第7話【昇級戦、続く】――遠雷
北関東の、つくばエクスプレスが止まる小さな街の、駅近のカフェ。
そろそろ冬支度という季節にも関わらず、なぜか夏の北海道で熱く戦っている二人の打合せが続いている。
いま、青年が席に一人、タブレットで何か作業をしている。
仕事の電話があるから、と調教師はいったん店外に出ているのだが、その出際に作業をひとつ頼まれたのだ。自分も暗記できてる訳じゃないので、と。
「できる?」
電話を終えて戻ってきた調教師が席につきながら、逆側からタブレットを覗いて言った。
「――あ。おかえりなさい。はい、もうできるところです」
青年は作業を続ける。
そして数分してから
「――はい。……これでどうでしょう?」
そう言いながらタブレットを置いて、クルリと調教師の方向に回した。
タブレットには次の情報が表示されていた。
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<北海道シリーズ 芝2600M>
6月2週 函館 未・・
6月3週 函館 ・①・
6月4週 函館 ・・・
7月1週 函館 ・①② 横津岳
7月2週 函館 未・・
7月3週 函館 ・①・
7月4週 札幌 ・・② ライラック
8月1週 札幌 ・①・
8月2週 札幌 未・・
8月3週 札幌 ・①② 阿寒湖
8月4週 札幌 未・・
8月5週 札幌 ・①・
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レースカレンダーから、芝2600メートルのレースだけを表にしたもののようだ。
調教師はどれ……と言いながらタブレットに顔を近づけると
「……おお。すごくいいよ。見やすい」
感心したように言った。
「よかったです。①が1勝クラス、②が2勝クラスです。……一応、「未」が未勝利です」
調教師は苦笑いする。やはり青年は未勝利のことも気になるようだ。
「うん。いいよ。……で、横のコメントがレース名か」
「はい。2勝クラスだけですが」
調教師はいいね。親切設計だ、と言って笑ったあと、続ける。
「結構あるでしょ」
「はい。本当に多いんですね。1勝クラスなんて中1週であります」
しばらくタブレットの中の表を見詰めてから、調教師が言った。
「で、6月3週にある①が、ついさっき終わったレース、駒ヶ岳特別なわけだけど」
「はい。3着でした」
青年は敢えて結果も言う。まだ少し根に持っているのかもしれない。
「うん。で、ここからのローテーションを確認するんだけど、6月3週に敗退したので、もう一回1勝クラスを走ることになるから、さらにその次、このシリーズの最終目的である2勝クラスは、8月3週の『阿寒湖特別』一択になった、ということは分かる?」
「え~と……」
青年も表をじっと見詰める。
「……そうですね。カレンダー上は『ライラック賞』もありますけど、もう5週間後ですから、それまでに1勝クラスを走ってる余裕がないですね」
「うん。ライラック賞で勝てればかなり余裕ができるのは事実だが、中1週で1勝クラス、そこから中2週でライラック賞という強行軍になり、これは過酷過ぎるのでパスだ」
青年も頷く。
「で、8月3週の阿寒湖特別をターゲットに決めて、その上で次に走るべき1勝クラスのレースを決める」
「え~と、はい」
「ここでカレンダーをよく見ると、今時点つまり6月3週と、最終目標になる8月3週の阿寒湖特別のちょうど中間地点にある、7月3週の1勝クラス、これを次の目標にするのが妥当であることが分かる。いい?」
調教師が指で示したのは、カレンダーの中の次の3箇所だった。
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<北海道シリーズ 芝2600M>
6月2週 函館
6月3週 函館 ・①
6月4週 函館
7月1週 函館
7月2週 函館
7月3週 函館 ・①
7月4週 札幌
8月1週 札幌
8月2週 札幌
8月3週 札幌 ・・② 阿寒湖
8月4週 札幌
8月5週 札幌
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青年は、表の中の週数を数えながら答える。
「そうですね。7月3週はちょうど真ん中でバランスはいいですね。……また中3週での3戦になるのがかなり気になりますけど」
今季、5ヵ月ぶり2回目の『中3週で3戦』達成だ。
調教師は気を取り直すようにゴホッと咳払いしてから、言った。
「決して楽なローテーではないのは事実だ。だが北海道シリーズまでに、十分な間隔を取って準備してきている。つまり、これを見越しての未勝利脱出のリミット設定だったわけだ」
確かにそういう逆算だった。
「とりあえず……はい、分かりました」
ここは専門家を信じて、青年は先を促した。
◇◇◇
「で、話を戻すと、設定した北海道シリーズの残り2戦、これを連勝するために、まずは7月3週の1勝クラスに照準を定めて動く」
「分かりました。連勝するしないので……崖っぷちですよね……」
いわゆるカド番、というやつだ。
「まあそうだ。でも、そんなときでも、焦らず油断もせず、いつも通りだ。……まず、前走で3着となったあと、すぐに育成牧場に戻す」
「やっぱり戻すんですか」
「うん。このあたりは意見が分かれると思うけど、自分は、滞在競馬でも中3週なら育成牧場で短期リフレッシュだ」
相変わらず全幅の信頼である。
「未勝利シリーズのときの、外厩と同じですね」
「そうだ。で、育成牧場で日程ギリギリまで使って仕上げたあと、函館へ入れて最終調整だけして、レースを迎える」
「あっという間ですね」
青年は緊張した面持ちで言う。
「次走はおそらく展開の心配はいらないだろう。前走の結果から、かなりの確率でここでは1番人気、悪くても対抗の2番人気にはなるから」
同じ条件だった前走で、僅差の3着。普通に本命だろう。
「確かに人気にはなりそうですけど、それと展開は関係ありますか?」
