第五十三話 地下に残る声
子どもたちの暴走は止まりました。
けれど、黒い命令の糸は王都の地下へ続いています。
セレスたちは、今度こそその先にいる者を追うことにしました。
今回はあくまで内密な調査。アルトには詳しい事情を話さず、留守を頼んでいた。
北区の地下水路へ続く入口は、昼間でも薄暗かった。
古い石壁には苔が張りつき、足元を流れる細い水路からは、冷えた空気が漂っている。
孤児院で見つけた黒い印は、確かにこの先を指していた。
「うわぁ……暗いですね」
ミュゼがランタンを掲げながら、セレスの隣へぴたりと寄ってくる。
いつもなら人懐っこい笑顔を見せる彼女も、今日は少しだけ声が小さかった。
「足元、気をつけてくださいね。転んだら危ないですから」
「ミュゼが先に転びそうだな」
「転びませんよー。たぶん」
「たぶんって言った」
「言ってません!」
小さく頬を膨らませるミュゼに、ガロンが思わず吹き出した。
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
だが、先頭を歩くイリスは振り返らなかった。
紫の瞳が、暗い通路の奥を鋭く見据えている。
「静かに」
短い声だった。
その瞬間、全員の足が止まる。
水の流れる音。
壁の隙間から落ちる雫。
それだけのはずだった。
けれど、その奥に。
かすかに、誰かの泣き声が混じっていた。
「……子ども?」
ノアが、自分の胸元を押さえる。
服の下にある不完全な紋様が、弱く明滅していた。
「違う」
ノアの声は震えていた。
「これは……声じゃない。前に聞いたものと、同じです」
セレスの左手首が熱を持つ。
白銀の紋様が、地下の奥へ引かれていた。
黒い命令。
従え。
逆らうな。
器になれ。
孤児院で断ち切ったはずの声が、まだここには残っている。
「戻るなら、今のうちだ」
ガロンが低く言った。
誰かを置いていくための言葉ではない。
怖いなら無理をするな、と言っている。
ノアは一度、唇を噛んだ。
それから、ゆっくり首を横に振る。
「行きます」
「ノアちゃん……」
「怖いです。でも」
ノアは自分の手を握った。
「また誰かが、私みたいに『言うことを聞かなきゃ』って思わされているなら……見ないふりはしたくない」
セレスは、その横顔を見た。
孤児院で、ノアは初めて自分の意思で「道具じゃない」と言った。
なら、その言葉をここで終わらせるわけにはいかない。
「ああ。行こう」
地下水路を進むほど、空気は冷たくなっていった。
途中から、壁に刻まれた古い印が増えていく。
王都の下水設備にしては不自然なものだった。
細い線が幾重にも重なり、まるで何かを縛る鎖のように石壁を走っている。
「これ、見て」
レイフィアが壁際で足を止めた。
赤い髪が、ランタンの光に揺れる。
彼女は細剣の切っ先を、壁の黒い線へ向けた。
「新しい。古い水路の傷じゃない」
「黒い糸と同じものか?」
ガロンの問いに、レイフィアは頷かなかった。
代わりに、目を細める。
「少し違う。これは……流れを作るための線よ」
「流れ?」
「命令を送るための道」
イリスが静かに言った。
「孤児院の結晶は中継点だった。あそこから子どもたちへ命令を流していたなら、ここはもっと大きな発信源に近い」
その言葉に、ミュゼがぎゅっとランタンを持つ手へ力を入れる。
「じゃあ、この先に……まだ、同じことをされてる人がいるかもしれないんですね」
「いる」
ノアが即座に答えた。
全員の視線が集まる。
ノアは地下の奥を見つめたまま、震える声で続けた。
「一人じゃないです」
その直後だった。
――カン。
遠くで、何か金属が鳴った。
一度。
二度。
三度。
まるで、誰かが檻を叩いているような音だった。
「……急ぐぞ」
ガロンが大剣を背から外す。
イリスが先に走り出し、レイフィアがその隣へ並ぶ。
セレスたちも後を追った。
通路を抜けた先には、古い鉄格子があった。
その向こうは、地下水路とは思えないほど広い空間だった。
高い天井。
崩れた石柱。
水路の流れを無理やり変えたような、黒い管。
そして床一面に刻まれた、歪な偽紋様。
「……何だ、ここ」
ガロンが息を呑む。
部屋の中央には、巨大な黒い結晶があった。
孤児院で見つけたものより、何倍も大きい。
結晶からは無数の黒い糸が伸び、壁の管へ、床の紋様へ、さらに王都のあちこちへ続いているように見えた。
だが。
セレスが目を奪われたのは、その結晶ではなかった。
結晶の前。
黒い鎖に繋がれた、小さな人影がいた。
膝を抱え、うつむいている。
顔は見えない。
けれど、その腕には。
ノアのものとも、セレスの白銀の紋様とも違う。
黒と白が混じり合った、不完全な紋様が刻まれていた。
その瞬間、セレスの左手首が焼けるように痛んだ。
白銀の紋様が強く明滅し、鎖の少女の腕へ引かれる。
同じではない。
けれど、まるで遠い場所で絡み合っていたものが、互いを見つけたように。
「……あの子」
ノアが、息を止める。
その声に反応するように。
鎖に繋がれた人影が、ゆっくり顔を上げた。
青白い瞳が、こちらを見た。
その目には怯えも、助けを求める色もなかった。
ただ、何かを諦めたように冷たかった。
『来るな』
声は、直接頭の中に響いた。
同時に、巨大な黒い結晶が脈打つ。
床の偽紋様が赤黒く光り、部屋全体へ命令が走った。
――侵入者を排除しろ。
黒い糸が、一斉に宙へ跳ね上がる。
ガロンが前へ出て大剣を構え、ミュゼが子どもたちを守ったときと同じように、淡い緑の光を広げた。
「大丈夫です」
ミュゼが、鎖の少女へ届くように言った。
怖さを隠せない声だった。
それでも、まっすぐだった。
「今度は、ひとりにしませんから」
イリスとレイフィアは左右へ散る。
セレスは白銀の紋様を押さえながら、鎖に繋がれた少女を見た。
「お前が……次の器か」
少女は一瞬だけ、目を伏せた。
『違う』
その声は、ひどく小さかった。
『私は、最初の失敗作』
――ぎりっ。
黒い鎖が、少女の腕へ食い込む。
少女が鎖を引いたわけではない。
巨大な黒い結晶から伸びた糸が鎖へ絡みつき、逃がさないように、さらに強く彼女を引き戻していた。
黒い結晶が、さらに強く脈打った。
少女の腕の紋様から、黒い線がセレスへ伸びる。
『だから、来るなって言ったのに』
地下の空間を埋め尽くす黒い糸が、五人へ牙を剥いた。
第53話「地下に残る声」をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は北区の地下水路へ進み、黒い命令の大きな発信源と、新たな少女の存在が見えてきました。
彼女はなぜ「最初の失敗作」と呼ばれ、誰を守るために「来るな」と告げたのか。
次回は、地下施設で黒い糸が襲いかかる中、少女が抱える事情へ迫ります。
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