第二十四話 残された傷跡
偽物の紋様が暴走し、街中が大騒ぎになった翌日。
ギルドではたぶん、真面目な話をする。
……たぶん。
でも、ミュゼが「限定プリン、おいしかったね!」と言い出す確率も高い。
翌朝。
冒険者ギルドの応接室には、いつもより重い空気が流れていた。
セレスたちの前には、ギルドマスター。
その隣には、衛兵隊の責任者らしい鎧姿の男が座っている。
机の上には、昨日の騒ぎについてまとめられた報告書が置かれていた。
「まず、昨日の対応に礼を言う」
ギルドマスターが口を開いた。
「市民に大きな被害が出る前に、あの暴走を止められた。お前たちがいなければ、もっと厄介なことになっていたはずだ」
「助けられたなら、それでいい」
セレスは短く答えた。
隣でミュゼが、うんうんと頷いている。
「でも、プリンもちゃんと助けられたよね」
「ミュゼ」
「大事なことだよ」
小さな声だったが、室内は静かだったため、全員に聞こえた。
ガロンが片手で顔を覆う。
イリスは口元を押さえ、笑いをこらえていた。
レイフィアは呆れたように息を吐く。
「……この状況で言うこと?」
「だって、せっかく買ってくれてたんだよ」
ミュゼはレイフィアを見る。
「すごくおいしかった。ありがとう、レイフィア」
まっすぐな言葉に、レイフィアはわずかに視線を逸らした。
「別に。あれくらい、どうってことないわ」
「でも嬉しかったよ」
「……そう」
レイフィアはそれ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ表情が柔らかくなっていた。
ギルドマスターは咳払いを一つした。
「話を戻すぞ」
「すみません」
ミュゼが素直に頭を下げる。
「昨日の男は、命に別状はない。今は衛兵の監視下で治療を受けている」
「話は聞けたのか?」
ガロンが尋ねる。
「断片的にな」
衛兵隊の責任者が、低い声で答えた。
「男の名はバルド。元はこの町で日雇いの仕事をしていた。半年前に借金を抱え、仕事を失い、そこへ黒いローブの連中が近づいたらしい」
「力をくれる、と?」
イリスが尋ねる。
「ああ。強くなれば金を稼げる。誰にも負けない力を与える。そう言われたそうだ」
セレスは左手首の腕輪に触れる。
その下の紋様は、何も反応していない。
けれど、昨日の偽紋様は、まだ手のひらに残っているような気がした。
「バルドは、自分から紋様を入れた」
衛兵隊の男は続ける。
「最初は力が増したらしい。荷物を軽く持てるようになり、疲れにくくなった。だが数日後、腕に痛みが走り、眠れなくなり、声が聞こえるようになった」
「声?」
「『本物を探せ』『力が足りない』と」
室内の空気が冷える。
ミュゼが、ぎゅっと両手を握った。
「ひどい……。そんなの、力をくれるんじゃないよ」
「ああ」
衛兵隊の男は重く頷いた。
「人を道具にしているだけだ」
レイフィアは、ずっと黙っていた。
机の上に視線を落とし、右手を強く握りしめている。
セレスはその様子を見ていた。
レイフィアは、昨日も似たようなものを見たことがあると言った。
きっと、彼女にはこの件と繋がる過去がある。
「レイフィア」
セレスが呼ぶ。
レイフィアは顔を上げた。
「何」
「知っていることがあるなら、話せる範囲でいい」
「……」
すぐには答えなかった。
しばらく沈黙が続く。
ギルドマスターも、衛兵隊の責任者も急かさない。
やがて、レイフィアは小さく息を吐いた。
「私の故郷の近くに、小さな村があった」
その声は、普段より少し低かった。
「五年くらい前。村の若者が何人もいなくなったの」
ミュゼが息を呑む。
「最初は、仕事を探しに町へ出たんだと思われていた。でも違った」
レイフィアは続ける。
「少しして帰ってきた人たちがいた。みんな、前より強くなったって言ってた」
「同じ紋様が?」
セレスが尋ねる。
「似たようなものよ。黒くて、赤くて……皮膚に焼きついたみたいな紋様」
レイフィアの手が震えた。
「でも、力を使うたびに壊れていった。怒りっぽくなって、眠れなくなって、最後には自分が何をしているのかも分からなくなった」
静かな部屋に、レイフィアの声だけが響く。
「村の人たちは助けようとした。でも……遅かった」
言葉の続きはなかった。
それでも、十分に伝わった。
セレスは何も言わない。
慰めの言葉を探すより、今は聞くべきだと思った。
「そのとき、私は何もできなかった」
レイフィアは細く息を吐く。
「細剣を持っていたのに。強くなりたくて、毎日鍛えていたのに……怖くて、逃げた」
「レイフィア」
ミュゼが、そっと呼ぶ。
「怖いのは、悪いことじゃないよ」
「でも」
「私だって怖いよ。昨日も、すごく怖かった」
ミュゼは笑おうとして、少しだけ失敗した。
「だけど、ガロンがいて、セレスがいて、イリスがいて、レイフィアもいたから……頑張れたんだと思う」
レイフィアはミュゼを見る。
「だから、昨日は逃げなかったんだよ」
その言葉に、レイフィアの瞳がわずかに揺れた。
イリスが腕を組み、静かに口を開く。
「一人で全部背負う必要はないわ」
「私たちも、あの黒ローブたちが関わっているなら無関係ではいられない」
