第百二十三話 坑道の奥で
リンと、初めてちゃんと話します。
「座って。……そこ、壁から離れたところ」
リンが、部屋の隅を指さした。言われた通りに腰を下ろすと、リンとの間には、手を伸ばしても届かないくらいの距離が空いた。
わざとだ、とセレスは思った。
「途中の魔物、お前が片付けたのか」
「うん。湧いてくるの、ぜんぶ断った。……町の人、困ってたから」
リンは、膝の上で右手を握ったり開いたりしていた。
「ここの壁、北の塔のより強いの。ここにいると、黒いのがあんまり動かない。頭も、静かになる。だから、ここにした」
「どうやって抜けてきた」
「今夜は、練習の日じゃないから。白い髪の人も、ほかの町に行ってる。……でも、ばれると思う。鈴が鳴ったら、行かなきゃいけない」
リンは、自分の首筋に触れた。顎の下まで這い上がった黒い線が、壁の青白い光を受けて、鈍く光っていた。
「抜けてきた分、また伸びると思う。分かってて、来た」
セレスは、何か言いかけて、やめた。
(……そこまでして、か)
怒っても仕方がなかった。リンは、それを分かったうえで、ここにいる。
「話したいこと、って何だ」
リンは、しばらく黙っていた。それから、一度だけ深く息を吸った。
「あの人がね、言ってたの。期日の前に、もう一回、あなたの前に立たせるって。その時は、あなたを全部断たせるって」
「全部?」
「糸だけじゃなくて、紋様ごと。……二度と、誰とも繋がれないように」
部屋の冷たさが、急に背中に染みた。
紋様ごと、断つ。仲間の力を束ねることも、結び直すことも、二度とできなくなる。旧王都で、仮面の男は言っていた。結んだ糸は、また断たせるまでだ、と。あれは、こういう意味だったのか。
「だから」
リンは、セレスを見た。
「もう、来ないで。期日まで、ちょうだいって言ったの、取り消す。……追ってこなければ、私、あなたの前に立たなくて済むから」
「断る」
即答だった。
リンの眉が、困ったように下がった。
「……言うと思った」
「分かってるなら、手紙なんか書くな」
「書かないと、あなた、何も知らないまま来るでしょう」
それは、その通りだった。セレスは、ばつが悪くなって頭を掻いた。
◇
「聞きたいことがある」
しばらくして、セレスは言った。
「お前は、なんで、手を伸ばしてくる奴から切るんだ」
リンの手が、膝の上で止まった。
「……あの人が、言ってたから」
「何を」
「私の手を取ったら、その人の中にも、黒いのが流れ込むって。私は器だから、触れた人まで呑んじゃうって。……だから、誰かが手を伸ばしてきたら、届く前に切らなきゃいけない。そうしないと、その人まで、私みたいになる」
セレスは、すぐには返事ができなかった。
ロッサ村で、ベルクは言っていた。あの子は、泣きそうな顔で、ごめんなさいと言ってから断った、と。
(守ってたつもりなのか。……切った相手を)
伸びてくる手を断つのは、怖いからだけじゃなかった。相手を呑まないためだった。少なくとも、リンはそう信じている。
「それ、本当か」
「……分かんない。でも、ずっとそう言われてきた」
「北の塔の夜のこと、覚えてるか。扉越しに、手を当てた夜」
リンが、小さく頷いた。
「あの夜、糸は止まった。お前が手を当てて、俺も手を当てた。両方から手を伸ばしたら、繋ぐ力は、糸を先へ進めるんじゃなくて、その場につなぎ止める力になる。女神が、そう言ってた」
「女神……?」
「知り合いだ。……とにかく、あの夜、俺は呑まれなかった。お前の黒いのは、こっちに流れてこなかった」
リンは、セレスの顔をじっと見ていた。
信じたい、という顔だった。そして、信じるのが怖い、という顔でもあった。
「……あれは、扉越しだったから」
小さな声だった。
「扉がなかったら、どうなってたか、分かんないよ」
セレスは、言い返さなかった。言い返せる証拠を、持っていなかった。
◇
「ねえ」
今度は、リンのほうから口を開いた。
「ロッサの夜、あなたの奥に、白いのがあった。断る時に、ちょっとだけ見えたの。……私の奥にあるのと、同じだった」
「……俺も、見た」
セレスは、腕輪の上から紋様を押さえた。
「お前の黒い線の下に、白くて細い光があった。俺の紋様と、根っこが同じに見えた」
「なんで、同じなんだろ」
「分からない」
二人とも、しばらく黙った。壁の紋様が、ゆっくりと明滅している。
「この体ね、作られたんだって」
リンが、自分の手のひらを見下ろしながら言った。
「器にするために、あの人たちが作ったんだって。……あなたのは?」
「俺のは」
セレスは、少し考えてから答えた。
「間違えて寄越された」
「……え?」
「頼んでもないのに、手違いでこの体になった。文句を言う相手も、いまいち頼りにならない」
リンは、ぽかんとセレスを見ていた。
それから、ふっと、息が漏れた。
「……へんなの」
笑った。
口元を手で隠して、肩を小さく震わせて。泣きそうでもなく、崩れそうでもなく、ただ、おかしくて笑っていた。セレスが初めて見る、リンの笑い方だった。
「笑うなよ」
「だって、へんだもん。間違えてって」
「本当なんだから、仕方ないだろ」
リンは、しばらく笑っていた。笑いが収まると、目尻をこすって、少しだけ柔らかくなった顔で言った。
「じゃあ、私たち、どっちも選んでないんだね。この体」
「ああ。……でも」
セレスは、リンの膝の上の右手を見た。
「あの手紙を書いたのは、お前の手だろ」
リンが、自分の右手を見下ろした。
「作られた体でも、書いたのはお前だ。ここに来たのも、魔物を片付けたのも。……ロッサ村で、ガロンを深く切らなかったのも」
リンは、何も言わなかった。
右手の指が、ほんの少しだけ、膝の上でほどけた。
握っていない手だった。断つ前の手でも、隠す手でもない。ただ、そこに置かれているだけの、十二、三の女の子の手だった。
届かない距離のまま、セレスはその手を見ていた。
(伸ばさない。こっちからは)
ロッサ村で決めたことだった。お前が決めろ、と言った。
リンの指が、かすかに動いた。床の上を、ほんの指一本ぶんだけ、こちらへ滑る。
その時だった。
「――楽しいお話でしたか」
崩れた石壁の向こうから、穏やかな声がした。
リンの手が、弾かれたように引っ込んだ。
白い髪の男が、壁の隙間に立っていた。外套の裾に、坑道の土埃がついている。ほかの町へ行っていたはずの男が、いつの間にか、そこにいた。
「練習の日でもないのに、壁の外へ出てはいけませんよ。……あの方が、たいそうお気になさっています」
男は、リンを見て、それからセレスを見た。
「そして、ちょうどいい。繋ぎ手が、ご自分から来てくださった」
リンの顔から、さっきまでの柔らかさが、すうっと消えていった。
第百二十三話「坑道の奥で」をお読みいただき、ありがとうございます。
リンが手を取れない理由。そして、初めて見せた笑顔。「間違えて寄越された」は、セレスにしか言えない台詞でした。あと指一本のところで、また邪魔が入ります。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。




