本物のベースキャンプですか?
しばらく進むと階段状に抉れた下り道が現れ、段差の一つ一つがまるで手彫りのように無骨で歪んでいる。自然洞窟と人工物の境界が曖昧になっていくようなつくりだ。このくらいまで降りてくるとダンジョンの自動修復作用の方が強くなり、人為的な改造は意味を成さなくなってくる。
「…ここまで来ると鈍い私でも魔力の濃さが実感できます」
リーヴェがそっと指で壁を撫でる。岩肌の上に刻まれた古語のような文様は、風化でほとんど読めなくなっているが、どこか神殿建築の意匠に近い。
ダメージと風化は何が違うのか。やはり人間と同じように老いるというのが専らの通説だ。
「だんだん人が少なくなってきたね」
「そうだな。ベテランはさっさと深層に行くし、初心者は用心して進むだろうからね。自然とバラけるんだろう。みんなは教習とは言え相当優秀だから早い方だけど」
とは言えども、間もなくベテラン勢もその多くが休憩地点として捉えている箇所に辿り着く。その辺りで一日を過ごすのが本来の教習の目的でもあるが、下手に安心させると油断するケースがあるのでまだ教えてはいなかった。
やがて階段を降りきった瞬間、視界が開けた。
巨大な空洞にヒカリゴケが蔓延り、景色として一望できる程度の光源となっている。
俺たちの視線の先には朽ちて傾きかけた数十本の柱に支えられた古の神殿らしき建物があった。
床は半ば土に沈み、半ば植物の根に覆われている。地上にあればさぞかし荘厳な佇まいであったかもしれないが、地の底で見ると精々墓標にしか見えない。
こういうのを見ると盛者必衰の理が垣間見えるようで…端的に言えば歳食った自分に現実を叩きつけられているようで、何とも言えない心持ちになってしまう。
「神殿、だよね? 昔のアルケヴィオス教のかな?」
「いえ。違うと思います。単に旧時代に信仰されていた別の宗教の神殿ではないかと」
神については一家言あるノワールが真剣な目で神殿を観察して淡々と解説する。
ここについては浅い階層と言う事もあって色々と調査が進んでいるのだ。俺は解説を補足した。
「ああ。ノワールの言う通り、旧時代の神殿でな。時の流れに神性を見出していた一団の宗教施設らしい。古代語で『時の神殿』と書かれていた事から、そのまんま時の神殿と呼ばれているんだ」
「何とも歴史ロマン溢れる場所ですね。それに時間に神性を見出すというのは面白い話ですわ」
と、意外にもモマさんが好意的な反応を示してきた。結構な現実主義な人だと思っていたけれど、そんな話題にも食いついてくれるらしい。
まあ神殿の解説はこのくらいで済ましておこう。
俺は皆の意識を再び教習に戻した。
「さて。実を言えば今日の目的地まであと一歩のところまでたどり着いたんだ」
「あと一歩?」
「そう。知っての通りダンジョンの中で野営をするのが教習の内容だ。ここは御覧の通り、場所も広いし多くのパーティが中継やキャンプに利用している」
「でも今の先生の言い方ですと、ここで休まないという事ですの?」
「ああ。こういう場所だとパーティ同士の衝突やいざこざが起きやすいんだ。みんながみんなマナーがなっていないとは言わないけれど、君たちの場合はできるだけトラブルは避けるべきだからね」
「おっさんの為にもな」
「まあね」
実を言えばカパタピのいう事が一番の懸念点だったりする。俺自身の精神安定を図るためにも、不特定多数のパーティがいる空間での野営はごめん願いたい。
窃盗や暴行なら可愛いもんだ。中にはナンパや婦女暴行なんて人の風上にも置けないような事をしでかす輩が多いのも事実。
人を警戒するよりもダンジョン内の魔物を警戒する方がよっぽどマシだった。
「と言う訳で、更に足を延ばして神殿内の部屋を使って野営できる場所を探そう」
「そんな事ができるんですか?」
「勿論だ。あの神殿だって立派なダンジョン。所有権や占有権はないからな。ここの他にも町とか坑道とか大きな館とかがダンジョンと化している場所もある。部屋に入って安全を確保するのもテクニックの一つさ」
俺がそう告げると、四人は改めて古の神殿を見上げた。
本来なら神聖だったであろう空気も、今となっては湿った土と石灰の匂いが染みついているだけだ。
「……中は真っ暗、とは言いませんが薄暗いですね」
リーヴェが呟いた。入り口付近まではヒカリゴケの恩恵もあったが、内部は一筋の光もなく、ここからは照明魔法や松明などを駆使した進行が求められる。
「ま、行くしかねえだろ」
カリアトスが肩をぶんぶん鳴らしながら言う。もちろん、無鉄砲に進むことはない。メイスを構え、光を灯しては周囲の気配を細かく探っている。
「失礼します」
