第四十六話 黒紋の魔狼
街道の休憩所で待っていたのは、黒ローブ組織の痕跡と、偽紋様に侵された魔物たちでした。
戦闘の最中でも、ミュゼは「勝ったら甘いもの」を諦めません。
今回は、隊商を守るための戦い。そして、セレスとアルトが初めて肩を並べる回です。
黒い紋様を浮かべた魔狼たちが、唸り声を上げながら街道を駆ける。
赤く濁った瞳。
黒い線に侵された毛並み。
その姿は、ただの魔物ではなかった。
身体の内側から何かを無理やり刻み込まれ、痛みと怒りだけで動かされているように見える。
「来るぞ!」
ガロンの声が飛ぶ。
先頭の一体が跳びかかった。
大きく開いた牙が、荷車を引く馬へ向かう。
「させるか!」
ガロンの大剣が横から振り抜かれた。
重い一撃が魔狼の身体を弾き飛ばし、地面へ叩きつける。
だが、魔狼はすぐに立ち上がった。
黒い紋様が脈打ち、砕けた骨が不自然な音を立てて繋がっていく。
「再生するのかよ」
セレスは剣を構えた。
「普通に倒すだけじゃ、止まらない」
「なら、紋様を断てばいい」
イリスが低く言う。
「セレス。あの黒い線を狙えるか」
「やってみる」
別の魔狼が、横から飛びかかってくる。
セレスは半歩だけ身体をずらした。
牙が肩をかすめる。
その瞬間、左手首の白銀の紋様が熱を持った。
魔狼の動き。
地面を蹴る力。
獲物へ飛びかかるための、一瞬の溜め。
それが、頭の中へ流れ込んでくる。
「借りる」
セレスは魔狼の踏み込みを部分的に継承し、一気に懐へ入った。
剣を振る。
刃は魔狼の首ではなく、胸元に走る黒い紋様へ届いた。
白銀の光が黒い線を断ち切る。
「ギャウッ!」
魔狼の身体が激しく震えた。
黒い紋様が煙のようにほどけ、赤かった瞳から濁りが消えていく。
魔狼は数歩よろめき、その場に倒れ込んだ。
けれど、死んではいなかった。
「生きてる」
ノアが息を呑む。
「ああ」
セレスは頷く。
「黒い線を切れば、戻せる」
「なら、殺さずに済む」
ミュゼはノアの前に立ちながら、杖を握りしめた。
「絶対にみんな、助けよう」
「ミュゼ。後ろへ下がってろ」
「分かってる。でも回復は任せて」
そのとき、魔狼の群れの中から一際大きな影が姿を現した。
他の個体より二回りは大きい。
黒い毛並みの背には、赤黒い棘のような紋様がいくつも浮かんでいた。
口元からは黒い霧が漏れ、地面へ落ちた草を枯らしていく。
「……あれが親玉か」
ガロンが大剣を握り直す。
魔狼は低く唸り、隊商の中央にいるノアを見た。
次の瞬間。
巨体が地面を蹴った。
「ノア!」
セレスが叫ぶ。
だが、その前へ青い閃光が走った。
アルトだった。
「ここは通させない!」
細身の剣が、魔狼の前脚を斬り払う。
魔狼は空中で身体を捻り、地面へ着地した。
アルトは退かない。
真っ直ぐに剣を構え、魔狼と向き合う。
「お前たちは護衛を続けろ。俺が止める」
「一人でやる気か?」
セレスが言う。
「試験前に助けられたくはない」
「意地張ってる場合じゃない」
「分かっている」
アルトは魔狼から目を離さずに答えた。
「だから、手を貸せ」
セレスは少しだけ笑った。
「最初からそう言え」
二人が同時に踏み込む。
アルトの剣は速く、迷いがない。
魔狼の爪を受け流し、首元へ斬撃を放つ。
しかし黒い紋様が防壁のように光り、刃を弾いた。
「硬いな」
「紋様が守ってる」
セレスは魔狼の動きを読む。
大きな身体。
重い前脚。
けれど、跳びかかる直前だけ、背中の紋様が強く光る。
「アルト、左へ誘導しろ!」
「分かった!」
アルトは一度後ろへ下がり、魔狼の視線を自分へ集める。
魔狼が吠え、前脚を振り下ろした。
アルトは紙一重で避ける。
爪が地面を抉り、土砂が舞い上がった。
その隙に、セレスが右側から駆け込む。
だが魔狼は、尾を振り抜いた。
「セレス!」
ミュゼの声。
避けきれない。
その瞬間、セレスの身体を横から誰かが押した。
レイフィアだった。
尾が二人のすぐ横を通り抜ける。
「ぼんやりしないで」
「助かった」
「……礼を言うのは、終わってからにして」
レイフィアは少しだけ頬を赤くしながら、細剣を構え直した。
「今は、あれを止めるわよ」
イリスが魔狼の背後へ回り込み、剣を振り下ろす。
黒い紋様がまた防いだ。
だが、その一撃で紋様の光が揺らぐ。
「今だ!」
ガロンが大剣を地面へ叩き込んだ。
衝撃で土が跳ね上がり、魔狼の巨体がわずかに浮く。
アルトが駆ける。
イリスの斬撃で揺らいだ背中の紋様へ、鋭い突きを放つ。
黒い線がひび割れた。
だが、完全には届かない。
「まだ足りない!」
魔狼の身体から、黒い霧が噴き出した。
その霧が周囲へ広がり、倒れていた魔狼たちの紋様を再び光らせる。
「また動き出す!」
ノアの声が震える。
「親玉が命令してるんだ」
「ノア、分かるのか?」
