第二話 無色判定
異世界、思っていたより現実的でした。
最初に手に入れたのは、チート能力ではなく、現状把握の癖です。……たぶん、これはこれで役に立ちます。
光の道を抜けた先、待っていたのは見渡す限りの草原だった。
風が頬を撫でる。青々とした草の匂い。遠くには森が見え、その向こうには山脈がそびえていた。
空気は妙に澄んでいる。前世の都会暮らしでは味わったことのない、透き通るような匂いだった。
「……本当に来ちゃったか」
声を出してみて、セレスは固まった。
高い。澄んでいる。明らかに、自分のものではない声だ。
「……あー、そうか。そうだった」
頭では理解していたはずなのに、実際に自分の耳で聞くと衝撃が違う。
恐る恐る両手を持ち上げてみる。
記憶にある節ばった大きな手ではない。白く、細く、指の長い手だった。
(いや待て。落ち着け。まず確認すべきことを確認しよう)
セレスは深呼吸をひとつすると、努めて冷静に自分の体を上から順に確認していくことにした。
前世で培った「とりあえず現状把握」の癖は、性別が変わっても健在らしい。
まず髪。
長い。肩を通り越し、背中まで届いている。
手に取ってみると、見たこともないほど艶やかな銀色をしていた。
(髪、綺麗になったな。それはいい)
次に顔。
触れる感触だけで判断するしかないが、輪郭は全体的に小さく、頬のラインも滑らかだ。
まぶたに触れると、心なしか睫毛も長い気がする。
(顔も、まあ、なるようになったんだろう)
問題は、その先だった。
服の上から恐る恐る胸元に手をやったところで、セレスの思考は一瞬、完全に停止した。
「……うん」
しばらく無言で虚空を見つめたあと、セレスはゆっくりと手を離す。
「まあ、そういうことだよな」
女神は「女の子と間違えた」と言っていた。
ならば、当然といえば当然の結果だ。
理屈では理解していた。理解していたが、実際に自分の体で体感するのとは話が違う。
「……いや、いい。もう考えるのはやめよう。うん」
セレスは強引に思考を打ち切ると、乱れた前髪を軽く払って立ち上がった。
すでに一度死んでいる身だ。これしきのことで動揺し続けても、時間の無駄でしかない。
それに――正直に言えば、悪くないとすら思っていた。
少なくとも、もう「女の子と間違えられる」ことに怯える必要はない。
堂々と女の子である。
ある意味、悩みが一つ解決したとも言えるだろう。
「……前向きに考えれば、これはこれで楽かもしれん」
誰に言うでもなく呟き、セレスは遠くに見える町らしき影へ向かって歩き出した。
* * *
半刻ほど歩いただろうか。
石造りの門と、その両脇に立つ二人の門番が見えてきた。
槍を携え、しっかりと鎧を着込んだ姿は、思っていたよりもずっと様になっている。
「止まれ。町への入場は初めてか?」
門番の一人が、セレスを見るなり声をかけてきた。
若い方の門番だ。
もう一人の年配の門番は、槍にもたれかかりながら、あくびを噛み殺している。
「ああ、初めて」
「身分証か、冒険者証は?」
「持ってない。というか、この世界の常識自体がまだよく分かってない」
正直に答えると、若い門番は怪訝そうな顔をした。
年配の門番の方も、ようやく興味を持ったのか、こちらへ視線を向ける。
「記憶喪失ってやつか? それとも、辺境から来た田舎者か?」
「まあ、そんなようなもの」
適当に誤魔化す。
転生してきました、などと馬鹿正直に説明する義理はない。
「身分証がない者は、原則として町には入れられんのだが……」
若い門番が困ったように顎へ手を当てたところで、年配の門番があくび混じりに口を挟んだ。
「まあいい。通してやれ。見たところ、武器も持ってねえ嬢ちゃんだ。悪さする気概もなさそうだしな」
「嬢ちゃんって歳でもないと思うけど」
「はっはっは。可愛い顔して減らず口を叩くじゃねえか。気に入った」
からからと笑う年配の門番に、若い門番はまだ渋い顔をしていた。
それでも結局は折れ、道を開けてくれる。
「町に入ったら、まずギルドで登録してこい。身分証代わりにもなる」
「ギルド、ね。分かった」
セレスは軽く手を挙げて礼を言うと、そのまま門をくぐった。
* * *
門の内側に広がっていたのは、活気に満ちた町並みだった。
露店が軒を連ね、行き交う人々の中には獣人らしき耳や尻尾を持つ者、尖った耳のエルフらしき者もいる。
想像していた「異世界」そのものの光景に、セレスは思わず口元を緩めた。
「へえ。悪くないじゃん」
「お嬢さん、果物はいかが! 採れたてだよ!」
露店の店主に威勢よく声をかけられ、セレスは軽く手を振って通り過ぎる。
すれ違いざま、通りを歩く若い男が二人、ちらちらとこちらを盗み見ていることに気づいた。
(……ああ、そういう感じの視線か)
前世では受けたことのない類の視線だった。
悪い気はしない――と言うと語弊があるかもしれない。
だが少なくとも、興味深い経験ではある。
セレスは特に気にした様子もなく、町の中心へ向かって歩き続けた。
しばらくすると、ひときわ大きな建物が見えてきた。
入口には、剣と盾を象った看板が掲げられている。
冒険者ギルド――女神から渡された知識の中にも、うっすらと存在していた場所だ。