ノワールが一礼してから神殿の境界線を跨ぐ。その礼儀正しさが、却って不気味な雰囲気に馴染んでいるのが可笑しい。
俺たちは慎重に廃神殿へと入っていく。
内部は外よりも静かだった。耳鳴りが聞こえそうなほどの沈黙。石壁には古代語の名残のような線刻が走り、風化で掠れてはいるが、どれも時計の歯車を思わせるような幾何学文様が連なっている。
「真相を知っていると、確かに時間に関する象徴表現が多いですね」
リーヴェがが壁の文様を指でなぞりながら呟く。
「それにしても瓦礫が多い…大丈夫ですよね?」
「表面が崩れてるだけで、内側は案外しっかりしてる。ダンジョンの自動修復ってやつだ。もう何度も来ているが大きく崩れることはない…けどだからって油断するなよ?」
進むにつれて、どんどんと湿度と気温が下がっていく。
そんな空気を肺に納めるたびに、熱を奪われ、廃れた神殿のもの悲しさと同化していくような錯覚が芽生える。
慣れがなければ、あまり好ましいとは思えない空間だ。しかしお嬢様方は俺と感性が違ったらしい。
「……落ち着きますね、ここ」
モマさんが小さく息を吐く。
「確かに。外より静かで……なんだか心が休まるような気がしますわ」
リーヴェも足取りを緩め、古びた壁をそっと一瞥した。
落ち着くか。中々豪胆な事を言うじゃないか。
神殿内部は複雑に入り組んでいる上、廊下は瓦礫や土砂に埋まっている場所も散見される。地下水で育った苔に覆われた床では滑りやすい場所もあるから、いざ戦闘になると厄介さと鬱陶しさが出てくる。
だが幸いにも今のところ魔物の気配は感じられなかった。
「どこ使う? 部屋はいっぱいあるみたいだけど」
カリアトスがきょろきょろと首を回す。かつての信徒が生活していたであろう住居スペースに差し掛かったのだ。
「まずは周囲の安全確認と、外部との行き来がしやすい場所がいいですね。あと湿気が少ないところが理想です」
「姫さん。こっちの部屋なんてどうだい?」
いつの間にか探索に出ていたカパタピの声に従って進むと、半ば開けた広間に出た。
何の部屋か、今となっては推察もできない。けれども五人で一夜を明かすには十分な広さ間取りだ。その上、幾度かキャンプに使われたようで掃除がされた形跡がある。
ドアは一つしかなく、窓もない。入口に見張りを立てれば護衛もしやすいから、ベテラン組にとっては結構な人気スポットかも知れない。
ここなら焚火を焚いても安全だ。
「……ここならいいな」
俺が言うと、四人はそれぞれ少しほっとした表情を見せた。
それからすぐに野営準備が始まった。
モマさんが荷物から道具を整理し、夕飯の支度に必要なものを手際よく分類する。
リーヴェは簡易魔法陣を壁際に描き、外部からの魔物侵入を防ぐ準備を進める。
カリアトスは床の岩をどかし、座るスペースを整え、焚火のための石を組み始めた。
ノワールは壊れた台座の前で短く祈りを捧げ、空気を浄化する魔法をそっと放つ。
全員が言われるまでもなく役割分担ができている。どこまで言っても手間のかからない生徒たちだ。
「みんな、慣れてきたな」
俺がそう呟くと、リーヴェが振り返って柔らかく微笑んだ。
「先生のご指導の賜物ですわ」
「はは。ありがと」
「リップサービスではありませんよ? 本当に上手なご指導だと思っています」
「お、おう…」
こんな風に急に面と向かって褒められると照れくさいものだ。
俺は照れ隠しの意味を込めて、少しだけ声を張ってみんなに告げる。
「よし。それじゃあ……今日はここをキャンプ地とする」
俺が宣言すると、四人の顔がぱっと明るくなった。
「やっば。ダメって分かってるけど、テンション上がってきた。この五人でキャンプとか」
「ふふ、そうですね。羽目を外し過ぎなければいいのではないですか? 休憩してこその野営ですもの」
「いつか学校で泊ったこともありましたね」
「同好会の合宿のですよね? 懐かしいですわ」
気を抜いた訳ではないけれど、それでもこの部屋だけ雰囲気が軽くなった。まるで放課後の教室のようだ。
そして若さと活気を自覚すると、途端に居心地が悪くなった。今日は寝ずの番をして彼女たちを見守る事にしよう。元からそのつもりだしね。
「あ、先生。焚火、点けるね」
「何かお飲みになりますか?」
「それに食事の事も準備しませんこと?」
「おっさん、寝る場所の配置どうすんだ? まさかセクハラみたいな配置にしないよな?」
「へいへい。落ち着け」
かくして神殿内の一室が俺たちの拠点となった。
静寂の底に潜む、不気味な掘削音はその間もわずかに響き続けていたが、今この場所には四人と一匹の温かな気配が満ちていた。
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