セレスが尋ねる。
ノアは胸元を押さえ、苦しそうに頷く。
「黒い線が、つながってる。あの大きいのから……みんなへ」
セレスは魔狼の背を見た。
赤黒い棘のような紋様。
あれが核だ。
「なら、あれを断つ」
セレスの白銀の紋様が光る。
だが、魔狼もまたセレスを見据えた。
赤い瞳が、狙いを定める。
黒い霧が、槍のように収束した。
「セレス!」
イリスが叫ぶ。
黒い槍が放たれる。
セレスは避けようとした。
しかし槍は途中で軌道を変え、後方のノアへ向かった。
「……っ!」
セレスは反射的に左手を伸ばした。
白銀の紋様が、強烈に熱を持つ。
次の瞬間。
セレスの右腕が、白銀の硬い甲殻に覆われた。
過去に借りた、防壁の岩猪の特性。
黒い槍が甲殻へぶつかり、鈍い音を響かせる。
衝撃が腕から全身へ走った。
それでも、セレスは足を止めなかった。
「ノアに触るな」
セレスは黒い槍を弾き飛ばす。
その声に、ノアの目が見開かれた。
白銀の紋様が、これまで以上に眩く輝く。
セレスは走る。
魔狼の動き。
岩猪の硬化。
自分の剣術。
仲間たちの戦い方。
すべてが一瞬、頭の中で重なった。
「ガロン!」
「任せろ!」
ガロンが大剣を振り抜き、魔狼の前脚を押し上げる。
「イリス!」
「行け!」
イリスが魔狼の首元へ斬撃を放ち、視線を逸らさせる。
「レイフィア!」
「分かってる!」
レイフィアの細剣が、背中の紋様を走る黒い線へ正確に突き刺さった。
黒い防壁が揺らぐ。
「アルト!」
「言われなくても!」
アルトが正面から踏み込み、魔狼の動きを止める。
彼の剣が、魔狼の牙を受け止めた。
「今だ、セレス!」
セレスは跳んだ。
白銀に覆われた右腕で、魔狼の背を押さえる。
そして剣を、赤黒い紋様の中心へ突き立てた。
「返せ」
白銀の光が、黒い紋様へ流れ込む。
「こいつらの命を」
黒い線が悲鳴のような音を上げた。
魔狼の背に刻まれた偽紋様が、内側から砕けていく。
黒い霧が空へ散った。
巨大な魔狼は、ゆっくりと膝をつく。
赤い瞳から濁りが消えた。
その目には、痛みと疲れだけが残っている。
魔狼はセレスを見た。
低く、かすかな声で鳴く。
そして、大きな身体を地面へ横たえた。
「止まった……」
ノアが呟く。
周囲の魔狼たちも、一体ずつ動きを止めていた。
黒い紋様が消え、荒かった息が少しずつ落ち着いていく。
ミュゼがすぐに駆け寄り、杖を掲げた。
「怪我してる子から治すよ!」
「全部は一人でやるな」
イリスが言う。
「隊商の治療師も呼べ」
「うん。でも、助けられる子は助けたい」
ミュゼの魔法が、柔らかな緑の光となって魔狼の傷を包む。
その様子を見ていたアルトは、剣を鞘へ収めた。
「……殺さずに止めたのか」
「ああ」
セレスは息を整えながら答える。
「黒ローブに使われただけだ」
「危険だった」
「分かってる」
「それでも助けるのか」
セレスは少し考えてから、倒れた魔狼へ視線を向けた。
「助けられるなら」
アルトはしばらく何も言わなかった。
それから、短く頷く。
「……悪くない」
「褒めた?」
ミュゼが振り返る。
「事実を言っただけだ」
「褒めたんだね」
「違う」
ミュゼが楽しそうに笑う。
ノアは、倒れた大きな魔狼の近くへゆっくり歩いた。
セレスが止めようとするより先に、ノアは少し離れた場所へ膝をつく。
「怖かったね」
魔狼の耳が、かすかに動いた。
「わたしも、怖かった」
ノアは自分の胸元へ手を当てる。
「でも、助けてくれる人がいたよ」
魔狼はゆっくり目を閉じた。
その姿を見て、ノアの瞳が少しだけ揺れた。
黒ローブたちに刻まれた偽紋様。
それは人だけでなく、魔物さえも道具に変えていた。
隊商は休憩所の周囲を調べることになった。
見張り台の奥には、黒ローブたちが残した木箱があった。
中には空の拘束具。
薬品の瓶。
そして、王都へ向かう地図。
地図の一部には、黒い印がつけられていた。
「これ……」
ノアの顔が強張る。
黒い印の場所には、王都の地下へ通じる古い水路が描かれていた。
セレスの手首にある白銀の紋様が、静かに熱を持った。
王都へ続く道の先には、銀ランク昇格試験だけではない。
黒ローブ組織が作り上げた、偽紋様の闇が待っていた。
第四十六話を読んでいただき、ありがとうございます!
今回は、偽紋様に侵された魔狼たちとの戦いでした。
セレスだけでなく、ガロン、ミュゼ、イリス、レイフィア、そしてアルトも、それぞれの役割で隊商を守っています。
敵に利用された存在を「倒す」だけでなく「助ける」ことが、セレスたちらしい戦い方になってきました。
そして見つかった、王都地下水路へ続く地図。
次回は、街道での野営と、少し不穏な夜になります。
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