第十九話 水底に眠るもの
地下水路編、いよいよ大物が出てきます。
なお、今回の敵はかなりベタベタします。
セレスたちの装備と精神力が無事かどうか、見守っていただけると嬉しいです。
水路の奥へ進むほど、空気は重くなっていった。
湿った石壁には、ぬめりを帯びた何かが広がっている。松明の火が揺れるたび、それは生き物のようにわずかに蠢いて見えた。
「……気持ち悪いな」
ガロンが低く呟き、大剣を握り直す。
「さっきの魔物と同じ粘液かしら」
イリスが壁際へ視線を向ける。
「でも、量が多すぎます……。まるで、水路全体が飲み込まれてるみたい」
ミュゼの声には、隠しきれない不安が混じっていた。
先頭を進んでいたレイフィアが、不意に足を止める。
「待って」
その一言で、五人の動きが止まった。
水の流れる音に混じって、かすかな音が聞こえる。
……カン、カン。
石を叩くような、小さな音だった。
「誰か、いるのか?」
ガロンが声を潜める。
セレスは松明を掲げ、音のした方へ近づいた。
通路の先には、半ば崩れた鉄格子があった。その奥は小さな作業用の空間になっているらしく、壊れた木箱や錆びた道具が散らばっている。
そして、その隅に。
「……人だ」
壁にもたれかかるようにして、三人の冒険者が倒れていた。
一人は意識を失い、残る二人も顔色が悪い。装備は粘液に汚れ、剣や杖は近くに転がっていた。
「行方不明の三人組……!」
ミュゼが駆け寄ろうとしたが、セレスは片手を上げて止めた。
「待って。近づかない方がいい」
「え?」
三人の周囲には、壁に広がっていたものと同じ粘液が、糸のように絡みついていた。
まるで逃がさないように。
その時、倒れていた一人がわずかに呻いた。
「……に、げろ……」
「聞こえるか?」
ガロンが慎重に問いかける。
男は薄く目を開け、こちらへ焦点の合わない視線を向けた。
「奥に……いる……。水の……主が……」
次の瞬間だった。
べちゃり、と。
天井から垂れていた粘液が大きく脈打った。
「下がれ!」
レイフィアの声と同時に、粘液の触手が床を叩きつける。
石畳が砕け、破片が飛び散った。
セレスたちはとっさに後方へ飛び退く。
「今の、壁から出てきたのか!?」
「違うわ」
イリスが剣を構え、奥の闇を睨む。
「水路そのものが、何かに操られてる」
低い水音が、暗闇のさらに奥から響いた。
ごぼり。
ごぼり、ごぼり。
水面が泡立つような音。
松明の光が届かない場所で、何か巨大なものがゆっくりと動いた。
「……来るぞ」
ガロンが前に出る。
ミュゼはすぐに詠唱を始め、淡い光を仲間たちへと広げた。
「プロテクト、二重に掛けます! 怪我してる人たちにも……!」
「無理はするな。まずは自分たちを守れ」
「でも……!」
「助けるためにも、生き残る」
ガロンの言葉に、ミュゼは一瞬だけ唇を噛み、それから強く頷いた。
「……分かりました!」
光が五人を包み込む。
その直後、水路の奥に溜まっていた濁った水が、大きく盛り上がった。
水ではない。
粘液だった。
無数の粘液が集まり、絡み合い、巨大な塊となって形を作っていく。
やがて現れたのは、人の背丈を遥かに超える、異形の魔物だった。
全身は黒緑色の粘液に覆われ、中心には赤く濁った核のようなものが浮かんでいる。
腕の代わりに太い触手を何本も伸ばし、その一つ一つが石壁を削り取っていた。
「……水路に住みついた魔物、って規模じゃないわね」
レイフィアが細剣を抜く。
「知ってるのか?」
「昔、資料で見たことがある。下層に溜まった魔力や汚れを取り込んで肥大化する粘液種――アビススライム」
レイフィアの声が、少しだけ険しくなる。
「放っておけば、水路を伝って街中に広がる。行方不明者を取り込んでいたのも、こいつでしょうね」
「じゃあ、倒すしかないか」
セレスは前へ出た。
手首の紋様が、熱を帯びる。
今までとは違う。
ただ相手の力を借りようとしているだけではない。
目の前の魔物は、水路を巣にしている。
粘液で人を捕らえ、飲み込み、取り込んだものを自分の一部に変えている。
その性質が、妙に鮮明に伝わってきた。
【対象:アビススライム
特性を検出――部分継承を実行】
視界の端に文字が浮かぶ。
だが、その直後。
【対象理解度:不足
継承効率:低下】
「……やっぱり、そう簡単にはいかないか」
「何か言った?」
イリスが横目で尋ねる。
「まだ、借りられる力が浅いだけ」
セレスは短く答え、剣を構えた。
アビススライムの触手が、五人へ向けて一斉に振り下ろされる。
「散れ!」
ガロンの声に合わせ、それぞれが左右へ飛ぶ。
轟音とともに石畳が砕け、粘液が飛び散った。
「うわっ、服についたら落ちなさそう!」
「そこ、気にするところかよ!」
叫びながらも、ミュゼはすぐに回復魔法を展開する。
イリスとレイフィアは別々の角度から走り、触手の根元を狙って斬り込んだ。
しかし、細剣と剣が粘液を切り裂いても、切断面はすぐに蠢き、元通りに繋がっていく。
