第四十一話 帰る場所と、次の扉
遺跡から無事に帰れたなら、まずは報告です。
……その前に、ミュゼにとっては甘いものかもしれません。
白銀の遺跡編の後日談。そして、五人の次の目的が決まる回です。
ヴェルンハイムの城門が見えたとき、セレスはようやく息を吐いた。
白銀の遺跡を出てから、どれだけ歩いただろう。
疲労で重くなった足も、冷えた夜風も、町の灯りを見た途端に少しだけ遠くなった気がした。
「帰ってきたな」
隣を歩いていたガロンが、低く言う。
「ああ。やっとな」
セレスが答えると、後ろからミュゼが両手を上げた。
「帰ってきたぁーっ!」
元気な声が夜の街道に響いた。
「ミュゼ、元気すぎない?」
「元気じゃないよ! もうへとへと! でも、おうちが見えると元気になるの!」
笑っているミュゼの顔は、少しだけ青白い。
無理をしているのは分かる。
それでも笑おうとするのが、ミュゼらしかった。
「帰ったら休め」
イリスが前を見たまま言う。
「うん。でも、その前にごほうび!」
「何のだ」
「プリン」
即答だった。
ガロンが呆れたように眉を寄せる。
「遺跡の奥で怪物と戦った直後に、最初に出る言葉がそれか」
「大事だよ。戦ったあとに食べる甘いものは、いつもの三倍くらいおいしいんだから」
「根拠は?」
「ミュゼの勘!」
「信用できるような、できないような」
セレスが小さく笑うと、ミュゼは満足そうに胸を張った。
そのやり取りを聞いていたレイフィアが、ふっと表情を緩める。
「……騒がしいのに、不思議ね」
「何が?」
「こうして普通に話せることよ」
レイフィアの視線は、町の灯りへ向いていた。
「少し前まで、あの遺跡で見たものが頭から離れなかった。でも今は……」
レイフィアは言葉を探すように、細く息を吐く。
「帰ってこられたんだって、思える」
セレスは少しだけ黙った。
それから、レイフィアの隣へ並ぶ。
「帰ってきたよ」
「……うん」
短い返事だった。
けれどレイフィアは、わずかに頬を赤くして視線を逸らした。
城門をくぐると、待っていた衛兵たちがセレスたちの姿に気づいた。
「帰還したぞ!」
「白銀の遺跡へ向かった冒険者たちだ!」
声が上がる。
近くにいた人々が、次々にこちらを振り返った。
最初は驚きのざわめきだった。
だが、セレスたちの後ろに続く救出された人々の姿を見た瞬間、それは歓声へ変わった。
「助かったのか……!」
「遺跡に消えた人たちが、生きてる!」
「本当に、救い出したんだ!」
誰かが拍手をした。
それが一人、また一人と広がり、城門前には大きな拍手と歓声が満ちていく。
セレスは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
「……こういうの、慣れないな」
「慣れなくていい」
イリスが言う。
「でも、受け取れ。あいつらは、帰ってきたことを喜んでる」
セレスは救出された人々に目を向けた。
まだ自分の足で歩けない者もいる。
仲間に支えられ、家族の名前を呼びながら泣いている者もいた。
全員を救えたわけではない。
遺跡の中で、救えなかったものもある。
それでも。
左手首の白銀の紋様が、ほんのりと温かくなった。
「……ああ」
セレスは、まっすぐに頷いた。
「帰ってこられて、よかった」
冒険者ギルドの前には、ギルドマスターと職員たちが待っていた。
ギルドマスターはセレスたちの姿を見るなり、大きく息を吐く。
「まったく。遅い帰還だったな」
「待たせた」
「その顔で言われると、叱る気も失せる」
そう言いながらも、ギルドマスターの声には隠しきれない安堵があった。
「報告は明日でもいいと言いたいところだが……今回の件だけは、今夜のうちに聞かせてもらう」
応接室で、セレスたちは遺跡で起きたことを話した。
黒ローブたち。
人の願いを利用して刻まれた偽紋様。
暴走した実験兵たち。
原初の紋様核。
そして、銀仮面の男の奥にいた、さらに上の存在。
話を聞き終えたギルドマスターは、しばらく口を開かなかった。
机の上で組まれた手に、わずかに力が入る。
「……想像以上だな」
「ああ」
ガロンが重く頷いた。
「ただの盗賊団じゃない。あいつらは、人を材料にして力を作ってる」
「偽紋様は、まだ終わっていない」
レイフィアの言葉に、室内の空気が張り詰めた。
セレスは、自分の左手首を見つめる。
「遺跡の奥に、黒い線が残っていた」
「黒い線?」
「原初の紋様核の中にあった。俺の紋様とは違う。冷たい何かだ」
「それに」
イリスが続ける。
「上位の存在を名乗る声も聞いた。次の器を用意しろ、と」
ギルドマスターは、ゆっくりと目を閉じた。
「王都にも知らせる。これはヴェルンハイムだけの問題ではない」
それから、ギルドマスターは引き出しから三枚の封書を取り出した。
封には、銀色の蝋が押されている。
「セレス。ガロン。ミュゼ」
「俺たち?」
ミュゼが首を傾げる。
「三人は今回、銅ランクの範囲を大きく超える功績を上げた。多数の行方不明者を救出し、危険度の高い遺跡を攻略し、町へ迫る脅威を止めた」
