第四十五話 王都へ続く街道
王都への旅は、銀ランク昇格試験へ向かう大事な一歩です。
黒ローブ組織の影もあり、決して気を抜ける道のりではありません。
……なおミュゼは、王都のお菓子屋さんの話を聞いてから、
旅の危険より「どれだけ甘いものがあるのか」を気にしています。
今回は、セレスたちが新たな舞台・王都へ向けて出発する回です。
ヴェルンハイムの朝は、まだ薄い霧に包まれていた。
城門の外には、王都へ向かう隊商が並んでいる。
荷車には食料や布、鉱石の箱が積まれ、馬たちは白い息を吐きながら蹄を鳴らしていた。
商人たちの声。
護衛の冒険者たちの足音。
遠くで鳴る鳥の声。
町を出る前の慌ただしさが、静かな朝の空気を少しずつ押し退けていく。
「よし。忘れ物はないな」
ガロンが荷物を確認しながら言った。
大きな背負い袋には保存食、寝具、簡単な調理道具まで詰め込まれている。
「ガロン、荷物多すぎない?」
ミュゼが自分の小さな鞄を持ち上げながら首を傾げる。
「必要なものだ」
「鍋が二つ入ってるよ?」
「片方は予備だ」
「王都まで行くだけなのに?」
「旅では予備がいる」
セレスは荷物の横に置かれた鉄鍋を見て、小さく息を吐いた。
「本気で野営するつもりだな」
「隊商の予定では、途中で二度は野営になる」
イリスが答えた。
「道中には魔物も出る。準備に越したことはない」
「イリスまでガロン側か」
「合理的なだけだ」
レイフィアが、肩から下げた細身の鞄を整える。
「二人とも正しいわ。セレスはもう少し、自分の荷物を気にした方がいいんじゃない?」
「着替えと水と剣があればいいだろ」
「足りない」
「何が」
「いろいろよ」
レイフィアは言い切った。
セレスが首を傾げていると、ミュゼが笑いをこぼす。
「セレスは、たぶん一人で旅したら三日で困るタイプだよね」
「困らない」
「困る」
ガロン、ミュゼ、イリス、レイフィアの声が揃った。
セレスは少しだけ黙った。
「……四対一はずるいだろ」
そのやり取りを少し離れた場所で見ていたノアが、くすりと笑った。
淡い藤色のリボンで結ばれた灰銀の髪が、朝の風に揺れる。
胸元は首の高い薄灰色の上着で隠されていた。
以前よりも血色は良くなっている。
それでも、初めての旅への緊張は隠しきれていなかった。
ノアは小さな鞄の肩紐を、両手で握りしめている。
「ノア」
セレスが呼ぶと、ノアはすぐに顔を上げた。
「はい」
「無理そうなら言えよ」
「大丈夫です」
「本当に?」
「……たぶん」
少し正直になった答えに、セレスは頷いた。
「なら、怖くなったら一人で抱えるな」
「はい」
ミュゼがノアの隣へ駆け寄る。
「わたしの近くにいれば大丈夫だよ!」
「ミュゼも、怖くなることある?」
「あるよ」
ミュゼはあっさり答えた。
「でも、怖いときは誰かの手を握るの」
そう言って、ノアへ手を差し出す。
ノアは少し迷った。
けれど、そっとその手を握った。
「……こうですか?」
「そうそう!」
ミュゼは嬉しそうに笑った。
城門の近くでは、ギルドマスターが待っていた。
その隣には、見覚えのない若い冒険者が立っている。
濃い青髪を短く整えた、背の高い青年。
軽鎧の上から灰色の外套を羽織り、腰には細身の剣を下げていた。
姿勢は真っ直ぐで、無駄な動きがない。
「来たか」
ギルドマスターが、セレスたちへ手を上げた。
「紹介しておこう。王都まで同じ隊商を護衛する冒険者だ」
青年は一歩前へ出る。
「アルト・ヴァレイン。銅ランクだ」
落ち着いた声だった。
「銀ランク昇格試験の推薦を受けた」
セレスは少しだけ目を細める。
「セレスだ。俺も推薦組」
「知っている」
アルトの視線が、セレスの左手首へ向いた。
腕輪の下に隠れた白銀の紋様。
「無色の銅ランク。遺跡を攻略した冒険者」
「噂になってるな」
「功績は認める」
アルトは淡々と言った。
「だが、昇格試験では噂ではなく実力を見る」
空気が、わずかに張る。
ミュゼがセレスの隣でむっとした顔をした。
「セレスは強いよ」
「そうだろうな」
アルトはミュゼを見て、すぐに頷いた。
「だから、試験で確かめたい」
挑発ではない。
けれど譲るつもりもない声だった。
イリスがアルトを静かに見た。
「お前は、王都の推薦組か」
「ああ。北の街道で魔物の群れを止めた功績で推薦された」
「なるほど」
イリスはそれ以上何も言わなかった。
ただ、アルトが自分の力だけで積み上げてきた者だと理解したようだった。
「まあいい」
セレスは肩をすくめる。
「試験なら、ちゃんと受ける」
「そうしてくれ」
アルトは短く言ってから、隊商の方へ戻っていった。
「感じ悪い人?」
ミュゼが小声で尋ねる。
「悪い人ではなさそうだ」
ガロンが答える。
「自分の積み上げたものに、自信があるんだろう」
「セレスも負けないよね」
