第四十八話 夜を裂く白銀
野営の夜に聞こえてきたのは、眠りを誘う虫の声ではなく、不気味な鈴の音でした。
ミュゼは焼き菓子を守りたいらしいですが、今回はまず隊商とノアを守る戦いです。
闇の中で、セレスたちは黒ローブ組織の新たな罠と向き合います。
ちりん。
闇の奥で、鈴の音が鳴った。
風に揺れたような細い音。
けれど、その音が届くたびに、ノアの肩が小さく震える。
「ノア」
セレスが呼ぶと、ノアは胸元を押さえたまま顔を上げた。
「大丈夫、です」
「大丈夫じゃないだろ」
「……でも」
ノアは唇を噛んだ。
「また、みんなに迷惑をかけたくない」
「それは後で考えろ」
セレスは短く言った。
「今は、俺の後ろにいろ」
野営地を囲む荷車の外側で、黒い線が地面を這っていた。
見張り用の魔石は、ひとつずつ黒く染まり、淡い光を失っていく。
焚き火の炎も、まるで息を潜めるように小さくなった。
「見張りを中央へ寄せろ!」
イリスの声が飛ぶ。
「商人と馬車は内側へ! 火を絶やすな!」
護衛の冒険者たちが動き出す。
ガロンは大剣を抜き、荷車の隙間に立った。
「セレス、右側を頼む」
「分かった」
「レイフィアは左を見ろ。ミュゼはノアと中央だ」
「了解」
レイフィアの細剣が、焚き火の光を細く反射する。
ミュゼはノアの前へ立ち、杖を両手で握った。
「大丈夫。今回は焼き菓子も、ノアも守るから」
「焼き菓子も?」
「大事だよ」
ミュゼは真剣な顔で頷いた。
ノアは不安そうにしていたが、少しだけ口元を緩めた。
次の瞬間。
闇の中から、黒い針が飛んできた。
「伏せろ!」
セレスが剣を振る。
白銀の光を帯びた刃が針を弾いた。
針は地面へ突き刺さり、黒い霧を噴き出す。
霧に触れた草が、一瞬で黒く枯れた。
「毒か」
「いや、呪いに近い」
イリスが地面の針を睨む。
「触れるな。魔力を侵食される」
森の中で、いくつもの赤い光が灯った。
姿を現したのは、黒ローブをまとった者たちだった。
その数は十を超える。
ただし、全員が同じではない。
数人は明らかに冒険者だった。
剣や杖を持っている。
だが胸元や腕には、歪な偽紋様が刻まれ、瞳は虚ろだった。
「また……」
ノアの声が震える。
「あの人たちも、無理やり」
「分かってる」
セレスは剣を構えた。
「できるだけ傷つけずに止める」
「甘いな」
闇の奥から、男の声が響いた。
黒ローブの一人が、ゆっくりと前へ出る。
顔には白い仮面をつけていた。
仮面の片側には、黒い亀裂のような模様が走っている。
「白銀の本物。お前は、いつもそうだ」
「誰だ」
「名乗る価値はない」
白い仮面の男は、細い鈴を指先で揺らした。
ちりん、と鳴る。
その音と同時に、ノアが小さく悲鳴を上げた。
「……っ!」
胸元の偽紋様が、服の上からでも分かるほど黒く光る。
ノアの膝が崩れた。
ミュゼがすぐに支える。
「ノア!」
「痛い……やだ……!」
「聞かなくていいよ。ここにいるよ」
ミュゼはノアを抱き寄せ、杖から緑の光を流し込む。
だが、黒い光は弱まらない。
「無駄だ」
仮面の男が言った。
「その鈴は、紋様に刻まれた命令を呼び起こす。試作零号は、どれほど逃げても我らの器だ」
「違う」
セレスの声が、低く落ちた。
白銀の紋様が、腕輪の下で熱を持つ。
「ノアは、お前らのものじゃない」
「ならば証明してみろ」
仮面の男が鈴をさらに強く鳴らした。
ちりん、ちりん、ちりん。
黒い紋様を刻まれた冒険者たちが、一斉に動く。
「来るぞ!」
ガロンが前へ出た。
大剣で一人の斬撃を受け止め、その勢いを利用して地面へ転がす。
刃は振り下ろさない。
代わりに大剣の腹で相手の武器を叩き落とした。
「悪いな。少し眠ってろ」
次の相手がガロンへ杖を向ける。
だが、その横をイリスが走り抜けた。
「遅い」
一閃。
剣は相手の腕ではなく、杖に絡みつく黒い線だけを断ち切る。
黒い光が弾け、冒険者は糸が切れたように倒れた。
「一人ずつ、紋様を狙え!」
「分かってる!」
レイフィアは荷車の上へ飛び乗り、細剣を構える。
暗闇の中を走る黒い糸。
敵と敵をつなぐ細い術式。
レイフィアの瞳は、それを逃さなかった。
