第三十三話 借りるのではなく、繋ぐ
力を借りる。
それが、セレスの紋様が持つ力でした。
けれど、一人で抱えるには、助けたい願いが少し多すぎたようです。
借りるのではなく、繋ぐ。
その答えは、すぐそばにいました。
銀仮面の男が消えた通路の先から、低い駆動音が響いていた。
ごうん、ごうん、と。
古い遺跡そのものが、ゆっくり目を覚ましているような音だった。
セレスたちは、倒れた黒ローブたちを見回す。
さっきまで暴走していた偽紋様は、完全に消えたわけではない。
黒赤い線は、今も手首や首筋に残っている。
ただ、激しく明滅していた光は弱まり、彼らの呼吸も少しずつ落ち着いていた。
「……全員、まだ生きてる」
ミュゼが一人ずつ確認しながら、小さく息を吐いた。
「でも、ひどい熱。紋様の影響が残ってる」
「ここに置いていくのは危険だな」
ガロンが、開いた通路を睨む。
その奥から漂う空気は冷たい。
けれど、どこか焦げたような匂いが混じっていた。
「敵がまた来る可能性もある」
レイフィアが言う。
「この人たちを連れて進むのは難しいわ。でも、置いていけば……」
言葉の続きを、誰も口にしなかった。
銀仮面の男は、実験兵たちを人間として扱っていない。
ここに残せば、また術式に繋がれ、暴走させられるかもしれない。
「運べる人を、入口側へ戻そう」
セレスは言った。
「ミュゼは治療を頼む。ガロンと俺で運ぶ」
「私たちは周囲を警戒する」
イリスが剣を抜く。
「急ぎましょう。あの男が待ってくれるとは思えない」
五人は手分けして、動けない実験兵たちを通路の手前へ移した。
ガロンが二人を抱え、セレスも一人ずつ運ぶ。
ミュゼは簡易的な回復魔法をかけながら、熱を抑えていった。
レイフィアとイリスは、石柱の陰や分かれ道を警戒している。
そのときだった。
遺跡の奥から、金属を擦るような音が響いた。
ぎ、ぎ、ぎ、と。
「来る」
レイフィアが細剣を構える。
次の瞬間。
暗い通路の奥から、黒い影が現れた。
人の形をしている。
だが、さっきまでの黒ローブたちとは違った。
全身を黒い鎧で覆い、胸元には赤い偽紋様が大きく刻まれている。
腕は異様に太く、両手には鎖付きの鉄球。
顔の半分は金属の面で隠され、残った片目だけが赤く光っていた。
「強化兵……」
レイフィアの声が硬くなる。
「黒ローブの実験体の中でも、戦うためだけに作られた連中よ」
「知ってるのか」
「……故郷で、見たことがある」
レイフィアの指が、細剣の柄を強く握った。
セレスはそれ以上聞かなかった。
今は、目の前の敵を止めることが先だ。
「ガロン、実験兵たちを守ってくれ」
「ああ」
「イリスとレイフィアは左右から。ミュゼは後ろで治療と補助を」
「セレスは?」
ミュゼが不安そうに見る。
「俺が、紋様を止める」
「一人で?」
「やってみる」
強化兵が、鉄球を振り上げた。
重い鎖が空気を裂く。
「散れ!」
ガロンの声とともに、五人が跳んだ。
鉄球が床へ叩きつけられる。
石床が大きく砕け、破片が飛び散った。
「重っ……!」
ガロンが大剣を構え、正面から踏み込む。
大剣と鉄球がぶつかり合い、鈍い衝撃が地下空間に響いた。
ガロンの足が、石床へ深く沈む。
「ガロン!」
「まだ、いける!」
ガロンは押し返し、大剣を振り抜いた。
だが、強化兵は片腕で受け止めた。
黒い鎧に傷が入る。
その下で、赤い偽紋様が脈打った。
次の瞬間、強化兵の腕が異常なほど膨れ上がる。
「っ!」
ガロンが弾き飛ばされた。
石柱へ背中からぶつかり、苦しげに息を吐く。
「大丈夫!?」
ミュゼが杖を向ける。
「まだだ!」
ガロンは立ち上がった。
けれど、腕が少し震えていた。
「真正面から押し切るタイプね」
イリスが低く言う。
「なら、力比べは避ける」
イリスが右から走る。
剣が鋭く閃き、強化兵の膝裏を狙った。
だが、鉄球の鎖が横から飛んできた。
イリスは身をひねって避ける。
その隙に、強化兵が拳を振り下ろした。
「イリス!」
レイフィアの細剣が、強化兵の肘を正確に突く。
