短剣一つで守り切れますか?
「きゃあ!?」
鋭い悲鳴が演習場の空気を切り裂いた。
反響する声は甲高く、乾いた土の匂いと緊張で張りつめていた場を一瞬で凍らせる。少し離れたところで別の的当て教習が行われていたので、声の主がその女子生徒であると俺にはすぐに分かった。
振り返れば少女が握る杖が真っ赤なオーラを帯び、不穏な脈動を放っていた。まるで炎の蛇がその内部でのたうち回っているかのような嫌な光だった。
それが魔力の暴走反応であることは一目で察せられた。
案の定、担当していたハウリング先生が女子生徒から必死に杖を引き剥がして防衛術を展開する。その額に浮かんだ汗の粒と、歯を食いしばる顎の力からも、事態がいかに深刻かが分かる。
だが事態はそれだけでは終わらなかった。
次の瞬間、杖の魔力が暴発する。
大地が唸り声を上げて盛り上がり、演習場の土が爆ぜるように隆起した。鋭く尖った巨大な岩石が、棘だらけのイガ栗のように四方八方へ飛び出す。乾いた破砕音と土煙が入り乱れ、周囲は混乱と恐怖に包まれた。
防衛術を間に合わせた二人の生徒はどうにか守られたが、俺たちの方は間に合わなかった。遅れて気づいた分、満足な対応ができない。このままではリーヴェが──。
最悪の未来が脳裏をよぎるより先に体が勝手に動いていた。
俺はリーヴェの細い腰を抱き寄せ、強引に体を引き回して位置を入れ替える。その動きのついでに、彼女の腰に差してあった短刀の片割れを抜き放った。柄の冷たさが掌に吸いつき、全身の神経が研ぎ澄まされる。
そこからはもう無心だった。
迫りくる岩石の群れを切り崩すことだけに集中する。鋭い破片はもちろん、舞い散る土埃さえもリーヴェには触れさせまいと、全神経を刃先へと注ぎ込んだ。
ひと振りごとに石が砕け、砂が弾ける。耳を劈くような破砕音と、肌を打つ細かな欠片。それでも刹那にも満たない時間が過ぎ去る頃には、目の前に残っていたのは微塵に刻まれた岩の残骸だけになっていた。
「リーヴェ様、お怪我は!?」
振り返りざまに声を掛ける。だが、返答がない。
胸がひやりと冷たくなる。すべて防いだはずだ。それでも、どこかに打ち付けたのか、あるいは…?
「わ、私は無事です…」
小さく震える声が返ってきて全身から一気に力が抜けた。
どうやら突然の出来事に気を呑まれて一瞬放心していただけらしい。教習の初日にこんな事が起こっては萎縮するのも無理はない。
だが魔法の利便性はは事故と表裏一体なのは覆らない事実。これをトラウマにするのではなく、安全意識に変えてくれればいいのだけれど。
その後、演習場は上を下への大騒ぎになった。教師たちが奔走し、生徒たちのざわめきが渦を巻く。だが奇跡的に怪我人は出なかったのが不幸中の幸いと言えた。
普通ならこの後の教習は中止になるだろうと思ったが、学校は手早く事後処理を済ませ、わずか一時間後には再び通常運転に戻った。
良く言えば逞しい、悪く言えばがめつい。
いや、むしろこれほどの根性は学ぶべきかもしれない。何せ今は複数のVIPが同時に在籍している。気合いが入らないはずがない。多少のトラブルがあっても、リーヴェにとっては魔法の楽しさと恐ろしさを同時に体験できる好機となったはずだ。……明日から物怖じして来なくなる、なんてことはないと信じたい。
■
その日の教習を終えたリーヴェは要人用の馬車に乗り込み、帰路についた。
車内には、事情説明のため学校とレギオンから報告を受けたメサクが同乗していた。革張りの座席に揺られる中、普段は笑みを絶やさないリーヴェが能面のように表情を失い、思索に沈んでいるのを見てメサクは落ち着かない様子だった。余程の衝撃だったのだろうか。
詳しく事情を尋ねようと口を開きかけた矢先、逆にリーヴェの方から声が飛んできた。
「ねえ、メサク」
「…はっ」
「事故のあった現場は見ましたか?」
「ええ。大事に至らず何よりと思えるほどの魔力暴走の跡がございました」
「レギオン様が身を挺して守ってくださいましたから…あの時のように」
その言葉に、メサクは息を呑み、口を噤む。
リーヴェ誘拐未遂事件──王宮において近年最大の屈辱とされ、語ることすら憚られる出来事。その後、護衛に当たっていた者たちは一方的に責を問われ、辞職を余儀なくされた。騎士道に厚いメサクもまた、長年その責任を背負い続けていた。
「ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではありませんの」
リーヴェは短く詫びると腰の短剣を抜き、メサクに差し出した。銀の刃に窓から差し込む陽が反射し、馬車内に光を散らす。
その意図が読めず短刀を見たままに固まってしまう。
「メサクがあの場に居合わせたとして、これ一本で私を守りきれましたか?」
「は?」
「そもそも、これであの現場に散乱していた岩を斬ることができるとお思いますか?」
メサクは短刀をまじまじと見つめ、想像する。暴走した岩石群、舞い散る破片。それをこの短剣一振りで斬り払えるかどうか。
…いや、無理だ。
答えは明白。自分がその場に居合わせていれば短剣などは投げ捨てて防衛術で凌ぐか、自らが盾となって抱きかかえるしかないだろう。咄嗟に岩を斬り払うなど、いかに業物の短剣であろうと至難だ。
そして同時に、何故こんなことを聞くのだろうかという察しがついた。
「まさか、レギオンは…」
「ええ。守って頂きました、この短剣の一振りで」
思わず息を呑む。
レギオンの腕前は知っているつもりだ。しかしそれは十余年も前の事。あの時点で類なき実力者であることは分かっていた。騎士団を離れた後に更に研鑽を積んだとして何ら不思議はないが…リーヴェの話が本当だとすれば自分の想像の遥か上を行く実力者ということになる。
するとようやくリーヴェがいつものような柔和な笑い声を漏らす。しかし目は笑っていなかった。
「私が誘拐されそうになったことよりも、レギオン様を処分した方が王宮にとって最大の失態です。当時の責任者は誰でしたかしら」
「…」
「ふふ。調べれば分かる事ですのに。部下を庇う慈愛も騎士には必要ですか」
「恐れながら…」
そこで一度この話は終わった。メサクはせめて大事にならぬように祈るばかりだった。
リーヴェはそんな彼を他所に窓の外を流れる景色を見ながら呟く。
「刺激的でしたわ。わざわざ魔法免許を返納し、レギオン様に教えを受け直して本当に良かったです」
「…」
以降、城に着くまで会話はなかった。ガコガコと馬車の車輪が回る音だけが響いていた。
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