姫の魔法は優秀ですか?
「それでは二時間目もよろしくお願い致しますわ」
「うん、よろしく」
予定調和という言葉の通り、リーヴェはまるで当然のように席へ戻ってきた。改めて見ても彼女の一挙一動には品格が漂い、まるでこの場が彼女の舞台であるかのようだ。
俺はもう一度原簿を受け取り、互いの認識を共有するために次の教習内容を確認する。彼女は横で静かに頷きながら、凛々しくも真剣な眼差しをこちらへと向けていた。
…この心に湧き出るくすぐったい感情は一体何だろうか。
俺は彼女の眼差しも自分の感情も見て見ぬふりを決め込んで言葉を続けた。
「さて、さっきの授業はとにかく魔法を発動させることに重きを置いていた。けれど次の時間は狙いであったり出力だったりという事に気を配って発動することを念頭に置く必要が出てくる」
「狙いと出力…」
リーヴェは小さく復唱し、胸の前で指先を組み合わせた。細かな仕草ひとつにも、習慣として身についた上品な所作が滲む。
「そう。一般的にその二つを並べた場合、どちらの方が重要かってのは分かるかな?」
「狙い、ですわ」
俺は頷く。こういう単純な一問一答を繰り返すのも教習のコツだ。対話を通じて相手の集中を持続させるのはもちろん、こちらからも彼女の反応を測れる。会話や思索をしながらでも安全に魔法を扱えるかどうかは、そのまま実地での適性に直結するからだ。
「そうだね。命中する強い魔法よりも、命中しない弱い魔法の方がよっぽど危険だ。適切な場所に適切な量を出すのが基本で、同時に奥義のようなものになる。だからまずは狙いを定めるところからやっていこう」
「はい!」
応えた声は澄んで高く、場の空気を少しだけ明るくした。
説明が終わると俺たちは演習場へ移動した。
いわゆる的当てができる場所で形式としては弓術の訓練に近い。練習用の木製の的がいくつも立ち並び、的の周囲には風に煽られた藁屑や砂が散らばっている。既に何組かの教習生と同僚が利用していたが、俺とリーヴェが現れると彼らはすぐに遠慮がちに隅へ移動していった。
王女という肩書きの持つ威圧感は、こうした場面で否応なく現れる。俺としては肩身が狭いばかりだ。
「ともかく…まずはやってみせるね」
俺は左手首に巻き付けた古びたブレスレットを見やる。社用で支給された中古品で革の部分には擦り切れや小さな裂け目があり、金属の飾りはくすんでいる。現役の頃に使っていた愛用の剣と比べれば、あまりに頼りない代物だが必要最低限の魔法を発動させられるのなら十分だった。
左手を前に突き出し、さきほどリーヴェに教えた呪文を唱える。
『眠り賜う。颶風水面に吹き下し』
途端に、前方の空気が渦巻き始めた。風そのものは目に見えないが、周囲の葉や草が舞い上がり、渦の中心へと吸い込まれていくことでその存在がはっきりと示される。
俺は人差し指を軽く回し、渦を安定させた。子供がトンボを追い回すような、無邪気でいて繊細な動き。慣れないうちは腕全体を大げさに使うものだが、指導員としてあまり格好の悪い姿を見せるわけにはいかない。
十分に纏め上げた風を細長い鞭のように形成し、最も遠くに据えられた的を狙う。蛇が獲物へと飛びかかるような軌跡を描いて風の鞭が的を叩き落とした。
「こんな感じかな」
「お見事です、先生」
振り返ると、リーヴェは目を輝かせて拍手を送ってきていた。彼女の頬にはうっすらと紅が差し、純粋な感嘆の念がそのまま表情となって現れている。
ここまで真っ直ぐに褒められると嬉しいという気持ちを通り越して、むしろ気恥ずかしくなってしまう。それはきっと俺が褒められ慣れていないだけだろう。
乾いた作り笑いを浮かべると、リーヴェがふと思い出したように問いかけてきた。
「そう言えば」
「ん?」
「先生は武器と魔道具は分けておいでなのですか?」
「いや、現役時代は剣を媒介にして魔法を使ってたよ」
「今はどうして?」
「…」
剣を握るとどうしてもかつて日々の記憶が甦る。戦場の喧噪、仲間の叫び声、血の匂い。そして今の自分なそんな場所に立つことすら許されなかったという言葉にはできない感情が逆なでされる気分になるからだ。
だが、そんな個人的な本音を生徒に明かすわけにはいかない。
「まあ…ちょっとね」
「学校で使うのを禁じられているのですか?」
「そんなところかな」
「あの不思議な形の剣で闘うレギオン様は素敵でしたのに…」
残念そうにリーヴェが呟くと、俺は虚を突かれたように彼女を見返す。
否定的に捉えていた自分の過去をこうして憧憬の眼差しで語られると、多少なりとも救われたような気がする。胸の奥で長い間眠っていたものが少しだけ温もりを取り戻した。
…次の休みに、久しぶりに剣を握ってソロクエストにでも行ってみようかな。ずっと蔑ろにして仕舞いこんでいたものに、少しは向き合えるかもしれない。
「ま、それはそれだよ。とにかく今は教習を始めよう」
「分かりましたわ」
今日の課題は風を操って吊るされた的を揺らすこと。合格点はそこだ。他の属性を駆使したり、真空波やかまいたちを生み出すのは、まだずっと先の段階でいい。
俺が指示を出すとリーヴェは例の短剣を抜き、呪文を唱え始めた。
『眠り賜う。颶風水面に吹き下し』
彼女の動きは俺の所作を忠実になぞるようで、驚くほど無駄がない。渦を纏めた風は真っ直ぐに飛び、見事に的を弾き落とした。
「できましたわ」
満面の笑みを浮かべる彼女に、俺は呆気に取られた。普通ならまず的に当たらない。狙いの付け方や力の抜き方を指導するのが常だ。だが彼女は初めから全てを理解していたかのように、正確にやってのけた。
「できたね…」
言葉が自然と遅れた。だが、これは初めてではない。勘のいい子ならば時折こういうこともある。ならば次の段階へ進めればいい。できなくて当然、できたなら予習だと思えばいい。
「それじゃあね…」
俺は次々と注文を出した。複数の的に同時に命中させる。時間差をつけて順番に当てる。偶数番号の的だけを狙う。指示はどんどんエスカレートしていったが、リーヴェは難色を示すことなく、むしろ楽しそうにこなしていく。
最後にはこの段階ではまず無理なはずの的の破壊までやってのけた。
「先生、褒めてくださいませ」
「あ、ああ…本当に凄いな。まさか初日でここまでできるとは」
「ふふっ」
きゃいきゃいと喜ぶリーヴェを前に、俺はただ呆然と立ち尽くした。世の中には本当に、何でも卒なくこなす人間がいるものだ。しかも彼女は一国の王女。生まれながらにして才に恵まれ、努力すら結果に変えてしまう。こういう瞬間に、不平等という言葉の重みを思い知らされる。
だが同時に彼女の素養は教習を進める上でこの上ない利点でもあった。俺は深く息をつき、気を取り直す。
「何はともあれ、最初の教習としてはこの上ない出来だ。順当にステップアップしていけるはずだな」
俺はリーヴェの癖や欠点、反対に長所を整理しながらアドバイスを始めた。彼女は耳を傾け、真摯に受け止めようとする。こうして言葉を交わしているうちに、終了の時刻が近づいていた。
その時だった。
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