衝撃で軌道がずれ、拳は石床を砕いた。
「助かった」
「まだ礼は早いわ」
レイフィアは短く言い、強化兵から距離を取る。
「こいつ、痛みを無視してる。関節を狙っても止まらない」
「中の人がいる」
セレスは強化兵の胸元を見る。
黒い鎧の隙間から、皮膚が見えた。
そこに刻まれた大きな偽紋様。
赤い線は、胸から首、顔の下まで伸びている。
あれを止めれば。
少なくとも、この人を止められる。
「ミュゼ、俺に加護をかけられるか」
「できる。でも、さっきの紋様の力を使った直後だよ。無理したら……」
「一度だけでいい」
ミュゼは迷った。
それから、杖を握り直す。
「分かった。でも、絶対に無茶しないで」
淡い緑の光が、セレスを包む。
身体の痛みが少しだけ和らぎ、足に力が戻る。
「行く」
セレスは剣を構え、強化兵へ踏み込んだ。
鉄球が振るわれる。
避ける。
鎖が地面を叩く。
踏み込む。
強化兵の拳が迫る。
セレスは剣で受け流し、その懐へ入った。
「止まれ!」
胸元の偽紋様へ、左手を伸ばす。
白銀の紋様が熱を持つ。
指先が触れた瞬間。
赤い光が、爆ぜた。
「っ、あ……!」
頭の中に、また知らない感情が流れ込む。
暗い部屋。
幼い弟。
空腹で泣いている。
自分は何もできない。
日雇いの仕事も続かない。
魔物討伐の依頼も、才能がないから受けられない。
強くなれれば。
金を稼げれば。
弟を守れる。
「力が……欲しかった」
強化兵の声が、かすかに聞こえた。
赤い目の奥に、苦しそうな光が揺れている。
「でも……身体が……言うことを……」
「分かってる」
セレスは手を離さなかった。
「だから止める」
白銀の光を、偽紋様へ流し込む。
けれど。
強化兵の紋様は、さっきの実験兵たちとは比べものにならないほど深く根を張っていた。
黒赤い線が、セレスの腕に絡みつく。
焼けるような痛み。
意識が引きずられる。
「セレス!」
ミュゼの声が遠くなる。
目の前の強化兵だけじゃない。
倒れている実験兵たち。
遺跡の奥。
この場所に残された、数え切れないほどの願いと絶望。
強くなりたい。
守りたい。
認められたい。
失いたくない。
黒赤い感情が、濁流のように流れ込んでくる。
「……一人じゃ、無理だ」
セレスの膝が折れかける。
白銀の光が、黒赤い光に飲まれていく。
「離れろ!」
ガロンが叫ぶ。
だが、セレスは首を振った。
「離れたら……こいつが壊れる」
「でも、そのままじゃお前が壊れる!」
イリスの声が飛ぶ。
セレスは息を詰めた。
どうすればいい。
力を借りる。
相手の特性を理解して、一部を使う。
これまでは、それで戦えた。
でも今は。
この人を止めるために、強さだけを借りても意味がない。
守りたいという願い。
苦しみ。
失いたくないという気持ち。
それを一人で受け止めるには、多すぎる。
「セレス」
ガロンが、セレスの肩へ手を置いた。
大きく、温かい手だった。
「一人で抱え込むな」
次に。
ミュゼが、セレスの背中へ触れる。
「私もいるよ」
イリスが、セレスの横へ立つ。
「あなたが助けたいなら、私たちも助ける」
最後に。
レイフィアが、セレスの手首を掴んだ。
白銀の紋様を覆うように。
「今度は、私も逃げない」
四人の言葉が。
触れた手の温度が。
セレスの中へ、静かに届く。
借りるのではない。
奪うのでもない。
自分一人で抱え込むのでもない。
ただ。
隣にいる仲間と、一緒に受け止める。
その瞬間。
セレスの白銀の紋様が、大きく輝いた。
これまでとは違う光だった。
一本の線ではない。
白銀の紋様から伸びた光が、ガロン、ミュゼ、イリス、レイフィアの手首へ細く繋がっていく。
「なに、これ……」
ミュゼが驚いた声を漏らす。
ガロンの身体を包んでいた強い気配。
ミュゼの柔らかな魔力。
イリスの研ぎ澄まされた剣気。
レイフィアの鋭くしなやかな気配。
それぞれが、白銀の線を通じてセレスへ流れ込んでくる。
違う。
これは借りているわけじゃない。
誰かの力が失われるわけでもない。