「そこ」
細剣が突き出される。
見えないほど細い黒い線が、正確に断ち切られた。
敵の一人が動きを止める。
セレスはその隙に踏み込み、胸元の偽紋様を斬る。
白銀の光が黒をほどく。
倒れた冒険者の顔から、苦しげな表情が消えた。
「まだだ!」
仮面の男が手を上げる。
地面を這っていた黒い線が、一斉に荷車へ絡みついた。
車輪が軋む。
馬たちが怯え、暴れ始める。
「馬を落ち着かせろ!」
商人たちの悲鳴。
荷車が崩れれば、中央にいるノアたちも危ない。
ガロンが荷車の一つを肩で支えた。
「セレス!」
「行く!」
セレスは黒い線の根元を追う。
線は森の奥へ向かっている。
その先では、仮面の男が片手を地面へつけていた。
無数の黒い糸が、彼の腕から伸びている。
「術式の核はあいつだ!」
「行かせるか!」
黒ローブの一人がセレスの前へ立ち塞がった。
太い鎖を振り回す大男。
鎖には、黒い紋様が巻きついている。
セレスは踏み込む。
だが鎖が地面を叩き、土と石が跳ね上がった。
視界が塞がれる。
「セレス!」
アルトが横から飛び込んできた。
細身の剣が鎖を受け流し、大男の懐へ滑り込む。
しかし鎖の黒い紋様が、刃を弾いた。
「硬いな」
「紋様が鎖と一体化してる」
「なら、引き剥がす」
セレスの左手首が光る。
鎖を振るう大男の足運び。
力を乗せる腰の動き。
それが一瞬、セレスへ流れ込む。
セレスは大男の踏み込みを借り、自分の剣の勢いへ重ねた。
アルトが鎖を上へ弾く。
空いた胴へ、セレスが入り込む。
「寝てろ」
剣の柄で腹を打ち、よろめいた相手の胸元へ白銀の光を走らせる。
黒い紋様が砕け、大男は膝をついた。
「助かった」
アルトが言う。
「お前もな」
二人は背中を預ける形で、仮面の男を見た。
だが、その間にも鈴の音は止まらない。
ノアの苦しそうな声が、野営地から聞こえる。
「……やめて」
ノアはミュゼに支えられながら、震える手を胸元へ当てていた。
「わたし、戻らない」
鈴が鳴る。
ノアの偽紋様が黒く脈打つ。
「戻らない……!」
「ノア」
ミュゼは涙をこらえながら、ノアの手を握る。
「一人で頑張らなくていいよ。苦しいなら、半分こしよう」
「半分こ?」
「うん。怖いのも、痛いのも、全部一人で持たなくていい」
ノアの目から涙が零れる。
ミュゼの手は温かい。
その温かさが、鈴の音に押し潰されそうな意識を繋ぎ止めた。
けれど仮面の男は、ゆっくりと笑った。
「無駄だ」
男が鈴を高く掲げる。
「零号の偽紋様には、もう一つ役割がある」
黒い線が、ノアの胸元から空へ伸びた。
それは森の奥にある仮面の男へ届き、さらに地面へ広がっていく。
「何をした」
セレスが叫ぶ。
「王都へ続く扉を開くための鍵だ」
地面が大きく揺れた。
野営地の外。
森の奥で、地面を割るような音が響く。
黒い霧が噴き上がり、その中から巨大な影が立ち上がった。
四つ足。
岩のような甲殻。
首元には、何重にも重なった偽紋様。
先ほどの魔狼とは比べものにならない大きさだった。
「……魔物?」
アルトが剣を構え直す。
「違う」
ノアがかすれた声で言った。
「あれは……実験体です」
巨大な影が、赤い目を開く。
黒い紋様が脈打ち、周囲の木々が震えた。
仮面の男は鈴を鳴らしながら、愉快そうに笑う。
「さあ、白銀の本物」
「試作零号を守りながら、王都への門番を止められるか?」
セレスは剣を握り直した。
白銀の紋様が、夜を裂くように輝く。
守るべき仲間がいる。
守るべき隊商がいる。
そして何より。
ノアを、もう一度「器」へ戻らせるわけにはいかなかった。
第四十八話を読んでいただき、ありがとうございます!
夜の野営地を襲った黒ローブたち。
ノアを「零号」と呼び、再び道具へ戻そうとする敵に対して、セレスたちはそれぞれの場所で戦います。
ミュゼは焼き菓子も大切ですが、もちろんノアのことはもっと大切です。
そして現れた、偽紋様を刻まれた巨大な実験体。
次回は、野営地を守るための総力戦です。
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