第五十一話 暴走する子どもたち
王都に着いたばかりなのに、ゆっくり名物を味わう暇もなさそうです。
ミュゼが少しだけ残念そうなのは……きっと気のせいではありません。
王都ギルドの大広間は、朝から妙な熱気に包まれていた。
銀ランク昇格試験。
その言葉だけで、集まった冒険者たちの空気が変わる。
壁際には、装備を整えた推薦組の冒険者たちが並んでいた。年齢も武器もばらばらだが、誰もが自分の実力にそれなりの自信を持っている顔をしている。
その中に、アルトの姿もあった。少し離れた場所で腕を組み、静かに開始を待っている。
その中で、セレスは壁にもたれたまま、眠そうに目を細めていた。
「……人、多いな」
「銀ランクの試験ですからね」
隣でミュゼが小さく息を吐く。
いつもなら目を輝かせて周囲を見回しているはずなのに、今日は少しだけ落ち着かない様子だった。
その理由は、すぐそばにいる少女にあった。
灰銀色の髪を肩のあたりで揺らしたノアは、セレスたちの少し後ろに立っている。
王都に来てから何度か笑うようにはなった。
けれど、大きな人混みの中にいると、指先がわずかに震えることがある。
今も、濃紺の袖をきゅっと掴んでいた。
「無理しなくていい」
セレスが振り返らずに言う。
ノアは一瞬、何かを言いかけた。
けれど、すぐに小さく首を振った。
「……大丈夫。見てるだけだから」
「見てるだけでも疲れる場所だぞ」
「セレスも、疲れてそう」
「俺はいつもこういう顔だ」
「知ってる」
ほんの少しだけ、ノアの口元が緩んだ。
そのやり取りを見ていたイリスが、気づかれない程度に息を吐く。
「……お前たち、ずいぶん自然になったな」
「そうですか?」
ミュゼが嬉しそうに笑った。
「ノアちゃん、昨日は自分で朝ごはんも選べたんですよ。パンとスープと……あと、プリン」
「最後のだけ、お前が勧めただけだろ」
「王都のプリンは特別なんです」
なぜか胸を張るミュゼに、ガロンが低く笑った。
「まあ、食べられるものを自分で選べたなら上出来だ。急がなくていい。できることを少しずつ増やしていけばいいさ」
ノアはその言葉に答えず、ただ小さくうなずいた。
そのときだった。
大広間の奥にある扉が勢いよく開いた。
「緊急依頼です!」
駆け込んできた若い職員の声に、ざわめきが止まる。
「王都北区で、複数の子どもたちが魔力暴走を起こしています! 原因は不明! 近隣の治療院では対応しきれません!」
空気が一変した。
さっきまで試験の話をしていた冒険者たちが、互いに顔を見合わせる。
魔力暴走。
魔法を使う者なら、誰でも聞いたことがある。
体内の魔力が制御を失い、術式もなしに溢れ出す危険な状態だ。
軽ければ疲労や発熱で済む。
けれど、強くなれば自分の身体も、周囲も傷つける。
「子どもが複数同時に?」
イリスが眉をひそめた。
「偶然とは思えませんね」
レイフィアの静かな声が続く。
彼女の青灰色の瞳は、すでに職員の持つ書類へ向けられていた。
「場所は?」
「北区の共同孤児院です! 近くの住民も避難を始めています!」
「……行くぞ」
セレスは壁から背を離した。
眠そうだった半目が、わずかに開く。
銀と青、金の瞳が、同時に職員を捉えた。
「試験はどうなるんですか?」
誰かが尋ねる。
ギルドマスター代理の年配の男が、一歩前へ出た。
「銀ランク昇格試験は一時中断する。北区の救助を優先しろ」
その声には、迷いがなかった。
「なお、この件での行動は、試験の評価対象に含める。力量だけではない。冒険者として何を選ぶか、我々は見ている」
周囲の空気が、再び揺れた。
試験。
評価。
報酬。
そうした言葉に反応する者は多い。
けれどセレスは、すでに出口へ向かっていた。
「セレスさん!」
ミュゼが慌てて追いかける。