「再生する!」
「核を狙わないと駄目みたいね!」
レイフィアが飛び退きながら叫ぶ。
その赤い核は、粘液の奥深くに沈んでいる。
正面から突っ込めば、触手に捕らえられる。
「ガロン、正面を頼める?」
「言われなくてもやる!」
大剣を肩に担ぎ、ガロンがアビススライムへと駆け出した。
迫る触手を一つ、二つと叩き落としながら、真正面から敵の注意を引きつける。
「こっちだ、でかぶつ!」
「イリス、レイフィア。左右から切り込んで、核を外へ出せる?」
「簡単に言うわね」
「できる?」
イリスは一瞬だけセレスを見た。
それから、口元をわずかに上げる。
「誰に言ってるの」
レイフィアも細剣を構え直した。
「あとで手合わせ一回ね。借りを作るの、嫌いなの」
「覚えてたらね」
「覚えときなさいよ」
二人が同時に走り出す。
紫の瞳のイリスと、赤髪のレイフィアが、
薄暗い水路を左右へ駆け抜けた。
セレスは、手首の紋様に意識を集中させる。
理解が足りない。
なら、見ろ。
相手が何をしているのか。
どこへ粘液を流し、どこに核を隠し、どうすれば捕食し、どうすれば再生するのか。
戦いながら、セレスはアビススライムの動きを追った。
触手を振るう前、核の周りに粘液が集まる。
再生する時、周囲の水路から粘液を吸い上げている。
捕らえた人間を閉じ込めた時も、同じように粘液を細く伸ばし、体内へ繋げていた。
「……なるほど」
セレスは小さく呟いた。
「こいつ、粘液を操ってるんじゃない。水路に広がった粘液と、繋がってるんだ」
手首の紋様が、さらに熱を増した。
【対象理解度:上昇
部分継承を再実行】
次の瞬間。
セレスの右手から、黒緑色の粘液が細く伸びた。
「な――!?」
ミュゼが驚きの声を上げる。
粘液は床を這い、水路の壁に広がる粘液へと触れた。
途端に、周囲の粘液が大きく震えた。
アビススライムが、初めて苦痛のような咆哮を上げる。
「今だ!」
セレスの声が響く。
アビススライムの全身を覆っていた粘液が、わずかに引き剥がれ、中心の赤い核が露わになった。
「もらった!」
イリスの剣が、右から走る。
「逃がさない!」
レイフィアの細剣が、左から閃く。
二人の刃が核の周囲を切り裂き、守りの粘液を散らした。
最後に、ガロンが大剣を振り上げる。
「終わりだぁっ!」
振り下ろされた一撃が、赤い核を真っ二つに叩き割った。
甲高い悲鳴が、水路全体を震わせる。
アビススライムの巨体は、形を保てなくなった粘液となって崩れ落ちた。
その粘液はしばらく床を蠢いた後、ただの濁った水となって、水路の奥へ流れていった。
静寂が戻る。
「……終わった、のか?」
ガロンが息を整えながら、大剣を下ろした。
「多分」
セレスは自分の右手を見つめた。
黒緑色の粘液は、すでに跡形もなく消えている。
「今の、セレスさんが粘液を操ったんですか?」
「借りただけ」
「便利な言葉ね、それ」
レイフィアが呆れたように息を吐いた。
だが、その目には先ほどまでよりも明らかな興味が宿っている。
「無色、ね。ますます分からなくなってきた」
「分からないままでいいよ」
「それは無理」
即答され、セレスは小さく肩をすくめた。
その時だった。
「……う、うう……」
鉄格子の向こうから、かすかな呻き声が聞こえた。
ミュゼが真っ先に振り返る。
「行方不明だった人たちです!」
粘液の繋がりが断たれたことで、三人の冒険者を縛っていたものも消え始めていた。
「ミュゼ、頼める?」
「はい!」
ミュゼはすぐに三人のそばへ駆け寄り、回復魔法をかけ始める。
淡い光が、青白かった彼らの顔に少しずつ血の気を戻していった。
イリスは水路の奥を見つめたまま、低く呟いた。
「……妙ね」
「何が?」
「この魔物。自然にここまで育ったにしては、粘液の広がり方が不自然だった」
レイフィアも、崩れた粘液の跡を見下ろす。
「私もそう思う。誰かが意図的に、こいつを水路の奥へ誘導した……あるいは、育てた可能性がある」
水路の奥には、まだ深い闇が続いている。
倒したはずの魔物とは別の何かが、そこに残っているような気がした。
セレスは静かに、手首の紋様へ触れた。
熱は消えている。
だが、嫌な予感だけは、まだ消えなかった。
第十九話をお読みいただき、ありがとうございます!
巨大な粘液魔物との戦いでした。
服に付いたら嫌そうな相手ですが、冒険者としては見た目で判断してはいけません。多分。
今回、セレスは相手を「倒す」だけでなく、性質を理解して力を借りる形で突破しました。
借り物の力は便利ですが、理解が浅いと上手く扱えない――そのあたりも今後の強さに繋がっていきます。
そして、水路の異変はまだ終わっていません。
誰が魔物を育てたのか。ヴェルンハイムの地下には何があるのか。
次回は救出された冒険者たちから、少し不穏な情報が出てきます。
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