第百二十話 四つ目の呼び名
捕まえた黒ローブから、話を聞きます。
その夜、一行はドルンの住処を借りることになった。
崩れた石造りの家の地下に、老人がこつこつと片付けてきたらしい小さな部屋があった。古い樽と、拾い集めた金物の山と、炉がひとつ。六人とドルン、それに縛られた一人が入ると、さすがに窮屈だった。
「狭いが、上よりはましじゃろ。夜は冷える」
ドルンはそう言って、炉に薪をくべた。黒ローブの集団に襲われたと聞いても、さほど驚いた顔はしなかった。この廃墟で長く暮らしていれば、いろいろなものを見てきたのだろう。
縛られた黒ローブは、部屋の隅の柱にくくりつけられていた。フードを外すと、三十前後の、日に焼けた男の顔が出てきた。頬に古い刀傷がある。
「名前は」
アルトが聞いた。男は答えなかった。
「なら、別のことを聞く。その剣だこ、どこで付けた」
男の目が、わずかに揺れた。
アルトは、男の右手を顎で示した。親指の付け根と、人差し指の内側。分厚く固まったたこが、くっきりと浮いている。
「長く、同じ型の剣を振った手だ。冒険者の手じゃない。鎖の投げ方も、囲み方も、訓練された兵のものだった。……王国の兵だったな、お前」
男は、しばらく黙っていた。それから、ふっと乾いた笑いを漏らした。
「……元、だ。三年前に、北の国境の部隊から放り出された」
「理由は」
「上官を殴った。それだけさ。そのあと、食い詰めてたところに、声をかけられた。王国より、よっぽど金払いがいい」
ラーレンの守備隊。北の塔の監視隊。正規の訓練を受けた人間が、組織に流れている。王都のギルドで、アルトが上役に話していたことだった。
「お前みたいなのは、他にもいるのか」
「いるさ。俺なんか下っ端だ。……王都の中にも、まだいる。誰かまでは知らんがな」
アルトの顔が、少しだけ険しくなった。
◇
「リンのことを、聞かせろ」
セレスが前に出ると、男の体がこわばった。柱に縛られたまま、できるだけセレスから遠ざかろうとする。
「……繋ぎ手には近づくなと、言われてる」
「縛られてるんだ。近づいても何もできないだろ」
「あんたに触れられたら、腹の中まで読まれるって聞いた」
セレスは、ため息をついて、その場にしゃがんだ。触れられない距離のまま、男と目の高さを合わせる。
「読まない。だから、自分で話せ」
男は、しばらくセレスの顔を見ていた。それから、観念したように息を吐いた。
「……あの子は、夜ごと壁の部屋から連れ出されてる。朝には壁の中へ戻される。ここ数日は、別の壁の部屋へ移されたがな。連れ出される先は毎晩違う。街道の冒険者。村の用心棒。旅の魔術師。強い力を持ってるやつを見つけては、断たせる。白い髪の旦那は、練習だって言ってた」
ミュゼが、ぎゅっと唇を噛んだ。
「断つたびに、あの子の中は満ちていく。旦那たちは、それを急いでる。期日まで壁の中で待つより、そのほうが早く、きれいに仕上がるってな」
「仕上がって、どうなる」
「知らん。……ただ」
男は、言いにくそうに目を逸らした。
「期日の夜、あの子は国境の向こうへ運ばれる。北の隣国だ。最後の仕上げは向こうでやる、ってことだけは聞いた。あそこには、ここよりずっと大きな壁の部屋があるらしい」
北の隣国。
部屋の空気が、一段と重くなった。
「次は、どこへ行く」
「それも、はっきりとは知らん。だが、北の街道沿いの鉱山町に、腕の立つ冒険者が集まってるって話を、旦那がしてた。……次の練習は、たぶん、あそこだ」
アルトが、地図を広げた。旧王都から北へ延びる街道の先に、小さな印がある。
「ここから北へ四日。……国境までの、ちょうど途中だな」
「鈴のことも聞きたい」
セレスは、背負い袋から木箱を出して、男の前に置いた。男の顔が、さっと青ざめた。
「それ……なんで、あんたが持ってる」
「預かり物だ。……この鈴が鳴ると、リンはどうなる」
「戻る。どこにいても、何をしてても。あの方が鳴らせば、あの子は戻るしかない」
男は、木箱から目を逸らしたまま、低い声で言った。
「あの子が逆らったところを、一度だけ見たことがある。鈴が鳴っても、動かなかった。……そしたら、腕の黒い線が一晩で、指一本ぶん伸びた。それきり、あの子は逆らわなくなった」
セレスの手が、木箱の上で止まった。
ロッサ村の夜。鈴が鳴った時、リンの右手は、ほんの少しだけゆるんでいた。鈴の音で、また固く握られた。