ガロンも頷く。
「地下水路の件も、昨日の件も同じ連中の仕業なら、放っておけばもっと被害が出る。見つけたら止める。それでいいだろ」
セレスはレイフィアへ視線を向ける。
「俺たちで追う」
「……私も行くわ」
レイフィアの答えは、迷いのないものだった。
「今度は、逃げない」
その言葉に、ギルドマスターが頷いた。
「ならば、正式に調査依頼を出す」
机の引き出しから、一枚の羊皮紙が取り出される。
「依頼内容は、黒ローブの集団と偽紋様に関する情報収集。危険度は高い。だが、昨夜の現場から一つ手がかりが見つかっている」
羊皮紙には、町の地図が描かれていた。
東側の古い倉庫街に、赤い印がついている。
「昨日の男の服と、粘液の残滓から、同じ種類の薬草と鉱石の粉末が検出された。どちらも、倉庫街にある廃倉庫へ運び込まれた記録がある」
「廃倉庫?」
ミュゼが首を傾げる。
「昔は商会が使っていた建物だ。今は所有者も不明で、近づく者も少ない」
「怪しいですね」
イリスが地図を見つめる。
「正面から入るなら、相手も警戒しているはず」
「なら、まずは様子を見る」
セレスが言う。
「中に誰がいるか。偽紋様を作っている場所なのか。それを確かめてから動く」
ギルドマスターは、しばらくセレスを見た。
それから、静かに頷く。
「無理はするな。お前たちはすでに、十分に目をつけられている可能性がある」
「分かってる」
応接室を出たあと。
ギルドの廊下を歩きながら、ミュゼは小さく伸びをした。
「なんだか、急に大きな話になってきたね」
「最初から小さくはなかっただろ」
ガロンが言う。
「地下水路で変な術式を見つけた時点で、普通の依頼じゃなかった」
「でも、今度は私たちから調べに行くんだよね」
ミュゼの声には、不安と少しの緊張が混ざっていた。
「怖い?」
セレスが尋ねる。
「……ちょっとだけ」
ミュゼは正直に答えた。
「でも、行くよ。助けられる人がいるかもしれないし」
「私も行くわ」
レイフィアが言った。
「倉庫街には、気をつける場所が多い。昔から使われていない建物は、逃げ道も隠れ場所も多いから」
「詳しいんだな」
「……昔、少しだけ探検したことがあるの」
レイフィアは言ってから、少しだけ眉をひそめた。
「子どものころよ。別に、褒められることじゃないわ」
「探検?」
ミュゼの目が輝く。
「じゃあ、隠れ道とか知ってる?」
「知ってるわけないでしょ。五年も前の話よ」
「でも、ちょっと楽しそう」
「楽しむところじゃない」
イリスが横から言った。
「でも、レイフィアの知識は役に立つかもしれないわね」
「……そうね」
レイフィアは小さく頷いた。
セレスたちは、その日のうちに倉庫街へ向かうことを決めた。
ただし、依頼は調査。
敵を見つけても、まずは情報を得ることが優先だ。
そう確認してから、宿へ戻り、装備を整える。
セレスが新しい外套の留め具を確かめていると、部屋の扉が軽く叩かれた。
「入っていい?」
ミュゼの声だった。
「いい」
扉を開けると、ミュゼが小さな袋を持って立っていた。
「これ、持っていって」
袋の中には、果実の焼き菓子が入っていた。
「残しておいたのか?」
「うん。戦う前は、お腹が空いてると力が出ないから」
「ミュゼはいつも食べ物のことを考えているな」
「大事なことだよ」
セレスは袋を受け取る。
少しだけ、温かい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ミュゼは笑った。
部屋の外へ戻りかけて、ふと思い出したように振り返る。
「セレス」
「何だ」
「今度は、みんなでちゃんと帰ろうね」
セレスは一瞬だけ黙った。
地下水路で見たもの。
昨日、苦しんでいた男。
レイフィアが失った村の人たち。
誰かを助けることは、いつだって簡単ではない。
それでも。
「帰る」
セレスは答えた。
「全員で」
ミュゼは、安心したように頷いた。
その夜。
東の倉庫街。
月明かりの届かない廃倉庫の中で、黒ローブの男たちが動いていた。
「実験体の一体が停止しました」
「分かっている」
低い声が返る。
「本物が介入した。むしろ、想定以上の成果だ」
机の上には、黒と赤の液体が入った小瓶が並んでいる。
その隣には、ヴェルンハイムの地図。
いくつもの赤い印のうち、一つだけが消されていた。
「次は予定を早める」
黒ローブの男は、地図の中心にある印へ指を置く。
そこは、冒険者ギルドだった。
「本物がこちらへ来る前に、街に紋様を刻む」
暗い倉庫の奥で。
黒と赤の光が、ゆっくりと脈打ち始めた。
あとがき
第二十四話を読んでいただき、ありがとうございます!
偽紋様の暴走事件の後始末と、レイフィアが抱えていた過去が少し明らかになりました。
黒ローブたちが作っているものは、ただの危険な魔法具ではありません。
力を求める人の弱さを利用し、壊れるまで使い潰すためのものです。
次回、セレスたちは黒ローブの手がかりを追って倉庫街へ向かいます。
ただし敵も、セレスたちの動きを待っているようです。
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