「あそこか」
セレスは扉を押し開け、中へ足を踏み入れた。
途端、喧騒が一気に押し寄せてくる。
武装した男女が酒を片手に笑い合い、依頼掲示板の前では数人が言い争っていた。
奥のカウンターでは、受付らしき制服姿の職員たちが忙しなく動き回っている。
「初めての方ですか?」
カウンターの一つから、にこやかな声がかけられた。
栗色の髪を一つに結んだ、若い受付の女性だった。
「ああ、そう」
「でしたら、まずは登録からになりますね。こちらへどうぞ」
案内された机には、羊皮紙と羽ペン、それから透明な水晶が置かれていた。
セレスは記憶の片隅にある知識をなぞりながら、名前と簡単な経歴を書き込んでいく。
名前は「セレスティア」とだけ記した。
経歴欄には、当たり障りのない適当な言葉を書いておいた。
「では最後に、能力の鑑定をさせていただきますね。こちらの水晶に手をかざしてください」
セレスは差し出された水晶へ、そっと手を触れた。
水晶の奥で、淡い光がふわりと灯る。
一瞬、期待するように周囲の空気が緩んだ。
――が、光はそのまま、何の反応もなく吸い込まれるように消えた。
「……あら?」
受付の女性が首を傾げ、水晶をこつこつと叩く。
もう一度試してみても、結果は同じだった。
「す、すみません。少し機材の調子が……いえ、待ってください。これ……」
彼女は慌てて奥から別の水晶を持ってきた。
しかし、結果は変わらない。
何度繰り返しても、水晶は淡く光ってすぐに消えるだけだった。
属性も、強さも、何一つ表示されない。
「これは……無色、ですね」
「無色?」
「はい。ごくごく稀に、鑑定水晶が正しく反応しない方がいらっしゃいまして……属性なし、強さも測定不能。うちのギルドでは『無色』判定と呼んでいます」
受付の女性の声には、明らかな気まずさが滲んでいた。
周囲で騒いでいた冒険者たちの視線も、いつの間にかこちらへ集まっている。
「無色って、あれだろ。何もできねえ落ちこぼれの証」
「かわいそうに。若いのに」
ひそひそと囁かれる声を、セレスは特に気にすることなく聞き流した。
前世でも、勝手に決めつけられることには慣れている。
それに――手首に刻まれた紋様が、微かに熱を持っているのを感じていた。
女神が渡したという、正体不明の力。
数値化できないのも、道理かもしれない。
「まあ、いいですけど」
肩をすくめるセレスに、受付の女性はどこか申し訳なさそうな顔をした。
「一応、依頼は受けられますが……無色の方を連れて行きたがるパーティーは、正直あまり多くなくて」
「へえ」
「もしよければ、簡単な採取依頼などから始められては――」
そのとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
「おい、受付! パーティーメンバーをあと一人でも見繕っておいてくれって言っただろうが!」
入ってきたのは、見上げるほど大柄な男だった。
傷だらけの鎧。腰には大剣。
強面ながら、どこか整った顔立ちをしているのが妙にちぐはぐな印象を与える。
「ガロンさん、ちょうど今……」
受付の女性が言いかけたところで、ガロンと呼ばれた男の視線がセレスへ向いた。
「なんだ、その水晶。反応してねえじゃねえか」
「無色、なんです。この方」
「はァ?」
ガロンは眉を吊り上げ、ずかずかと歩み寄ってくる。
そして値踏みするように、セレスを頭のてっぺんから足先まで眺めた。
「冗談だろ。俺は明日のダンジョン攻略に人手がいるんだよ。無色を連れて行って、いざって時に足手まといになられちゃ困るんだが」
「別に、頼んでないけど」
セレスが淡々と返すと、ガロンは一瞬、虚を突かれたような顔をした。
無色判定を受けた新人が、これほど堂々としているとは思わなかったのだろう。
「……ちっ。生意気な奴だな」
「事実を言っただけ」
ガロンは鼻を鳴らすと、受付の方へ向き直った。
「とにかく、他を当たる。無色は連れて行けねえ」
言い捨てて、彼はそのままギルドの奥へと消えていった。
周囲の視線が再びセレスへ集まり、そして興味を失ったように散っていく。
「……すみません。ガロンさん、悪気はないんですけど、少し思ったことをすぐ口に出す方で」
「別にいいよ。よくあることだし」
セレスは軽く肩をすくめると、依頼掲示板の方へ歩き出した。
(無色、ね)
手首の紋様が、また微かに疼く。
この力の正体が何なのか、セレスにもまだ分かっていない。
だが一つだけ、確信していることがあった。
――数字で測れないものほど、厄介なものはない。
第2話「無色判定」をお読みいただき、ありがとうございます。
セレスの容姿について少しだけ補足を。腰まで届く白銀の髪、右目は蒼・左目は金のオッドアイ、普段はどこか気だるげな半目。一見すると細身で華奢な少女ですが、手首には女神から詫びとして渡された力の証――謎の紋様が浮かんでいます。
ギルドで「無色」判定を受けてしまったセレス。数字に出ない彼女の力は、この先どんな形で周囲を驚かせていくのか。次話もぜひお楽しみに。
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