第二十話 水路のあと、湯気の向こう
地下水路編、ひとまず決着です。
今回は粘液まみれになった冒険者たちが、戦闘後の大事な仕事――お風呂に入ります。
強敵を倒した後のお湯は、たぶん経験値が三倍くらい入るはずです。
地下水路を出た時には、外はすっかり夕暮れになっていた。
ヴェルンハイムの石造りの街並みが、赤い光に染まっている。
行方不明だった三人の冒険者は、ミュゼの回復魔法と街の衛兵たちの手当てによって、どうにか歩けるまで回復していた。
「本当に……助かった」
三人組の中で一番年上らしい男が、深く頭を下げる。
「俺たちは、ただの水路調査だと思っていたんだ。最近、下層で魔物が増えたから確認してこいって、ギルドから依頼が出て……」
「それで、あの粘液に捕まったの?」
ミュゼが心配そうに尋ねる。
「ああ。最初は小さなスライムだった。だが、奥へ進むうちに……急に壁から粘液が溢れてきた」
男は青ざめた顔で、震える手を握った。
「逃げようとした。その時、見たんだ」
セレスたちは自然と表情を引き締める。
「何を?」
イリスが短く問う。
「黒いローブを着た男だ。水路の奥に立っていた。あいつは粘液に囲まれていたのに、襲われていなかった」
「魔物を操っていた?」
「分からない。ただ……あいつは笑っていた。『これで条件は満たせる』って」
男の言葉に、その場の空気が冷える。
「条件?」
レイフィアが眉をひそめる。
「何の条件よ」
「そこまでは……。粘液に捕まって、それから意識が……」
男は悔しそうに俯いた。
セレスは黙って、手首の紋様を見下ろす。
地下水路で感じた違和感。
自然に育ったにしては不自然な魔物。
水路全体に広がっていた粘液。
そして、黒いローブの男。
誰かが、あの魔物を意図的に使っていた。
「……面倒な匂いがするな」
ガロンが腕を組む。
「街の地下で魔物を育てるなんて、まともな人間のやることじゃない」
「まともじゃない相手ほど、厄介なんですよねぇ……」
ミュゼが小さく肩を落とした。
「とりあえず、ギルドへ報告しましょう。衛兵さんにも、地下水路を封鎖してもらわないと」
「そうね」
イリスが頷く。
「下手に誰かが入り込めば、残った粘液に襲われるかもしれない」
「私も同行するわ」
レイフィアが言った。
「今回の件は、私にも関係がある。街の地下に得体の知れないものがいるなら、放っておく気はない」
「へえ。まだ一緒に来るんだ」
セレスが何気なく言うと、レイフィアは一瞬だけ目を細めた。
「悪い?」
「いや。助かる」
「……そう」
それだけ言って、レイフィアは少しだけ顔を背けた。
ミュゼがセレスの袖を引っ張る。
「セレスさん、今の見ました?」
「何を?」
「レイフィアさん、ちょっと嬉しそうでした!」
「聞こえてるわよ!」
即座に飛んできた声に、ミュゼは「ひゃっ」と肩をすくめた。
ガロンが小さく笑う。
「仲がいいじゃねえか」
「どこがですか!?」
「どこがよ!」
二人の声が、見事に重なった。
夕暮れの街に、しばらくガロンの豪快な笑い声が響いた。
ギルドへの報告は、思った以上に時間がかかった。
救出された三人の証言。
地下水路に現れた巨大な粘液魔物。
黒いローブの人物。
そして、水路の一部に残っていた不自然な魔力の痕跡。
受付嬢は何度も書類を書き直し、最後には疲れ切った顔で頭を下げた。
「皆さま、本当にお疲れさまでした。水路はただちに封鎖し、ギルドからも調査隊を向かわせます」
「無理に強い人だけで行ってくださいね」
ミュゼが真剣な顔で言う。
「さっきの魔物、普通のスライムだと思って近づいたら危ないです」
「はい。今回の報告は、緊急案件として扱います」
受付嬢は頷き、セレスへ視線を向けた。
「それと……セレスさん。今回の討伐については、特別報酬が出る可能性があります。正式な査定が済み次第、ご連絡しますね」
「特別報酬?」
ミュゼの目が輝く。
「それなら、ご飯をちょっと豪華にできますね!」
「先に装備の手入れだろ」
ガロンがセレスたちの服を見て、苦笑した。