(逆らえば、削られる。……だから、戻ったのか)
リンは、自分で選んで行った。それは本当だ。けれど、選んだあとのリンを縛っているものが、ひとつ、はっきりと見えた気がした。
◇
男が眠りこけたあと、炉の火を囲んで、一行は静かに夕食を取った。
今夜は、ガロンが鍋を振っていた。戦いのあと、セレスが糸をゆるめても、ガロンの指は柄を握ったままだった。繋いでいる間だけではなかったのだ。
「……やっぱり、こっちのほうがうまいな」
セレスがつぶやくと、ガロンはふん、と鼻を鳴らした。
「当たり前だ。お前の煮込みは塩が濃すぎた」
「お前が言った通りに入れたんだ」
「言った量の倍は入ってたぞ。手が利かねえからって、目分量でごまかしやがって」
ミュゼが、くすくすと笑い出した。
「それにしても、セレスさん。呼び名、また増えましたね」
「増やしたくて増やしてるわけじゃない」
「えっと、最初が『無色の』で、宿場で『斬らずの銀』。王都で『銀の無色』。それで、今度は『繋ぎ手』。……四つ目ですよ」
ミュゼは、指を折って数えながら、なぜか誇らしげだった。
「なんであんたが数えてるのよ」
イリスが、呆れたように言った。
「だって、嬉しいじゃないですか。イリスさんにも、何かつけばいいのに」
「いらないわ」
「『塩の金』とか」
ガロンが、盛大に噴き出した。煮込みが鼻に入ったらしく、しばらく咳き込んでいる。
「……ミュゼ」
イリスの耳が、みるみる赤くなっていった。
「あとで、覚えてなさい」
「ひゃっ」
ミュゼはさっとセレスの陰に隠れた。盾にされたセレスは、黙って煮込みを口に運んだ。巻き込まれたくない。
「最初のは、悪口だったわね」
レイフィアが、木の椀を傾けながら言った。
「二つ目は、ただの噂。三つ目は、どっちつかず。でも、四つ目は違うわ」
「何が違う」
「敵が、あんたを怖がってつけた名前よ。前の『白銀の本物』は、品定めの名前だった。今度のは、用心の名前」
レイフィアは、柱にくくられて眠る男のほうへ、ちらりと目をやった。
「触れるな、近づくな、相手をするな。そう言わなきゃならない相手にだけ、敵は名前をつけるの。……無色って笑ってた連中が、今は名前を呼ぶのも用心してる」
セレスは、椀の中の煮込みを見下ろした。
無色の。斬らずの銀。銀の無色。繋ぎ手。
どれも、自分でつけた名前じゃない。誰かが勝手に呼んで、勝手に広めたものばかりだ。それでも、こうして並べてみると、ここまで歩いてきた道のりが、そこに刻まれている気がした。
(壁の線みたいなもんか)
リンが一本ずつ刻んだ線と、同じだ。自分で数えたわけではないけれど、確かに、ここまで来た。
「……まあ、悪くはない」
ぼそりと言うと、イリスが小さく吹き出した。
「素直じゃないわね、あんた」
「うるさい」
◇
翌朝、ドルンは地下の入り口まで見送りに出てきた。
縛られた男は、ギルドへ引き渡すために、アルトが近くの町まで連れていく手はずになっていた。そこから鉱山町へ向かう街道で、一行と落ち合う。
「世話になった」
セレスが言うと、ドルンは麻袋から一枚の硬貨を取り出して、セレスの手に押しつけた。くすんだ銀色の、旧王国の銭だった。
「持っていきな。今じゃ何も買えんが、古い銭はお守りになるって、昔から言うでな」
「……いいのか。高く売れるんだろ」
「物好きな商人が来たら、また拾うさ」
ドルンは、歯の抜けた口でにっと笑った。
セレスは、硬貨を握った。右の手のひらで。
冷たい、と思った。
ほんのかすかに、だった。けれど、確かに、金属の冷たさが指の奥に届いた。
(……戻ってきてる)
昨日、仲間の糸を結び直した時の小さな熱。あれが、一晩かけて、指の奥に根を張ったのかもしれなかった。
アルトが、懐から紙を出して、端の一本を炭で消した。
「北へ四日。……行くぞ」
セレスは、硬貨を懐にしまって、歩き出した。
壁に刻まれていた、たどたどしい二文字を思い出す。
まだ。
あいつがそう刻んだのなら、こっちも、まだ終わらせない。
第百二十話「四つ目の呼び名」をお読みいただき、ありがとうございます。
「無色の」から始まったセレスの呼び名が、ついに敵からも名前で呼ばれるところまで来ました。そして、期日の夜にリンが運ばれる先。次は、北の鉱山町へ。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。