ガロン、イリス、レイフィアも続いた。
ノアだけが、その場に残る。
北区。
複数の子ども。
魔力暴走。
その単語を聞いた瞬間から、彼女の顔色は薄くなっていた。
セレスは扉の前で立ち止まる。
振り返った。
「ノア」
少女の肩が跳ねる。
「来るなら、そばから離れるな」
「……でも」
「置いていくとは言ってない」
淡々とした声だった。
けれど、ノアの目が揺れた。
「怖いなら、怖いって言えばいい。無理に平気なふりをする必要はない」
「……怖い」
絞り出すような声だった。
大広間のざわめきの中では、聞き逃されそうなほど小さい。
「でも……行きたい」
ノアは、自分の胸元を握った。
「同じなら……私も、何かできるかもしれないから」
数秒、誰も口を開かなかった。
ミュゼがそっとノアの手を包む。
「行こう、ノアちゃん。怖くなったら、私の手を握ってていいから」
「……うん」
王都北区へ向かう道は、人で溢れていた。
避難する住民。
泣きながら子どもの名前を呼ぶ大人。
遠くから響く、何かが弾けるような音。
石畳の隙間から、青白い光が漏れている。
「魔力が地面まで染みている」
レイフィアが低く呟いた。
「ただの暴走じゃない。外から魔力を引き出されている可能性があるわ」
「外から?」
ミュゼの声が強ばる。
「そんなこと、できるんですか?」
「本来なら難しい。だが……術式か、呪具があれば話は別だ」
イリスの視線が、街路の先へ向く。
「誰かが意図的にやっているなら、子どもたちを使っていることになる」
その言葉に、ミュゼの表情が変わった。
優しい緑の瞳から、柔らかさが消える。
「……許せません」
声は静かだった。
だからこそ、いつもより強く聞こえた。
共同孤児院の前では、数人の冒険者と衛兵が、建物の周囲に結界を張っていた。
その内側では、窓から青い火花が何度も散っている。
子どもの泣き声が聞こえた。
「中に入るな!」
衛兵の一人が叫ぶ。
「魔力が不安定だ! 近づけば巻き込まれる!」
「中に何人いる?」
セレスが尋ねる。
「確認できているだけで七人! 職員が二人、まだ避難誘導をしている!」
「七人か」
セレスは建物を見上げた。
白銀の髪が風に揺れる。
その視線は、崩れかけた窓でも、暴れる魔力でもない。
もっと奥。
見えない何かを探しているようだった。
左手首の銀の腕輪が、かすかに熱を持つ。
その内側で、白銀の紋様が脈打った。
――嫌な感じだ。
魔力が暴れている。
けれど、それだけではない。
暴走した魔力の流れの奥に、細く、黒いものが絡みついている。
命令するように。
増やせ、と。
壊せ、と。
もっと、溢れろ、と。
「セレス?」
イリスが呼ぶ。
セレスは、ゆっくりと腕輪に触れた。
「……原因は、中にいる子どもじゃない」
その声に、全員がセレスを見る。
「魔力を暴れさせてるものがある」
ノアの顔から、血の気が引いた。
彼女は建物の奥を見つめたまま、唇を震わせる。
「それ……知ってる」
誰も急かさなかった。
ノアは一度、苦しそうに息を吸った。
「私たちに、使われてたものと……似てる」
銀の瞳が細くなる。
「黒い命令……だ」
その瞬間。
孤児院の二階の窓が、内側から大きく弾けた。
青白い魔力の奔流が、空へ向かって噴き上がる。
逃げ遅れた人々の悲鳴が重なった。
そして、その光の中に。
黒い糸のようなものが、確かに揺れていた。
セレスの手首で、白銀の紋様が強く脈打つ。
まるで。
あれだけは、絶対に見逃すなとでも言うように。
王都に着いて早々、銀ランク昇格試験は緊急事態へ。
暴走しているのは子どもたちの魔力だけなのか。
そしてノアが知る「黒い命令」とは――。
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