地下水路での戦いを終えた一行の装備は、粘液と汚れで悲惨なことになっていた。
セレスの白い髪にも、いつの間にか黒緑色の粘液が少しだけ付いている。
「うわ……」
ミュゼが近づいて、セレスの髪を見た。
「セレスさん、髪に付いてます」
「本当だ」
「動かないでくださいね」
ミュゼが指先で粘液を取ろうとする。
だが。
ぷるん。
粘液はミュゼの指にくっついた。
「ひゃっ!?」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です! ただ、想像以上に弾力が……!」
「そこまで報告しなくていい」
セレスが少し笑うと、ミュゼは顔を赤くした。
「だって、気になるじゃないですか!」
「ミュゼ。それ以上触ると、余計に汚れるわよ」
イリスが呆れた声を出す。
「まずは宿に戻って洗い流しましょう。こんな格好で街を歩くのは、さすがに目立つ」
「賛成」
レイフィアが即答した。
いつもより少し早い返事だった。
セレスが首を傾げる。
「レイフィアも気になるんだ」
「当たり前でしょう。私の服まで粘液だらけなのよ」
レイフィアは赤い髪の先に付いた粘液を見て、露骨に嫌そうな顔をする。
「お気に入りだったのに」
「へえ。お気に入りなんだ」
「何よ」
「いや、そういうの気にするんだなって」
「気にするに決まってるでしょ!」
レイフィアは鋭く言い返した後、少し間を置いた。
「……女の子なんだから」
その声が思ったより小さくて、セレスは一瞬だけ黙った。
前世では、そんなことを言われる側ではなかった。
今は、女の子として見られることが増えた。
自分でも、まだ少しだけ慣れない。
「……そうだね」
セレスが答えると、レイフィアは何か言いかけて、やめた。
「ほら、行くわよ。いつまでここにいるつもり?」
そう言って、先にギルドの出口へ向かう。
ミュゼはセレスの隣に並び、にこにこと笑った。
「セレスさん、今のレイフィアさん、ちょっと可愛かったですね」
「聞こえてるわよ!」
「また聞こえてました!?」
「わざとだろ」
ガロンのツッコミに、ミュゼは慌てて首を振った。
「ち、違いますってば!」
宿へ戻ると、女将は一行の姿を見て、しばらく言葉を失った。
「……あんたたち。沼にでも落ちたのかい?」
「地下水路です」
セレスが答える。
「それは、沼より面倒そうだねえ」
女将はため息をつきながらも、すぐに桶とタオルを用意してくれた。
「湯を沸かしてあるから、順番に使いな。服は裏へ回して洗っておくよ。ただし、粘液が落ちなかったら追加料金だからね」
「それは困る!」
ミュゼが悲鳴のような声を上げる。
「大丈夫だ。俺が払う」
ガロンが言うと、ミュゼはほっと息をついた。
「ガロンさん、頼りになります……!」
「ただし、次から変なものに飛び込む前に一回考えろ」
「飛び込んでません! 飛んできたんです!」
「似たようなもんだ」
「全然違います!」
そんなやり取りをしながら、ガロンは男湯の方へ向かっていった。
残ったのは、セレス、ミュゼ、イリス、レイフィアの四人だった。
女将がにやりと笑う。
「女の子たちは、こっちの大きい湯を使いな」
「え?」
セレスが固まる。
「四人で?」
「当然でしょ。湯は限りがあるんだからね」
「でも……」
前世の感覚が、今さらになって大きな警報を鳴らし始めた。
セレスは助けを求めるように、イリスを見る。
だがイリスは、特に気にした様子もなく答えた。
「別にいいでしょう。全員、粘液だらけなんだし」
「私は気にしないよ!」
ミュゼが元気よく手を上げる。
「むしろセレスさんとお風呂、一緒に入ってみたかったです!」
「ミュゼ」
「はい?」
「今、それを言う?」
「え?」
ミュゼはきょとんとしている。
レイフィアは腕を組み、少しだけ考えるように目を閉じた。
「……私は別に構わないわ」
「レイフィアまで」
「何よ。嫌なの?」
「嫌というか」
「なら、決まりね」
話が早い。
セレスは逃げ道がなくなったことを悟った。
