本物の魔物ですか?
整備された人工の坑道区画を抜けると、石壁の質感が目に見えて変わっていった。
壁面に規則的に刻まれていた支柱跡や補強の鉄骨は徐々に姿を消し、自然の岩肌がむき出しになっていく。均一だった天井の高さもまばらになり、急に閉塞したり開放感が生まれたりと、足を進めるごとに雰囲気が変わる。
それに合わせて空気もひどく冷たくなり、湿度が肌の上を這うようにまとわりつく。吐息さえ少し白むような錯覚を覚える、ひんやりした空気だ。
「雰囲気が変わりましたね…」
リーヴェが小さく呟いた。声の響き方すら、先ほどの人工エリアとは全く違う。
整った直線的な反響ではなく、柔らかく揺らぐ。まるで洞窟そのものが呼吸しているかのようだ。
俺は歩みを少し落として周囲を見回した。
天井は一気に高くなり、黒曜石にも似た岩に淡青色の苔がびっしりと張り付いている。その苔が放つ弱い燐光のせいで、光源を落としても前方がぼんやりと浮かび上がる。ちょうど月明かりだけを頼りに森を歩く時のような、静かで、どこか不安を誘う明るさだ。
「幻想的ですわね。夜空を見ているみたい」
「魔力濃度も少し高いようね。ほら、灯りが強くなってる」
モマさんが照明結晶をかざすと、結晶の光がほんのわずかに活性化したように脈動した。
初めて来たから何が異変かは分かり辛いだろう。けれど教習で何度も訪れている俺からすると違和感がある。洞窟全体が、肌の裏側をそっと撫でてくるような、落ち着かない振動で満ちている。
(やっぱり、力線の乱れは本当か)
俺の胸の奥に微かなざわつきが生まれる。静かな場所ほど、小さな異常が余計に大きく感じられるものだ。
その時の事だった。
――ぶつっ。
湿ったものが千切れるような音が、空洞の奥から響いた。
続いて、かすかに土が落ちるようなサラサラという音。
それだけならまだ良かったが、鼻をつんと刺すような土と腐葉の混じった匂いが漂ってくる。生きたものの気配というより、むしろ“死にかけの森”の匂いだ。
「……っ、みんな。魔物が来るよ。」
いち早く気付いたのはカリアトスだった。沈んだ瞳の奥が一瞬で鋭くなる。
「そのようですね」
リーヴェが腰を落として構えを取る。肩がわずかに下がった瞬間、別のパーティの冒険者たちも周囲を見回してざわつき始めた。空気が引き締まり、湿った洞窟の冷気がやけに肌に刺さる。
間もなくして、空洞の陰からソレが現れた。
最初は岩肌の一部が膨らんだのだと思った。
だが、ぬるりと動く傘の縁が見えた瞬間に、全員の表情が険しくなる。
「マタンゴだ……!」
カリアトスが素早く叫ぶ。
ひしゃげた大きなキノコの傘。その縁から垂れ下がった胞子の幕。脚にあたる部分は太く歪んで、根のように地面に広がっていた。
しかも一体ではない。奥から順々に、まるで息を合わせたかのように複数のマタンゴがこちらに突進してくる。足音はしない。ぬちゃり、ぬちゃりと湿った床を踏みしめるだけの、不気味な進軍だ。
正直に言えば、初心者の訓練に最適な願ったり叶ったりの魔物だ。叩く、斬る、突く、魔法を浴びせると大抵の方法で倒すことができるからな。
けど今回の場合は中々の数が厄介だ。
現に逃げ腰になっているパーティもそこそこ見受けられる。勿論、逃げる選択をするのも立派な戦略だ。別に減点にはならないが…ウチの生徒達はどうでるかな?