「うん。この馬の過去のレース記録を見れば、かなり前目で走る馬と分かるし、人気でもあるから、有力どころはこの馬を目標にレースを進めようと考える。だからここでは、捨て身の逃げを打ってくる馬がいる場合を除いて、先手を取ってしまえばスンナリだ」
「……だといいんですが」
前走のことがあるからか、青年は疑念を払拭できないようだ
「というわけで、北海道シリーズの2戦目だ。7月3週、1勝クラス、函館の芝2600」
「はい!」
「で、1着。当然ここは勝ち上がりだ」
これを聞いて青年は、おお……と安堵の声を出す。
「五分のスタートから先手を取ると、緩みのないペースで気持ちよく飛ばして3から4馬身のリード。2周目に入っても快走は続き、3コーナー過ぎで追走する後続集団が手応えいっぱいになる中、4コーナーをただ1頭で回ると――」
「……」
「直線は後ろを振り返った騎手が馬なりで流して、7馬身差をつけてゴール……といったところだろう」
「全然楽勝じゃないですか!」
拍子抜けするほどの大楽勝だ。しかし馬が本格化するときというのは、往々にしてそういうものである。
「ああ。もう既に1勝クラスや2勝クラスを走る馬じゃない、ということだ」
青年は軽い手さばきでタブレットを操作し、テーブルにスッと置く。
「こうなりました!」
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6月3週 函館 駒ヶ岳特別① 3着
7月3週 函館 1勝クラス① 1着
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「うん。これで2勝クラスに昇級だ」
「なんというか、急に視界が開けた感じがします」
それもそうだろう。あとひとつで、菊花賞の賞金ボーダーの目安をクリアできる。
「うん。毎度のことだけど、それでも焦らず油断もせず、いつも通りだ」
焦らず油断もせず、いつも通り、は調教師の座右の銘なのだろう。多くの修羅場をくぐってきた勝負師らしい言葉だ。
「育成牧場で短期リフレッシュ、ですよね。そして日程ギリギリまで育成牧場で仕上げる……と」
青年が調教師のフレーズを真似て言う。
「しかしこの部分は変わらないですね。愚直というか、徹底してます」
「この流れを守ることで、厩舎は戦う場所で、外厩や育成牧場は日常の場所、そう馬に意識させるんだ。日常の場所にいると認識すれば、短い時間でも深くリフレッシュできる」
「なるほど……それは人間だってそうです。確かに」
調教師はでしょ、と笑って続ける。
「深いリフレッシュによって、回復と成長をより大きく。連戦のときだからこそ、そのための手間ヒマは惜しまない、そう考えている」
「いや……とても理に適ってます」
青年は感心したように言う。
「まあ、この辺の考えは人によると思うけど」
そう言って調教師は話を戻す。
「それで育成牧場から、今回は札幌競馬場へ入れて、最終調整だ。気合を乗せつつ、あとはレースを待つ」
次走『阿寒湖特別』の舞台は札幌競馬場だ。
「で、そのレースだけど――」
次走の展開予想へと流れるようだ。
「――2勝クラスともなれば、戦歴が長くて戦法が確立している馬が多いので、何としても先手を、という逃げタイプが何頭かいると思われる。あと前走の結果から、この馬は好きに行かせたら捕まらないと警戒されるだろうから、後ろからのマークも前走より厳しくなるだろう」
「包囲網みたいですが……こっちの対応はどうなりますか?」
調教師はゆっくりと、顔の前で両手の指を組み、両肘をテーブルに突く。
「ここは相手の好きにやらせておいて、ねじ伏せてみせてもらおうか」
小細工なしの姿勢に青年はおお……と唸るだけだ。
調教師は小さく2回頷いてから、言った。
「では、北海道シリーズ3戦目、8月3週『阿寒湖特別』、札幌の芝2600メートルだ」
「はい!」
「で、1着。ここも余裕で勝ち上がりだ」
「来たー! 来ましたね!」
「今回は、行きたい馬に先に行かせて3番手につけ、スムーズな追走でメインスタンド前を通過。2周目の向こう正面で軽やかに先頭に立つと2馬身、3馬身とリードを広げ、3コーナー過ぎで仕掛けてきた後続に詰め寄られるが、600切って気合を付けるとギアが上がってみるみる差を広げ――」
「……!」
「完全に突き放した直線では今日も後ろを振り返った騎手が馬なりで流して、8馬身のゴール……といったところだろう」
あまりの圧勝に呆然とする青年。
「恐ろしく強い……」
負けようがない内容だ。
「言ったろ。もうこのクラスを走る馬じゃないんだ」
「この連勝、この着差、芝に変わって突如開花したあのタマモクロスの条件戦を彷彿とさせます!」
青年は昭和の名馬の名前を出した。
「おお……タマモクロス。そうだな。彼の場合はその3勝目が菊花賞の前週だったんで間に合わなかったけど――」
「この馬は間に合いました!」
青年はタブレットを持ち上げ、喜びにはやる手つきで結果を入力すると、テーブルにトンと置き、クルリと回す。
「こうなりました!」
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6月3週 函館 駒ヶ岳特別① 3着
7月3週 函館 1勝クラス① 1着
8月3週 札幌 阿寒湖特別② 1着
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二人はしばらく、満足げにタブレットの成績表を見つめた。
「とうとう菊花賞ですね……」
青年は感無量のようだ。
「……やっとここまで来たか」
調教師が実感を込めて応じる。
それは馬が達成した成果についてなのか、それともこの打合せの進捗についてなのかははっきりしなかったが、たぶん両方だろう。
午前から始まった二人の打ち合わせだが、時刻はそろそろ昼下がりだ。
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次話「踊り場で押しを止めて」もよろしければぜひお読みください。




