第百十話 斬らない二十人
塔の前での戦いです。今回は、誰も斬りません。
丘を駆け下りるセレスを見て、兵の列がざわめいた。
「一人で来るぞ!」
「女だ、しかも子どもみたいな――」
その声が終わるより早く、セレスの横を二つの影が追い越していった。大剣を担いだガロンと、抜き身の剣を下げたイリスだ。
「盾、構え!」
隊長の号令で、先頭の八人が一斉に盾を並べた。隙間なく噛み合った、分厚い鉄の壁だ。訓練された兵の動きだった。
(……ラーレンの守備隊と、同じ型か)
セレスは足を緩めずに、壁の正面へ飛び込んだ。剣を叩きつける。重い手応えとともに、腕が痺れた。盾の壁は、びくともしない。
「はっ、無色の小娘が!」
盾の隙間から、槍が三本突き出してくる。セレスは身をひねって二本をかわし、三本目を剣の腹で受け流した。押し返されて、踵が土を削る。
「セレス!」
「平気だ!」
平気ではなかった。正面からでは崩せない。
(なら、正面じゃなく、繋ぐ)
左手首の紋様が熱を帯びる。ガロンの踏み込みの重さ。イリスの剣の、迷いのない軌道。二人の力が、意識の奥でひとつに繋がった。
セレスは、もう一度踏み込んだ。
今度は叩きつけない。盾と盾の継ぎ目、ほんの指一本ぶんの隙間に、剣先を滑り込ませる。ひねる。噛み合っていた盾が、内側から弾けるように外れた。
「なっ――」
崩れた一枚の隙間へ、ガロンが肩から突っ込んだ。
「どけえっ!」
大剣は抜かない。鞘ごと横に薙ぐ。盾を構えた兵が三人、まとめて草の上へ転がった。
反対側では、イリスが静かに歩いていた。
斬りかかってきた兵の剣を、手首を返すだけで跳ね上げる。次の兵の槍の柄を、峰で叩き折る。三人目は、振りかぶった瞬間に喉元で切っ先が止まっていて、そのまま動けなくなった。
速すぎて、何が起きたのか分からない。そういう顔で、兵たちが立ち尽くす。
「……おい。今の、何人やられた」
「六人だ。……いや、七人か? 剣を、一度も振り下ろしてねえぞ、あの女」
「金ランクのイリスだ。噂で聞いたことがある……」
囁きが、列の後ろへ広がっていった。
「怯むな! 相手はたかが三人だ!」
隊長が怒鳴った。だがその声とは裏腹に、兵たちの足は前に出ない。二十人のうち、もう半分が地面に転がるか、武器を失っていた。そして、誰一人、血を流していない。
(斬ってない。……だから、怖いんだろうな)
斬られるのなら、まだ分かる。だが、何をされたのかも分からないまま、剣だけが手から消えていくのだ。
「――オルド!」
丘の上から、声が降ってきた。ユーリだった。
「オルド、下がれ! 隊長は、俺の報告を握り潰してた! ヨルを物置に閉じ込めたのも隊長だ!」
丘の上には、ユーリの隣に、ヨルの手を引いたミュゼの姿もあった。林に置いてくるのは危ないと判断して、戻ってきたのだろう。
兵の列の中ほどで、若い兵の肩が跳ねた。検問で、ユーリを見逃した兵だ。
「……ユーリ」
「賊の戯言だ、耳を貸すな!」
隊長が叫ぶ。だが、オルドは剣を下ろしていた。その隣の兵も、つられるように剣先を下げていく。
「隊長。あいつ、ヨルの兄貴ですよ。……妹を攫う兄貴が、どこにいるんですか」
「黙れ!」
隊長は、自ら剣を抜いてセレスへ向かってきた。飾りのついた兜の下で、目が血走っている。
踏み込みは、悪くない。兵の中では、いちばん腕が立つのだろう。セレスは一撃目を受け、二撃目をいなした。
「お前さえ来なければ……! あの方の頼みは、ひとつ聞くだけで、金も地位も――」
「その金で、何人の報告を握り潰した」
三撃目。セレスは受けなかった。半歩だけ横に抜けて、隊長の手首を、剣の柄で打った。剣が宙を舞い、草の上に突き刺さる。
隊長は、呆然と自分の手を見下ろした。
「――それまでだ」
塔の門の方から、別の声がした。
門の前に、副官が立っていた。その両脇に、レイフィアとアルトがいる。副官の頬には殴られた痕があり、手首には縄の跡が赤く残っていた。
「隊長の部屋の奥に、縛られて転がされてたわ」
レイフィアが短く言った。副官は、よろめきながらも前に出て、兵たちを見渡した。
「全員、聞け。三度だ。ユーリが上げた報告は、三度とも王国に届いていない。届いたことにされた『受領、異常なし』の紙は、隊長の字だ。俺は、それを知っていて、黙っていた」
兵たちが、息を呑んだ。
「罰は、俺も受ける。だが今は、この人たちに剣を向けるな」
一人、また一人と、兵たちが武器を下ろしていった。隊長は、膝から崩れ落ちた。
(……終わった、のか)
セレスは剣を下ろしかけて、手を止めた。
左手首の紋様が、急に冷たくなったのだ。熱を持つことはあっても、冷えたことは一度もなかった。
「アルト」
「分かってる」
アルトの顔も、強張っていた。
「あの男は、どこだ」
「中よ」
レイフィアが、塔を振り返った。
「私たちが副官を連れ出した時、廊下の奥にいた。穀物庫の前に。……私たちを見ても、何もしなかった。ただ、鍵を持って、扉の前に立ってた」
塔の中から、ごとり、と重い音が響いた。
鉄の錠が、外れる音だった。
第百十話「斬らない二十人」をお読みいただき、ありがとうございます。
二十人を相手に、誰も斬らずに勝つ。金ランクのイリスの「半分の力」も、少しだけ見ていただけたかと思います。そして、穀物庫の錠が外れました。次回、扉の向こうのリンと向き合います。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。