「……分かった」
「よし!」
ミュゼが両手を上げて喜ぶ。
なぜそんなに嬉しそうなのか、セレスにはよく分からない。
しばらくして。
湯気が立ち込める浴場に、四人の声が響いていた。
「わあ……生き返ります……!」
最初に湯へ浸かったミュゼが、幸せそうに息を吐く。
「地下水路の後のお風呂って、最高ですねぇ」
「それは分かる」
セレスも肩まで湯に浸かり、目を細めた。
冷えていた身体が、ゆっくりと温まっていく。
髪も服も粘液だらけだったせいで、戦いが終わった実感よりも先に、ようやく落ち着けた気がした。
「セレス」
隣からイリスの声がする。
「ん?」
「髪、まだ少し汚れが残ってる」
「本当?」
「動かないで」
イリスはセレスの後ろへ回り、髪を丁寧に洗い始めた。
指先が髪をすくう感触に、セレスの身体がわずかに固くなる。
「力、入りすぎ」
「……こういうの、慣れてないから」
「髪を洗われるのが?」
「いや。誰かに、こういうことをしてもらうのが」
イリスの手が、少しだけ止まった。
「……そう」
それ以上は聞かず、イリスは静かに髪を洗い続けた。
普段は鋭い言葉ばかりなのに、その手つきは思ったよりずっと優しかった。
「セレスさん、私も洗います!」
ミュゼが反対側から近づいてくる。
「ちょっと待って。二人がかりじゃなくても――」
「駄目。こっちは私がやる」
イリスが言う。
「えーっ。イリスさんだけずるいです!」
「ずるくない」
「じゃあ、背中は私がやります!」
「それも私が――」
「二人とも」
セレスが止めると、二人は同時に口を閉じた。
湯気の中で、なぜか視線がぶつかっている。
「順番にすればいいんじゃない?」
セレスが言うと、ミュゼはぱっと笑顔になった。
「それです!」
イリスは小さく息を吐く。
「……そうね」
「なんだか、人気者ね」
少し離れた場所で湯に浸かっていたレイフィアが、面白くなさそうに言った。
「そんなことないよ」
「自覚がないのが一番面倒なのよ」
「どういう意味?」
「別に」
レイフィアは顔を背けた。
その時、ミュゼがレイフィアの背後へ回る。
「レイフィアさんも、髪洗います?」
「え?」
「ほら、赤い髪、粘液が残ったら大変ですし」
「私は自分で――」
「遠慮しないでください!」
ミュゼはにこにこと笑いながら、レイフィアの長い髪に手を伸ばした。
「ちょ、ミュゼ。引っ張らないで」
「大丈夫です! 丁寧にやりますから!」
「今、少し引っ張った!」
「気のせいです!」
湯気の向こうで、レイフィアの声とミュゼの笑い声が重なる。
セレスはその様子を眺めながら、思わず笑ってしまった。
地下水路では、誰が次に傷つくか分からなかった。
街の地下には、まだ不穏な影が残っている。
それでも今だけは。
仲間たちが笑っているこの時間が、少しだけ嬉しかった。
その夜。
全員が眠りについた頃。
ヴェルンハイムの地下水路、そのさらに奥。
松明の火が届かない闇の中で、黒いローブの人物が立っていた。
足元には、砕けた赤い核の欠片が落ちている。
「失敗、か」
低い声が響く。
男はしゃがみ込み、核の欠片を拾い上げた。
その手の甲には、セレスと同じような紋様が刻まれていた。
ただし、その紋様は。
黒く、濁っていた。
「……次は、もう少し上手くやろう」
闇の奥で、誰かの笑い声がした。
あとがき
第二十話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は少し日常寄りの回でしたが、黒ローブの人物と、セレスに似た紋様も登場しました。
「無色」「借り物の力」「地下水路の異変」が、少しずつ繋がり始めます。
そして次回は、ギルドから正式な報酬と新しい依頼が届く予定です。
セレスたちは少し休めるのか、それともまた面倒ごとに巻き込まれるのか……。
続きが気になる、セレスたちのやり取りが好きだと思っていただけたら、
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