五人の力が、同じ場所へ集まっている。
「繋がってる……」
セレスは呟いた。
強化兵の偽紋様に触れたまま、白銀の光を広げる。
ガロンのように、押し返す強さ。
ミュゼのように、傷を癒やす温かさ。
イリスのように、迷いを断ち切る鋭さ。
レイフィアのように、痛みの奥へ届く細い光。
それらが一つになって、黒赤い偽紋様へ流れ込んだ。
「戻れ」
セレスは言った。
「お前の力は、お前のものだ」
黒赤い紋様が、激しく暴れる。
けれど、白銀の光は押し返されなかった。
黒い線を切るのではなく。
絡まった糸を、一本ずつほどくように。
偽紋様の深くへ入り込んでいく。
強化兵の身体が震えた。
鉄球が、床へ落ちる。
赤く光っていた片目から、濁りが少しずつ消えていった。
「……弟」
男の口から、弱い声が漏れる。
「帰ら……ないと」
「ああ」
セレスは答えた。
「帰れ」
白銀の光が弾けた。
強化兵の胸元にあった偽紋様が、ひび割れる。
黒赤い光が砕け、霧のように空へ消えた。
男の身体がゆっくりと崩れ落ちる。
ガロンがすぐに受け止めた。
「生きてる」
ミュゼが駆け寄り、胸元へ手を当てる。
「熱も下がってきてる……!」
セレスは、その場に膝をついた。
左手首の紋様が、まだ淡く光っている。
そこから伸びた白銀の線は、仲間たちの手首へ繋がったままだった。
ガロンがセレスの隣へ座る。
「大丈夫か」
「少し、疲れた」
「少しか?」
イリスが呆れたように息を吐く。
「顔色、すごく悪いわよ」
「でも、前よりは大丈夫」
セレスは自分の手首を見る。
仲間と繋がっている感覚。
それは、力が増えたというだけではなかった。
一人では抱えきれないものを、五人なら受け止められる。
そんな確かな感覚があった。
「これが、セレスの新しい力……」
ミュゼが、白銀の線を見つめる。
「すごいね。でも、ちょっとくすぐったい」
「くすぐったいのか?」
ガロンが不思議そうに聞く。
「うん。なんか、みんなが近くにいる感じ」
「実際、近くにいるだろう」
「そういう意味じゃないよ」
ミュゼが少し頬を膨らませた。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
レイフィアは白銀の線を見つめたまま、静かに呟いた。
「……これなら」
言葉が途切れる。
けれど、セレスには分かった。
彼女が何を思ったのか。
一人で逃げた過去。
誰かを置いていった後悔。
今は、もう違う。
「レイフィア」
セレスが呼ぶ。
レイフィアは顔を上げた。
「次も、一緒に行く」
セレスは開いた通路の奥を見る。
白銀の光が、さらに強くなっていた。
「あの男を止める」
レイフィアは、ゆっくり頷く。
「ええ。一緒に行くわ」
そのとき。
遺跡全体が、大きく揺れた。
石柱に刻まれた白銀の紋様が、次々に明滅する。
開いた通路の奥から、黒赤い光が溢れ出した。
そして。
レイフィアの手首に触れていた白銀の線が、一瞬だけ黒く染まった。
「……っ」
レイフィアが息を呑む。
細剣を持つ手が、震えた。
手首にある古い傷跡のあたりへ、黒赤い線がゆっくりと浮かび上がる。
「レイフィア!?」
ミュゼが叫ぶ。
レイフィアは手首を押さえ、苦しそうに膝をついた。
「大丈夫……これは……」
だが、その声は震えていた。
黒赤い線は、止まらない。
まるで遺跡の奥にある何かが。
レイフィアの過去を見つけ出し、引きずり出そうとしているように。
第三十三話を読んでいただき、ありがとうございます!
セレスの紋様は、「借りる」だけではなく、仲間の力と想いを繋ぐ新しい段階へ進みました。
ただし、力が増えれば、それだけ敵にも見つかりやすくなります。
そして遺跡は、レイフィアがずっと抱えてきた過去にも反応し始めました。
次回は、レイフィアの故郷で起きた偽紋様事件と、彼女が今度こそ逃げずに向き合う戦いです。
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