「迎え撃ちましょう」
「オッケー!」
「そうこなくっちゃ!」
リーダー格のリーヴェの判断にすぐさま反応する。信頼関係と言う点では文句無し。後の問題は連係だが……それについてもあまり心配はしていないのが正直なところだった。
「ノワール! カパタピ! 足止めを」 「かしこまりました」
単刀直入な指示を素直に受け取り、直ぐに実行に移す。
カパタピが糸を吐き、ノワールがそれを風に乗せて飛ばす事で広範囲に広がり、マタンゴの群れを一気に絡め取る。胞子が糸に密着し、湿気と合わせてべったりと絡むため、動きが著しく制限される。
「カリアトス、続いて!」 「よっしゃー!」
続いて威勢良く返事をしたカリアトスが、新調したメイスに魔力を込める。やはりATにしたのが功を奏したのか、発動に躊躇いがなくなっている。
そうしてリーヴェと揃って床を叩くと、岩が隆起して無数の礫を飛ばした。照明が反射して一瞬だけ白い閃光になり、マタンゴの群れを貫いた。
他のパーティにぶつからないよう計算された角度。出力も範囲も適正。訓練で教えたことがそのまま形になっている。
無理矢理に探さないと粗すら見つけられん。
…しかし。この後はどうかな。マタンゴは撃破されると無数の毒胞子を飛ばす習性がある。もろに吸い込めば呼吸障害や錯乱、その他様々な異常をきたす恐れがある。
どうやって対応するかな?
そう思った矢先、仕留められたマタンゴが順々に破裂しては胞子を撒き散らしてきた。
「あっ! ヤバっ……!」
咄嗟にカリアトスが叫んだ。きっと先輩冒険者から注意されていた事を今になって思い出したのだろう。
カリアトスには危険性は分かっていても胞子を防ぐだけの魔法的技術がない。対してリーヴェは予想外の攻撃に応じる余裕がない。
助けるか……と思った瞬間。
鞭打の音と共に先陣にいた二人を風の膜が包み込む。
旋風は胞子を吹き飛ばすばかりか、辺りを凍てつかせる程の冷気を放つ。霜が地表に走り、マタンゴ達を次々に凍らせていく。
氷漬けになれば胞子の飛散を防げる。中々の妙案だ。これをあの一瞬で思いついたとなると恐ろしい。あるいはマタンゴとの戦闘経験があるのかな。
いずれにしても絶妙な救いの手だったことに変わりはない。俺は感嘆の視線をモマさんに送ることで賛辞とした。
――ガラ、ガラ、ガラ。
マタンゴの氷像が音を立てて崩れる。
そこまで見届けて四人はようやく警戒を解くことが許された。
「…終わりました、よね?」 「ええ。まだ周囲に気配はないですし、見たところ他のパーティも決着をつけてますしね」
息を整えながら、モマさんが周囲の状況を見定めるとリーヴェも剣先を下ろして表情を緩めた。
「連携お見事でした。さすがはムーブメント女学院の『トリプルハンズ』ですね」 「ありがとうございます。先輩の魔法も助かりました」 「ホントそれ。マタンゴが胞子を出すってすっかり言いそびれてた」 「頼むぜ、嬢ちゃん。一番、魔物に詳しいんだからよ」 「それでどうした? 私たちの対応は?」
そう聞かれた俺は肩をすくめた。答えが分かっていて聞いてきているのは明白だ。
「文句なしだよ。本当に無免許なのかが疑わしいくらいにいい連携だった」
四人の表情がふわりと明るくなる。
――が、その和やかな空気は、遠くから聞こえた“もう一つの音”で曇った。
ガコン……ガコン……ガコン……。
どれだけ耳を澄ましても、自然にできた音とは思えない。
リーヴェが眉を寄せる。
「……先生、今の音は?」
「……分からん。だが少なくともマタンゴじゃない」
カリアトスも肩に力を込める。
「なんか……地面の奥で何か“掘ってる”みたいな……そんな音に聞こえたんだけど」
俺の背筋に、冷たい汗が流れた。
――掘削音。
その単語が脳裏をよぎる。
ギガントモールでも、ランドワームでもない。
もっと深くて、もっと規則的で……まるで“何か”が目的を持って掘り進んでいるような。
(力線の乱れ……魔物の死骸……もし関連しているとしたら……)
嫌な予感が、ゆっくりと胸を締め付けた。
「——進もう。調査クエストは、まだ始まったばかりだ」
静かにそう告げて、俺たちはさらに奥へ歩き出した。
薄暗い洞窟の奥で、ガコン……ガコン……という音だけが、しつこく、こちらの背中を追いかけてきた。
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