第一話 女神、人を間違えました
女神のミスから始まる話です。
被害者は俺一人だけ、のはずでした。……たぶん。
女神が名簿を間違えた。
……ただそれだけの理由で、俺は女の子として異世界に転生した。
気がつけば、真っ白な空間に立っていた。
――いや。正確には、立っているというより浮いているらしい。
足元に床の感触はない。なのに、落ちる感覚もなかった。
妙に落ち着いた気分のまま、俺はぼんやりと状況を整理する。
(ああ、これ。死んだやつだ)
トラックにはねられたのか。階段から落ちたのか。
……正直、死因なんてもうどうでもよかった。
前世――もうそう呼んでいいのなら――の俺は、特に思い残すこともない人生を送っていた気がする。
強いて言えば、最後まで「女の子と間違えられがちな人生」だったことくらいか。
長めの髪。線の細い輪郭。遅めだった声変わり。
そのせいでコンビニでは何度も「お姉さん」と呼ばれたし、初対面の相手に女性だと思われることも珍しくなかった。
まあ、それも今となってはどうでもいい。
「――あ」
不意に、場違いなほど間の抜けた声が聞こえた。
声のした方へ振り返る。
そこには、光り輝く空間の中心で浮かぶ、一人の女性がいた。
透き通るような金色の髪。
優しげに整った顔立ち。
その場にいるだけで、「あ、この人が女神ってやつだ」と納得してしまうほどの神々しさ。
……神々しいのだが。
彼女は今、手元に浮かんだ分厚い名簿のようなものを見つめながら、露骨に顔を引きつらせていた。
「ええと……あなたは、白銀颯くん。で、合っていますよね?」
「はあ。まあ、合ってますけど」
「うんうん、そうですよね。ちゃんと確認しましたし、大丈夫なはずです。はい」
女神は早口でそう言うと、名簿をぱたんと閉じた。
そして俺へ向かって、満面の笑みを浮かべる。
あからさまに、何かをごまかそうとしている顔だった。
前世で何度も見た。
気まずい空気から目を逸らす上司や、問題を起こした生徒を前にした教師の顔だ。
「……何か問題でも?」
「ありません! 何も!」
即答だった。
「さあさあ、それでは早速、異世界へのご案内を――」
「名簿、二回見返してましたよね」
「……」
「しかも二回目、めちゃくちゃ顔色変わってましたよね」
女神の笑顔が固まった。
ぴしり、と音が鳴った気さえする。
真っ白な空間に、やけに長い沈黙が流れた。
「……実は」
「はい」
「別の方の記録と、少しだけ……ほんの少しだけ、混同してしまったかもしれません」
「は?」
「颯くんのお名前と、雰囲気の記述を見て……てっきり、女性の魂だと早とちりを……」
俺は自分の人生を、もう一度ゆっくり思い返した。
女の子に間違えられ続けた前世。
そして死後、女神にまで同じ理由で間違えられている俺。
……笑うしかない。
「あと、これはついでにお伝えしておくべきかもしれないのですが……」
「まだあるんですか」
「確認作業の際、颯くんの記録を少し念入りに見過ぎてしまいまして」
「念入り?」
「剣術の心得とか。体の動かし方とか。本来お渡しする必要のない部分まで、勢い余って一緒に見てしまったといいますか……」
「それ、俺に渡ってきてるってことですか?」
「多分、少しは……はい」
女神は気まずそうに視線を逸らした。
何がどう勢い余れば、剣術の心得まで渡るのか。
正直、まったく理解できない。
だが、この際もう突っ込む気力も湧かなかった。
「本当に申し訳ございません!」
女神は勢いよく頭を下げた。
「もう転生の処理自体は完了してしまっていて、今から巻き戻すことができないんです……!」
「いや、できないって」
「その代わりと言ってはなんですが、こちらを――」
女神が慌てたように両手をかざす。
すると、淡い光が集まってきたのは、俺の手首――のはずの場所だった。
いや。
俺のものだったはずの手首ではない。
細く、白い手首へ。
淡い光は小さな紋様となり、皮膚へ染み込むように消えていった。
紋様が沈む瞬間、ちりっと熱が奔る。まるでそこに、何かが根を張ったような感覚だった。
「な、なんだこれ」
「ええと……その……詳しくは、私もちゃんと把握しているわけでは……」
「おい」
「とにかく! 悪いようにはしませんので!」
女神はやけくそのように言い切った。
「頑張ってください! それでは!」
「ちょっと待――」
まばゆい光が空間を満たす。
次の瞬間、女神の姿は消えていた。
……逃げた。
そう言った方が正確だろう。
残された俺は、真っ白な空間の中で一人立ち尽くす。
いや。
正確には、もう「俺」の体ですらない。
視界の端に映る手は、記憶の中のものより明らかに小さく、白く、細い。
さらり、と長い髪が視界を掠めた。
思わず声を上げかけた、そのとき。
「……マジか」
耳に届いた声は、聞き慣れない少女のものだった。
それでも、不思議とパニックにはならなかった。
元々、女の子に間違えられることには慣れていた。
それに、もう一度言うが、俺は死んでいる。
今さら多少のことでは驚かない。
むしろ気になるのは、手首に刻まれた紋様の方だった。
何かの力を渡された感覚だけは、はっきりとある。
だが、それが何なのかは、渡した本人すら理解していないらしい。
「……まあ、いいか」
軽く息を吐く。
目の前には、いつの間にか光の道が伸びていた。
俺はその道へ、一歩を踏み出す。
女神の勘違いから始まった。
異世界での、新しい人生へ。
――紋様は、まだ微かに熱を持ったままだった。
元は男だったセレスが、女の子として異世界で送る新しい人生。
飄々と、時々毒舌を交えながら、自分のペースで進んでいきます。
次話からはいよいよ異世界での生活がスタートです。
ギルドで告げられる、まさかの「測定不能」判定。
数字には出ない力を持つセレスが、無色のままどこまで行けるのか。
のんびり……とはいかないかもしれませんが、彼女らしく進んでいきます。
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