三人目を捕まえますか?
「カリアトス。もうすぐですよ」
「……オッケー!」
短く息を吐いたカリアトスが強がって笑った。
先の二人の足止めで、彼女たちは群を抜いて先行していた。あともう少しでゴールというところだ。
それでも――カリアトスの動きに、ほんのわずかな陰りが見え始める。
呼吸と魔法の流れが乱れている。彼女の場合、魔力と体力を同時に消費しているわけだからな。無理もない話だ。
この距離からでも息遣いが分かる。
それは何故か? 理由は単純。聞こえるくらいの位置まで、すでに俺が近づいているからだ。
ゴールが目の前に見えたことで、気が緩んだな。後方の警戒を完全に捨てている。
まあ、初回の実技でここまで集中できるのは上等な方だが、油断をしていい理由にはならない。後でしっかり指摘しておこう。
「もう息が上がったのか?」
「っ!? 先生!?」
カリアトスが悲鳴のような声を上げ、それに釣られてノワールが条件反射で振り返る。
驚きのあまり、顔が引き攣っていた。
二人とも、リーヴェとモマさん事を相当に高く勝っていたのだろう。それだけに、俺がそこまで迫っていたことが信じられなかったのだ。
「っ……!! ノワール、戦おう! 二対一ならいけるよ!」
「わ、わかりました!」
「よし……あれ?」
止まろうとしたカリアトスの動きが一瞬乱れた。
足元の風が暴れ、魔力の流れが制御を失う。
風の逆噴射ができず、スピードが落ちない。
「カリアトス……!?」
「う、わ……っ!」
焦りが混じった声。
姿勢を立て直そうとして、余計にバランスを崩す。
重心が前に傾き、そのまま転倒しそうになる。
「マズいっ!」
この速度で転んだら洒落にならないぞ。
俺は全身全霊の虚空歩行で一気に距離を詰める。
腕を伸ばし、ギリギリのタイミングでカリアトスを抱きかかえた。
衝撃。
摩擦音。
草の香り。
地面を削る足裏の感覚。
…どうにかこうにか無事に止まれた。
「な、んで……?」
腕の中で、青ざめた顔のカリアトスが震える声を漏らす。
まだ状況が理解できていないらしい。
俺は肩で息をつきながら苦笑した。
「学科でやったろ? 今のが『マナ・フェード現象』だ」
「マナ・フェード……?」
反芻するように呟く。
額に汗をにじませた彼女の表情には、恐怖よりも困惑が浮かんでいた。
「そう。手っ取り早く言えば、魔法の使いすぎでマナがこもって、魔導具が誤作動を起こしたんだ。長時間にわたって魔法を使う時、特にAT式の魔導具を使うんなら気を付けなきゃいけない」
「そ、そんな……あんなに動けなくなるなんて」
「焦ったか?」
「ちょっと……いや、だいぶ……」
冗談めかして答えたが声にはまだ震えが残っている。呼吸が浅く肩が上下していた。
魔力の循環が乱れたとき、人間の体は一瞬だけ自分の四肢の動かし方すら忘れるからな。
まさに今のカリアトスはその状態だ。
足元で風のエンチャントがパチパチと音を奏でながら弾け、不規則に解けていく。
まるで心拍が落ち着くのを待っているかのようだ。その光景が彼女の悔恨の余韻にも見えた。
「教習中に学べたということをラッキーと思うべきだ。今後の教習でも、卒業してからも気をつけるんだぞ。特に君は冒険者志望だろうからな」
「うん……」
小さく返事をしながら、カリアトスは膝に手をついて深呼吸する。
風に髪が散り、額の汗がきらりと光った。
「よし。反省はしても引きずるなよ。……ただし、それはそれとして、タッチはしたからな」
「え?」
「君はリタイアだ、カリアトス」
「ちょ!? そ、そんな。待ってよ先生!」
じたばたと暴れて抗議するカリアトスに、俺は笑いながら彼女の頭を軽く叩いた。
「ダメだ。これが本番なら、捕まる以前に事故を起こしてたところだからな。魔導具は便利だが万能じゃない。ATと言えども、結局は自分で操作をすることに違いはないんだ。 道具の特性や些細な変化も見逃さないよう、精進するように」
「うぅ~……」
悔しそうに唇を噛むカリアトスだったが、その目の奥にはしっかりと理解と納得の色があった。
この子は失敗するが折れない。だからこそ伸びる。
そして…そこが羨ましく思うところでもある。
こうして失敗を体で覚えるのも、教習の一環だ。
むしろ失敗の一言で済むうちにやらかす生徒の方が安心できる。
何もミスをせず卒業してしまう生徒ほど、実戦で思わぬポカをやらかした時にパニックになるからだ。
さて、それはさておき――残るはノワール一人。
俺が彼女に視線を送ると、丘の上でカリアトスの安否を気にしている姿が見えた。
両手を胸の前に当てて、困ったようにこちらを見ている。
その仕草があまりに優しくて、少し苦笑してしまう。
俺は草を踏みしめ、のそのそと彼女の前に歩いていった。
「さあノワール。君を捕まえれば終了だ」
「…そのようですわね。でも、私だってそう簡単に掴まるつもりはありませんよ」
いつもより口調が凛としていた。
その小さな胸に灯る覚悟の光。
俺は頷く。
「その心意気は立派だ。……でも、既に一つミスを犯しているのは気が付いているかい?」
「ミス?」
ノワールは慌ててあたりを見回す。焦る表情がまた素直で見ていて微笑ましい。
別に動揺を誘うハッタリではない。俺は事実を指摘した。
「俺が言っているミスって言うのは、ここで立ち止まったことだ。こうしている間にも城壁を目指していれば、逃げ切れる可能性は上がっただろう?」
「で、でも。それはカリアトスが心配で……」
小さく肩を縮めながら言う。声には確かな優しさがあった。
「仲間を慮るのは確かに美徳だ。けれど場合によっては見捨てるという選択をしなければならないこともある。 今はあくまでも、上級のモンスターから逃げているという設定だからね」
「……」
「君が逃げ切れば応援や救助を呼べて、仲間を助けられる可能性は上がる。住民の避難ができて、助かる命が増えることもある」
ノワールは視線を落とした。
握った拳が小刻みに震える。
「それは、そうですが……」
「何もかもを見捨てる前提で動けとは言わない。けれど、魔導者の一人として社会に参加する以上は、その覚悟を心の隅に置いてほしい。そして――そういう決断をした魔導者がいるという事も知っておいてほしい」
「~~~っ」
ノワールは唇をきゅっと結び、足元の草をぎゅうっと踏みしめた。
言いたいこと、伝えたいこと、反論したいこと。
それらが頭の中で整理できず、眉間に皺を寄せて地団駄を踏む。
答えは出ずとも、今はそれでいい。
悩み、考えることこそが一番の大事だからな。
――これは、誰しもが通る苦悩だ。
そして、誰しもが通るのなら早い方がいいというのが俺の持論。
若いうちに悩んでおかないと、俺みたいにアラフォーになってもうじうじと考える羽目になるからな。
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