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女神の勘違いで女の子に転生した俺、ギルドで測定不能と言われたけど普通に無双してました  作者: 夜華カナタ
第五章 鎖の少女、選ぶ

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第百九話 止まった一晩

白い髪の男が、丘を登ってきます。

 白い髪の男は、武器も持たずに丘を登ってきた。外套の前を開けたまま、散歩でもするような足取りで草を踏んでくる。


「――動くな」


 アルトが低く言った。ガロンは荷台の陰で大剣を握り、イリスは丘の縁で片膝をつく。レイフィアの細剣が、鞘の中でかすかに鳴った。


 男は十歩ほど手前で足を止め、にこやかに会釈した。


「お久しぶりです、セレスさん。ラーレンの地下以来ですね」


 柔らかい声だった。砦の最奥で「駒が一つ、揃いました」と笑った、あの声と同じだ。


「名前を、どこで知った」


「あの子が、眠っている間に何度か。起きている時は、一度も呼びませんでしたけれど」


 セレスの奥歯が軋んだ。


(起きてる間は、呼ばなかった。……リンらしいな)


 自分で決めたことは曲げない子だ。眠っている間まで、それを守れと言う方が無理だった。


「今日は、お願いに来ました」


 男は、少し困ったように眉を下げた。


「昨夜、穀物庫の扉に手を当てましたね。あの子の糸が、ひと晩止まりました。ラーレンから連れ出して以来、一度もなかったことです」


 セレスは、思わず左の手のひらを握った。扉の向こうから、低いところに触れてきたあの手。同じ高さの、同じ形の温もり。


「……止まった、のか」


「ええ。困ったことに」


 男は胸に手を当てた。


「器は、急いで満たすと割れます。ですから、あの部屋の壁は私が作りました。声があの子に届きすぎないように、ゆっくり、ふた月かけて満ちるように」


「……壁が、リンを止めてるって」


 レイフィアが息を呑む。


「あの子はそう感じているでしょうね。間違いではありません。壁は、あの子を守っています。私の都合で、ですが」


 男は、さらりと言った。


「ところが、あなたが触れると糸が止まる。止まった器は育ちません。予定を早めたのは、そのためです。今日、あの子を次の場所へ移します」


「させない」


「そう言うと思いました」


 男は、表情ひとつ変えなかった。


「ですから、先に申し上げておきます。塔の兵は、隊長の命令で動きます。隊長は、あなたがたを、昨夜ヨルをさらった賊だと思っています」


 荷台の上で、ユーリの肩が跳ねた。


「隊長には、私の頼みを少しだけ聞いてもらっています。ですが兵たちは何も知りません。ただ命令どおりに、あなたがたを斬りに来ます」


 男が丘の下を振り返る。


 塔の門から、兵の列が出てきていた。さっき街道へ散った捜索の兵を呼び戻したのだろう、今度は二十人はいる。先頭には、飾りのついた兜の男。


「あの中には、ユーリさんの班の方もいるでしょう。斬れますか」


「……オルドが、いる」


 ユーリの声が震えた。


「あなたがたが引けば、兵は誰も死にません。あの子は次の場所で、静かに満ちていく。それがいちばん穏やかな道です」


「穏やかって言葉を、お前が使うな」


 ガロンが低く吐き捨てた。男は、そちらを見もしない。


 セレスは、一歩前に出た。


(話してる間に、終わらせる)


 踏み込みざま、男の手首を掴む。紋様が熱を帯びた。借りる。繋ぐ。この男が何を考え、何を怖がっているのか、そこから崩してやる――


 何も、流れてこなかった。


 冷たい水に手を突っ込んだような、底のない手応えだけがあった。


「……っ」


「無駄ですよ」


 男は、掴まれた手首を振りほどこうともしなかった。


「私には、あなたの力を受ける口がありません。ずいぶん昔に、自分で塞ぎましたから」


 セレスは、手を離した。指先が、まだ痺れている。


(受ける口を、自分で塞いだ……?)


 そんなことが、できるのか。誰にでも届くと思っていたわけじゃない。だが、ここまで何もない相手は、初めてだった。


「最後に、一つだけ」


 男は、乱れた袖を整えながら言った。


「あなたは、あの子に、手を伸ばせと言いましたか」


 セレスは答えられなかった。言っていない。扉の前で言ったのは、「今は、開けない」だけだ。


「でしょうね。あの子は、手を伸ばしませんよ。伸ばせば、あなたがたが巻き込まれると知っていますから。昨夜の一度きりです」


 それだけ言うと、男は背を向けて丘を下り始めた。


 誰も、その背に刃を向けなかった。向ければ、下の兵が一斉に登ってくる。男の姿は、兵の列の脇をすり抜けて、塔の門の中へ消えていった。


 ◇


「――時間がない」


 アルトが懐から紙を出した。六十一本の線のうち、黒く塗られた一本の隣で、今朝までの五本が細く消してある。


 アルトは炭の欠片を手に取り、少し迷ってから、昨夜の分の一本を指でこすった。消しかけた線が、薄く戻る。


「……昨夜の分は、減ってない。そういうことだろう」


 セレスは、その薄い一本をじっと見ていた。


 たった一晩だ。扉一枚越しに、手のひらを合わせただけだった。それでも、止まった。


(なら、まだ打てる手はある)


「兵は、俺とイリスで止める」


 ガロンが大剣を担いだ。


「斬らずに、だ。オルドって奴の顔を、俺は知らねえ。だから誰も斬らねえ」


「無茶を言うわね」


 イリスが立ち上がって、剣の柄に手を掛けた。


「二十人を斬らずに、でしょう。……いいわ。半分の力で足りる」


「ミュゼは、ユーリとヨルを乗せて、馬車ごと後ろの林へ」


「はい、任せてください!」


 ミュゼがすぐに手綱を取る。目を覚ましたヨルが、兄の袖を掴んだ。


「にいちゃん」


「大丈夫だ。すぐ戻る」


 ユーリはそう言いかけて、首を振った。


「……いや、俺も行く」


「お前は残れ」


 セレスが言った。


「オルドの顔を知ってるのは、お前だけだ。下の連中に声を掛けられるのも、お前だけだ。だから丘の上から呼べ。下には降りるな」


 ユーリは唇を噛んで、頷いた。


「私とアルトは、裏の穴から入るわ。副官を探す。あの人が、まだ無事なら」


 レイフィアが細剣を抜く。


「俺は、正面から行く」


 セレスも剣を抜いた。


 丘の下で、兵の列が足を止めた。先頭の兜の男が、剣を高く掲げる。


「賊どもに告ぐ! ヨルを返し、投降せよ!」


 隊長の声だった。ユーリの報告を「受領、異常なし」で握り潰してきた男の声だ。


 左手首の紋様が、静かに熱を帯びていく。


「返す相手が、違うだろ」


 セレスはそう言って、丘を駆け下りた。


第百九話「止まった一晩」をお読みいただき、ありがとうございます。


扉越しに手を合わせた一晩が、何を変えていたのか。そして、セレスの力が初めてまったく届かなかった相手。次回は、塔の前での戦いです。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。

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