「別に勝負するために行くわけじゃない」
「でも勝つんでしょ?」
「……試験には受かるつもりだ」
ミュゼは満足そうに頷いた。
ギルドマスターは、セレスたちとノアを見渡す。
「王都のギルドには話を通してある。推薦状を失くすなよ」
「分かってる」
「あと、ノアについても」
ギルドマスターの声が少し低くなる。
「王都の治療院と、偽紋様の被害者を扱う部署に連絡を入れた。あちらでも保護の準備はしている」
ノアが不安そうに目を伏せる。
「わたし……行って、大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫だ」
セレスが言った。
「今回は、自分で行くって決めたんだろ」
「……はい」
「なら、俺たちも一緒に行く」
ノアは小さく頷いた。
出発の合図となる笛が鳴った。
馬車の車輪が、ゆっくりと動き出す。
ヴェルンハイムの城門が、少しずつ遠ざかっていく。
ノアは何度も振り返った。
あの町で初めて、プリンを食べた。
初めて、自分の名前を呼んでもらった。
怖くて眠れなかった夜もあった。
けれど、もう戻る場所がないわけではない。
戻れる場所があるからこそ、前へ進める。
隊商は街道へ出た。
両側には、夏の終わりの草原が広がっている。
朝の光を受けて、草の穂が金色に揺れていた。
最初の数時間は、何事もなく進んだ。
ミュゼは荷車の横を歩きながら、道端に咲く花をノアへ教えている。
「これは月草。夜になるとちょっと光るんだよ」
「本当に?」
「本当。でも、触るとすぐしぼんじゃうから、見るだけ」
「きれいですね」
「うん。ノアの髪にも似合いそう」
「わ、わたしには、そんな」
「似合うよ!」
ミュゼが即答する。
少し後ろでは、レイフィアがノアの歩き方をさりげなく見ていた。
「疲れていない?」
「大丈夫です」
「無理をしていない?」
「……少しだけ、緊張してます」
「そう」
レイフィアは小さく頷いた。
「初めての旅なら当然よ。怖くなったら、馬車に乗って休みなさい」
「でも、みんな歩いてるのに」
「あなたはまだ回復途中でしょう」
レイフィアは少しだけ言葉を選ぶ。
「……守られることも、今は必要なことよ」
ノアはその言葉を胸の中で繰り返した。
守られること。
それを恥ずかしいと思わなくてもいいのだろうか。
少し前の自分なら、そんなふうには考えられなかった。
昼を過ぎた頃。
隊商は、街道沿いの小さな休憩所へ近づいていた。
石造りの見張り台と、旅人向けの水場がある場所だ。
だが、近づくにつれて、セレスは違和感を覚えた。
人の気配がない。
休憩所の前にあるはずの荷車も、見張りの姿も見えない。
「止まれ」
先頭を歩いていたアルトが、片手を上げた。
隊商がゆっくり停止する。
「どうした?」
商人の一人が尋ねる。
アルトは答えず、地面を見ていた。
土の上には、引きずったような跡がある。
その先には、黒く焼けた草。
そして。
見張り台の壁に、黒い線で描かれた歪な紋様があった。
ノアの足が止まる。
「……ここ、知ってる」
かすれた声だった。
セレスが振り返る。
「何を?」
「黒い人たちが、こういう場所を使ってた」
ノアは胸元を押さえた。
偽紋様が、嫌な熱を帯び始めている。
「人を運ぶ前に。檻に入れた人たちを、ここで休ませてた」
ガロンが大剣の柄を握った。
「待ち伏せか」
「いや」
イリスの目が、見張り台の上へ向く。
「すでに何かが起きている」
そのとき。
休憩所の奥から、低いうなり声が響いた。
草むらが大きく揺れる。
次の瞬間、黒い紋様を身体に浮かべた魔物が、何体も姿を現した。
狼に似た姿。
だが身体のあちこちが黒い線に侵され、目は赤く濁っている。
「偽紋様を刻まれた魔物だ」
セレスが剣を抜く。
魔物たちは、隊商へ向けて一斉に駆け出した。
「護衛は前へ!」
アルトの声が飛ぶ。
「荷車を守れ!」
ガロンが大剣を構える。
イリスとレイフィアが、両側へ散る。
ミュゼはノアの手を握った。
「大丈夫。ここにいて」
「でも、わたしも……」
「今は、わたしたちを信じて」
セレスは剣を握り、迫る黒い魔物たちを見据えた。
王都への道は、まだ始まったばかりだ。
けれど黒ローブ組織は、すでにその道の先で待っていた。
第四十五話を読んでいただき、ありがとうございます!
いよいよ王都へ向けて出発しました。
今回は、銀ランク昇格試験の推薦組である新たな冒険者、アルト・ヴァレインも登場です。
セレスとは考え方も積み上げ方も違う、正統派のライバルとして、今後の試験や王都編で関わっていきます。
そして街道で現れた、偽紋様に侵された魔物たち。
次回は、隊商を守るための戦闘です。
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