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女神の勘違いで女の子に転生した俺、ギルドで測定不能と言われたけど普通に無双してました  作者: 夜華カナタ
第五章 鎖の少女、選ぶ

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第百二十四話 一本だけ

坑道の奥で、リンが選びます。

 セレスは、左手で剣の柄を握った。


 立ち上がりながら、リンの前に体を入れる。白い髪の男との間に、壁を作るように。


「帰れ。今夜は、話をしに来ただけだ」


「ええ。存じています」


 男は、少しも構えなかった。壁の隙間から一歩だけ部屋に入り、穏やかに微笑む。


「ですから、私も話をしに来ました。……リン。あの方からのお言いつけです」


 背中で、リンが息を詰めるのが分かった。


「繋ぎ手を、断ちなさい。糸だけではなく、紋様ごと。期日の前にと思っていましたが、ご自分から来てくださったのなら、今夜でも同じことです」


「……やだ」


 小さな声だった。けれど、はっきりと聞こえた。


 セレスは、思わず振り返りそうになった。リンが、あの男に向かって、いやだと言った。


 男は、困ったように首を傾けた。


「そうですか」


 それだけだった。怒りもしない。声も荒らげない。


「では、あの方にお任せしましょう」


 ちりん。


 鈴の音が、坑道の上のほうから降ってきた。


 遠い。けれど、はっきりと届く。地の底のこの部屋まで、真っ直ぐに。


「――っ」


 リンが、膝をついた。首筋を押さえる指の隙間から、黒い光が滲む。顎の下までだった黒い線が、じわり、と頬のほうへ這い上がっていく。


「リン!」


「来ないで……!」


 手を伸ばしかけたセレスを、リンが鋭く止めた。


 ちりん。ちりん。


 鈴の音が、続けざまに鳴った。そのたびに、リンの体が小さく跳ねる。黒い線が、頬の上を、目元に向かって伸びていく。


「お前……!」


 セレスは男に剣を向けた。男は、目を細めただけだった。


「私ではありませんよ。あの方です。逆らえば、こうなる。リンはよく知っているはずです」


 鈴は、それからも間を置いて鳴り続けた。鳴るたびに黒い線は伸び、リンは膝をついたまま、歯を食いしばって耐えていた。セレスは、男から剣先を外せなかった。どれだけの時が過ぎたのか、分からなくなった頃。


 坑道の上から、別の音が近づいてきた。


 足音だった。いくつも。石を蹴り、壁にぶつかりながら、駆け下りてくる。


 鈴が鳴ったら、全員で入る。アルトとの約束だった。


(……来るな)


 セレスは、声に出しそうになった。手紙の最後の一行が、頭の中で鳴っていた。


 ほかのひとがきたら、わたしはきる。


「――セレス!」


 崩れた石壁の隙間から、最初に飛び込んできたのはイリスだった。抜き身の剣を手に、壁の光に目を細めながら、部屋の中を見渡す。すぐ後ろに、ガロンの大きな影が続いた。ミュゼ、レイフィア、アルト。全員が、そこにいた。


 膝をついたリンが、ゆっくりと顔を上げた。


 仲間たちを、見ていた。


「……来ないでって、書いたのに」


 リンの声が、震えていた。


「ひとりで、って、書いたのに」


「リン、違う、こいつらは――」


「断ちなさい」


 白い髪の男が、静かに言った。


「繋ぎ手を断たないのなら、あの方は、お仲間のほうを断たせるそうです。あなたの手で、一人ずつ。……どちらでも構わない、と仰っていました」


 部屋の空気が、凍りついた。


 リンの目が、仲間たちの上を順に滑った。イリスの剣。ガロンの大剣。ミュゼの杖。レイフィアの細剣。アルトの、何も持っていない手。


 それから、セレスを見た。


 ちりん。


 鈴が、もう一度鳴った。


 リンが、立ち上がった。


 首筋から頬へ、黒い線を走らせたまま、ふらつく足で一歩踏み出す。セレスとの距離が、縮まる。坑道に入った時に空けていた、手の届かない距離が。


 届く距離まで、来た。


(……ああ)


 セレスは、剣を下ろした。


 分かってしまった。リンが何を選んだのか。仲間を一人ずつ断たせられるくらいなら、自分を断つ。それが、あいつの出した答えだった。


「セレス、下がって!」


 イリスの声が飛んだ。セレスは、動かなかった。


「……いい」


 リンにだけ聞こえるように、セレスは言った。


「断っていい。俺は、結び直すから」


 リンの目が、大きく揺れた。


 右手が、持ち上がる。いつもの、断つ前の静かな握り方だった。


 その手が、セレスの胸元の前で、そっと握られた。


 ぷつり。


 北の塔でも、ロッサ村でも聞いた、あの音だった。


 けれど、今度は違った。


 糸だけではなかった。もっと深いところで、何かが切れた。仲間たちへ伸びていた糸が、一本残らず断たれる。それだけでなく、糸が生まれてくる根元まで、すとんと抜け落ちたように感じた。


 腕輪の下の紋様が、冷たくなった。


 熱を帯びるはずの白銀の線が、色を失っていく。光が、ひとつ、またひとつと消えていく。ガロンの重さも、イリスの鋭さも、ミュゼの温かさも、レイフィアの細い光も、アルトの静かな呼吸も、何もかもが遠く、聞こえなくなった。


 膝から、力が抜けた。


 崩れ落ちる体を、誰かの腕が受け止めた。ガロンだった。何か叫んでいる。けれど、その声さえ、ひどく遠い。


(……全部、か)


 何もない。


 この世界で目を覚ましてから、ずっと手首の奥にあったものが、どこにもない。


 ――いや。


 何もない中に、ひとつだけ。


 ほんの細い、髪の毛よりも細い糸が、一本だけ残っていた。消えかけの灯りみたいに、かすかに、かすかに温かい。


 その糸の先が、どこへ伸びているのか。セレスには、すぐに分かった。


 目の前に立っている、リンだった。


『――一本、残したな』


 鈴の音に乗って、低い声が降ってきた。白い仮面の男の声だった。


『全部と言ったはずだが。……まあいい。一本では、何も繋げまい』


 リンは、答えなかった。


 握った右手を胸に抱えるようにして、ただ立っていた。頬まで這い上がった黒い線が、壁の光を受けて、濡れたように光っていた。


「リン」


 白い髪の男が、その肩に手を置いた。足元から、黒い光が湧き上がる。


 リンは、最後に一度だけ、ガロンの腕の中のセレスを見た。


 唇が動いた。声は聞こえなかった。


 黒い光が二人を包んで、消えた。


 壁の紋様が、ひとつ、またひとつと光を失っていく。暗くなっていく部屋の中で、セレスは、胸の奥に残った一本の糸の温かさだけを、ぼんやりと感じていた。


第百二十四話「一本だけ」をお読みいただき、ありがとうございます。


 リンは、仲間を守るために、セレスを断ちました。全部ではなく、一本だけを残して。最後に動いた唇が何と言ったのかは、まだ分かりません。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。

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