、瞬きで応えた。
「静かな方が、いいです」
少女は、窓辺で膝を抱えたまま、じっと外を見つめていた。手首に、時折わずかな違和感が走る。遠くにいる誰かの紋様が、何かに反応しているような、そんな感覚だった。
「……何か、あったのかな」
「分からない。でも、大丈夫だと思う」
根拠のない言葉だったが、ノアの声には、不思議な落ち着きがあった。ガロンが、鍋から顔を上げずに言う。
「心配なら、腹に何か入れておけ。動揺してる時ほど、腹は減るもんだ」
無骨な気遣いだったが、少女は素直に頷いた。窓の外、王都の空はまだ明るい。だが、その明るさが、かえって落ち着かなさを煽っているようにも思えた。
一方、ギルドの一室では、アルトが調査資料の束と睨めっこをしていた。
「……この書き方、分かりにくいな」
誰に言うでもなく呟き、羊皮紙を睨みつける。北の街道の件は、彼なりに別角度から調べを進めているらしい。
通りかかった顔見知りの受付嬢が、思わず声をかけた。
「アルトさん、根詰めすぎじゃないですか」
「性分でな」
短く返し、アルトは資料をまとめ直す手を止めなかった。誰の手も借りず、自分のやり方で調べる。それが彼の流儀だった。
受付嬢は、その変化に気づいたのか、少しだけ表情を緩めて仕事に戻っていった。
第六十三話「誰もいない野営跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
静けさの裏に潜んでいた、組み立てられた見張りの構築物との一戦、いかがだったでしょうか。黒ローブの集団戦とは違う緊張感を出せていたら嬉しいです。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価でも応援してもらえると嬉しいです!




