第百五話 割れた鐘
白い羽の持ち主が、見つかりました。
ギルドの地下倉庫は、麦の匂いがした。上役が、積み上げた樽の陰を顎で示す。
「うちの者が、街道で拾ってきた。それまで口も利かなかったのに、今朝、羽を拾った連中が来ると話したら、初めて『会わせろ』と言った。俺には、それ以外何も話さない」
樽と樽の隙間に、軍の外套を着た若い男が座っていた。膝の上には空の竹筒が一本。左の袖は肘まで裂けて、布が巻いてある。
「ユーリという。国境監視隊の伝令だったそうだ」
名を呼ばれても、男は顔を上げなかった。アルトが封筒から白い羽を出して見せると、ユーリの目がそこへ落ちる。反応は、それだけだった。
「……シロは」
「羽が一枚、街道に落ちてた。俺たちが知ってるのは、それだけだ」
ユーリは、竹筒の口を親指で撫でた。何百回もそうしてきたのだろう、指の腹がそこだけ擦れている。
「撃たれたのは、俺が先だ。鳥は、その後に落とされた」
低く、乾いた声だった。
「何を報告しようとした」
セレスが聞くと、ユーリは短く返した。
「お前らに話す義理はない」
ガロンが腕を組んだまま眉を動かし、ミュゼは何か言いかけてやめた。
(まあ、そうなるよな)
いきなり現れた冒険者に、全部話す理由はない。セレスは少し考えてから、膝を折ってユーリと目の高さを合わせた。
「一つだけ聞く。監視所に、鐘はあるか」
竹筒を撫でていた指が、止まった。
「……なんで、それを」
「低くて、割れた音の鐘だ」
しばらく、ユーリは何も言わなかった。
「……北の端の塔のだ。ひびが入ってるのに、鋳直す金がないまま、日没に一度だけ鳴らしてる」
「俺の仲間が、その音のそばにいる」
ユーリは、セレスの顔をじっと見ていた。嘘かどうかを確かめるような目だった。やがて、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。
「……塔の一階の奥に、穀物庫だった所がある。半年前に鍵が付け替えられた。鍵を持ってるのは、隊長と、月に一度来る白い髪の男だけだ。隊長は、その男を『管理者』と呼んでた」
背後で、ミュゼが息を呑んだ。ラーレンの砦の地下で聞いたのと、同じ言葉だ。
(白い髪。……あの男か)
砦の最奥で、柔らかく笑っていた男の姿が、セレスの脳裏に浮かんだ。
ユーリは竹筒を床に置いた。
「……報告は、三度上げた。三度とも、俺が自分の手で鳥の足に括った。二度は、鳥が戻らなかった。一度だけ、王国の詰所へ届く前に、監視所の鳩舎へ戻ってきた。鳩舎の鍵を持ってるのは、隊長だ」
ユーリは、袖の布を巻き直した。
「戻ってきた鳥の足に、紙が括ってあった。『受領、異常なし』。届いてない報告に、受領の返事だけが来たんだ。その紙の筆跡は、隊長のだった」
樽の陰が、しんと静まり返った。麦の匂いだけが、変わらずそこにあった。
「案内はできる」
「条件は」
「妹が、監視所の炊事場にいる。塔の一階だ。ヨルという。十二になる」
ユーリは竹筒から目を離さないまま、続けた。
「実家の母から便りが来た。ヨルから、手紙が二通届いたって。……ヨルは、俺の名前をいつも『ユリー』と書き間違えるんだ。何度教えても直らない。なのに二通とも、『ユーリ』と正しく書いてあったらしい」
アルトが、腕を組み直した。ガロンも黙ったまま動かない。書き間違えるはずの字が、直っている。それが何を意味するのか、誰もすぐには口にしなかった。
「妹を連れ出してくれ。それが先だ」
「約束は、しない」
セレスは、はっきり言った。
「守れなかった約束は、お前の中にずっと残る。だから、しない。ただ、妹を置いてはいかない」
「……それで、足りると思うのか」
「足りない。だが、今の俺に出せる全部だ」
ユーリは、しばらく動かなかった。
ミュゼが、そっと屈み込む。
「……その腕、診せてください」
一拍おいて、ユーリは裂けた袖を差し出した。淡い緑の光が、布の下へ滲んでいく。その間に、ユーリは空いた手で外套の裏を探り、四つに畳んだ紙を抜き出した。何も言わずに床の上を滑らせて、セレスの前に置く。
開くと、塔の見取り図だった。階段の数まで書き込んである。一番下の階に、丸が二つ。
一つの横には、小さな字が添えてあった。
――ヨル。炊事場から、三つ目の扉。
もう一つの横には、字が三つだけ。
――穀物庫。
第百五話「割れた鐘」をお読みいただき、ありがとうございます。
次回は、この見取り図を手に、旅商人との再会から始まります。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。




