第三十六話 奪われる白銀
「無色」は、何もないという意味ではありませんでした。
ならば、その余白に何を描くのか。
誰かに決められるのではなく。
自分で選ばなければいけません。
巨大な結晶は、静かに浮かんでいた。
白銀の光を放ちながら。
壁へ。
床へ。
天井へ。
無数の線を伸ばしている。
その線のほとんどには、黒赤い鎖が絡みついていた。
まるで、白い光そのものを縛りつけるように。
「原初の紋様核」
銀仮面の男が、結晶へ手をかざした。
「かつて、力を持たぬ者へ可能性を与えるために作られた器だ」
セレスたちは、巨大な空間の入口に立っていた。
ガロンが大剣を構え。
イリスとレイフィアが剣を抜き。
ミュゼは杖を胸の前で握っている。
「可能性を与える?」
ミュゼが小さく尋ねる。
「それが、こんな実験をする理由になるの?」
「この世界は、力のある者だけが選べる」
銀仮面の男は答えた。
「才能がある者は冒険者になれる。魔法が使える者は国に仕える。剣を振れる者は誰かを守れる」
男の声は静かだった。
「だが、何も持たぬ者はどうなる? 選ばれぬ者は、誰かに守られるだけだ。奪われるだけだ。失うだけだ」
「だから、無理やり力を与えるのか」
セレスが言う。
「ああ」
銀仮面の男は、迷いなく頷いた。
「誰もが力を得られる世界を作る。そのためなら、試行錯誤も、多少の犠牲も必要になる」
「多少?」
レイフィアの声が冷たく響いた。
「あなたたちは、人を壊した」
「壊れた者は、器として不十分だった」
銀仮面の男は、レイフィアを見た。
「お前の故郷も同じだ。力を与える技術が未完成だった。それだけのこと」
レイフィアの細剣が、わずかに震えた。
だが、彼女は踏み出さなかった。
ただ、静かに男を睨んでいた。
「あなたは、何も分かっていない」
「分かっている」
銀仮面の男は言う。
「痛みも、後悔も、無力さも」
仮面の奥の目が、セレスへ向く。
「だからこそ、お前が必要だ」
結晶から伸びる白銀の線が、セレスの手首へ反応した。
腕輪の下にある紋様が熱を持つ。
「俺が?」
「お前の紋様は完成している」
銀仮面の男はゆっくり歩き出す。
「力を奪わない。理解し、借りる。相手を壊さず、その可能性を引き出す」
男の声に、わずかな熱が混じる。
「我々がどれだけ求めても手に入らなかった力だ」
「だからって、渡すわけない」
セレスは剣を構える。
「それは俺の力だ」
「違う」
銀仮面の男の声が、低くなった。
「お前のものではない。女神の手違いで、偶然お前へ落ちたものだ」
その言葉に、セレスの表情が少しだけ揺れる。
「偶然手に入れた力を、自分のものだと言うのか?」
「……俺が選んだ力じゃないのは、本当だ」
セレスは答えた。
「でも」
剣を握る手に力を込める。
「今、どう使うかは俺が決める」
銀仮面の男が、初めてわずかに口元を歪めた。
「ならば、力のないお前を見てみよう」
男が指を鳴らす。
黒赤い鎖が、床から飛び出した。
「セレス!」
ガロンが前へ出る。
大剣を振るい、鎖を断ち切ろうとする。
しかし、鎖は刃をすり抜けた。
影のように床を這い、セレスの足首へ絡みつく。
「っ!」
引かれる。
セレスは剣を床へ突き立てて耐えた。
だが、鎖は次々に増えていく。
両腕。
腰。
首。
黒赤い鎖が、セレスの身体を縛り上げた。
「離せ!」
イリスが剣を振るう。
白い軌跡が鎖へ走る。
だが、鎖はイリスの剣を弾いた。
「術式そのものに繋がっている……!」
レイフィアが細剣を突き出す。
鎖の一点を狙う。
しかし、刺した瞬間、黒赤い光が逆流した。
「くっ……!」
レイフィアの手首の古い傷が熱を持ち、彼女が顔を歪める。
「無理に触らないで!」
ミュゼが叫ぶ。
「その鎖、偽紋様に反応してる!」
黒赤い鎖が、セレスを結晶の前へ引きずっていく。
石床を削りながら。
セレスは抵抗する。
だが、紋様の熱がどんどん強くなる。
結晶が呼んでいる。
違う。
銀仮面が、結晶を使って引き寄せている。
「セレス!」
ガロンが追いかける。
しかし、床から黒い壁がせり上がった。
ガロンの前を塞ぐ。