ギルドマスターは、三人の前に封書を置いた。
「王都で行われる、銀ランク昇格試験への推薦状だ」
一瞬、誰も動かなかった。
「……銀ランク?」
最初に声を出したのはガロンだった。
「ああ。本来なら、銅ランクとしてさらに実績を積む必要がある。だが、お前たちはもう証明した」
ギルドマスターの視線が、順に三人へ向く。
「力だけではない。仲間を見捨てず、目の前の命を救うために動いた。その判断も含めて、お前たちは推薦に値する」
ミュゼが震える手で封書に触れた。
「わたしが……銀ランクの試験」
「怖いか?」
セレスが尋ねる。
ミュゼは少しだけ黙ってから、こくりと頷いた。
「ちょっとだけ。でも」
ミュゼは封書を胸に抱いた。
「セレスとガロンがいるなら、大丈夫な気がする」
「任せろ」
ガロンは大剣の柄に手を置き、力強く言った。
「試験だろうが何だろうが、三人で越える」
「……俺も行く」
セレスは自分の推薦状を手に取った。
無色。
測れない。
そう言われ続けた自分が、銀ランクの試験を受ける。
少し前なら、想像すらしなかった未来だった。
「王都か」
セレスは小さく呟いた。
「次は、もっと大きな場所だな」
「楽しみね」
レイフィアが言った。
「……まあ、私はもう銀ランクだから、試験は受けないけれど」
「見届け役、だな」
セレスがそう言うと、レイフィアは少しだけ顔を背けた。
「べ、別に。あなたたちだけで王都へ行かせると、何をしでかすか分からないから」
「心配してるんだな」
「してないわよ」
「してるだろ」
「してない!」
レイフィアの声が少し大きくなり、ミュゼがくすりと笑った。
「レイフィア、やさしいね」
「ミュゼまで……」
レイフィアは耳まで赤くして黙り込む。
その様子を見ていたイリスが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「私も行く」
その一言に、全員の視線が集まる。
「試験を受けるわけじゃない」
イリスは首を横に振った。
「黒ローブの件もある。王都なら、情報も人も集まる」
イリスは腰の剣へ視線を落とした。
「それに。あの声が言った“次の器”が、王都に関わっていないとは思えない」
ギルドマスターも頷く。
「王都のギルドには、こちらから先に連絡を入れる。お前たちが向かう頃には、最低限の受け入れは整えておこう」
「出発は?」
「救出された者たちの事情聴取と、遺跡の封鎖を終えてからだ。急ぐ必要はあるが、今すぐではない」
そのときだった。
応接室の扉が控えめに叩かれた。
「失礼します」
ギルド職員が、困ったような顔で入ってくる。
「救出された方の中に、一人だけ意識が戻らない少女がいます。治療師が診ていますが……少し、気になることが」
「何だ」
ギルドマスターが問う。
「少女の胸元にある紋様が、時々白く光るそうです」
セレスの左手首が、熱を持った。
「……案内して」
セレスは立ち上がった。
治療室のベッドには、十二、三歳ほどの少女が眠っていた。
薄い毛布に包まれた小さな身体。
青白い顔。
胸元には、途中で描くのをやめたような不完全な紋様が残されている。
それは偽紋様だった。
けれど、遺跡で見たものとは少し違う。
黒く濁った線の奥に、かすかな白銀の光が混じっていた。
セレスが近づいた瞬間。
左手首の白銀の紋様が、強く輝いた。
少女の胸元も、それに応えるように淡く光る。
「共鳴してる……?」
ミュゼが息を呑む。
セレスは、眠る少女の顔を見つめた。
苦しそうな表情だった。
まるで、誰かに助けを求めているように。
「この子が、“次の器”なのかもしれない」
イリスの低い声が、静かな部屋に落ちた。
「まだ決まったわけじゃない」
セレスはすぐに否定した。
けれど、紋様の熱は消えなかった。
白銀の光は、少女の中に残された小さな何かを探すように、静かに揺れている。
眠る少女の唇が、かすかに動いた。
「……しろ、い……ひと」
誰に向けた言葉なのか、分からない。
ただ、セレスの手首にある白銀の紋様だけが、確かにその声へ応えていた。
ヴェルンハイムへ帰ってきた夜。
セレスたちは次の道を示す推薦状を手にした。
同時に。
まだ目を覚まさない少女と、黒い線の向こう側にいる何者かが、静かにこちらを見つめていた。
第四十一話を読んでいただき、ありがとうございます!
白銀の遺跡編を終え、セレス、ガロン、ミュゼには銀ランク昇格試験への推薦が届きました。
一方で、すでに銀ランクのレイフィアと、金ランクのイリスは試験対象ではありません。それでも五人は、次の事件と王都へ向けて同じ道を進みます。
そして、セレスの紋様に共鳴する謎の少女。
王都へ向かう前に、五人の前にはもう一つの救うべき存在が現れました。
ミュゼの「帰ったら甘いもの」は、もちろんまだ回収されていません。
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