イリスとレイフィアが斬りつけても、壁はすぐに再生する。
「やめて!」
ミュゼの声が響く。
セレスは結晶の下へ引きずられた。
黒赤い鎖が、両手首を広げるように固定する。
腕輪が弾け飛び、石床へ転がった。
隠されていた白銀の紋様が、露わになる。
同時に。
巨大な結晶から、白い線が伸びた。
セレスの左手首へ。
「っ、あ……!」
痛みが走る。
白銀の紋様から、何かが引き抜かれていく。
熱。
光。
これまで何度も使ってきた、仲間の力を感じ取る感覚。
ガロンのように前へ立つ強さ。
ミュゼのように誰かを癒やしたいという優しさ。
イリスのように迷いを断つ鋭さ。
レイフィアのように痛みへ届く細い光。
それらを結ぶ感覚が。
一つずつ、身体から剥がされていく。
「やめろ……!」
セレスは叫ぶ。
だが、白銀の光は結晶へ吸い込まれていく。
銀仮面の男が、結晶の横に立った。
「見ろ」
男が手をかざす。
結晶から伸びた白銀の線が、黒赤い鎖へ流れ込む。
鎖に刻まれた偽紋様が、一瞬だけ白銀に変わった。
「これが完成すれば」
黒ローブたちの腕にある偽紋様が反応する。
遠く離れた場所。
この遺跡の外。
どこかで誰かが、白銀の光を宿す。
「誰もが、力を得られる」
「違う……」
セレスは、苦しみながら言った。
「それは……力じゃない」
「何?」
「お前は……人の願いを、使ってるだけだ」
銀仮面の男の目が細くなる。
「願いを使うことの何が悪い。力を望む者へ力を与える。それが救いではないのか」
「違う」
セレスは息を詰める。
「望んだ人が……壊れてる」
「弱いからだ」
「違う!」
セレスの声が、地下空間に響く。
「弱いからじゃない。お前たちが……一人で抱えさせるからだ」
黒ローブたち。
故郷を守りたかった者。
弟を守りたかった者。
才能がないと笑われた者。
誰もが一人で、強さを欲しがった。
そして黒ローブは、その願いに寄り添うふりをして。
その人たちを壊した。
「……綺麗事だ」
銀仮面の男は静かに言った。
「助けを求める者すべてを救えると思うのか」
「思わない」
セレスは答えた。
「でも、壊していい理由にはならない」
結晶の光がさらに強くなる。
セレスの身体から、白銀の光が引き抜かれていく。
左手首の紋様が、少しずつ薄れていった。
「セレス!」
石壁の向こうで、ミュゼの声が聞こえる。
ガロンが何度も壁を叩く音。
イリスとレイフィアが叫ぶ声。
それらが遠い。
身体に力が入らない。
剣を握る感覚さえ、薄れていく。
「……力を失ったら」
セレスは、ぼんやりと思った。
俺には何が残る。
無色。
何もない。
測れない。
誰かの力を借りられなくなったら。
俺は、また。
ただの無色なのか。
「見えるだろう」
銀仮面の男が言う。
「お前は、その力があったからこそ、仲間を得た。人々を救えた。評価された」
その言葉が、胸に刺さる。
「力がなければ、お前は何者でもない」
白銀の紋様が、ほとんど消えかける。
セレスの視界が暗くなった。
腕が重い。
足も動かない。
もう、何もできない。
そのとき。
闇の中で。
誰かが、ため息をついた。
『……あーあ』
聞き覚えのある声だった。
『だから言ったでしょ。あれ、けっこう大事なやつだって』
セレスは、ゆっくり目を開ける。
目の前には、真っ白な空間が広がっていた。
冷たい石床も。
黒赤い鎖も。
巨大な結晶もない。
ただ、どこまでも白い場所。
そして。
その中央に。
見慣れた女神が、困ったような顔で立っていた。
『やっぱり、こうなったかぁ……』
第三十六話を読んでいただき、ありがとうございます!
銀仮面は、セレスの紋様を使って「誰もが力を得られる世界」を作ろうとしています。
ただし、その方法は人の願いを利用し、壊れることを前提にしたものです。
そしてセレスは、紋様の力をほとんど奪われてしまいました。
次回、久しぶりに女神が登場します。
今回は少しだけ、いつもより真面目な話になる……かもしれません。
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