二人目を捕まえますか?
崖の下から思い切りよく飛び上がった瞬間、視界が一気に開けた。
昼下がりの陽光を反射して、草原が不規則な白金色にきらめくと地平の先まで草が波打つ。その中を駆け抜けていく影が三つ。
そのうちの一人は、他とは明らかに違う軌跡を描いていた。
それがリーヴェだ。
彼女だけは、純粋な魔法行使の技術が頭ひとつ抜けている。
無駄な動きが一つもない。風と一体化しているような走り。
あれを追うには、こちらも全力を出すしかない。
風の渦を足へ纏い、魔力を集中させて疾走する。
空気が悲鳴を上げ、身体が宙を裂くように飛ぶ。
地表が歪み、風が背中を押し上げ、重力が遠のく。
着地の瞬間、靴底に魔力を収束。衝撃を吸収し、土煙ひとつ立たない。
反動で起きる風だけが、後方の草を静かに撫でていった。
◇
――次の瞬間、レギオンはリーヴェの前に回り込んでいた。
「っ……もう来たのですか!?」
反射的にリーヴェがブレーキを掛けた。
足元に風が渦を巻いて砂利が宙に舞い
上がり、まるで計器を備えた機械のようにピタリと停止していた。
反射的にリーヴェはブレーキを掛けて止まる。状況認知も出力操作もまるで問題ない。権限があれば今すぐに免許を渡しても十分なレベルだ。
そんな指導員的な思考を巡らせると同時に俺はリーヴェの覚悟を決めた、したたかな殺気に心を奪われた。
詠唱ではない。動作だけで、四つの魔法属性の陣を同時展開している。
「まさか…!?」
「《炎矢》――《水鞭》――《風刃》――《石槍》!」
炎が縦に走り、水が横にうねり、風が螺旋を描き、地面が隆起した。
四つの属性が一瞬で交錯し、世界の形がねじ曲がるような錯覚すら覚える。
地面から突き出す石の槍。
鋭利な熱波を伴って射抜く炎の矢。
蛇のようにのたうつ水の鞭が光を乱反射させ、
その上から風の刃が細雪のように降り注ぐ。
単体見れば、それぞれが初級魔法に過ぎない。
だが、それを無詠唱かつ同時に制御、しかも相殺し合うことなく展開するとなるとまるで話が違ってくる。
そして何よりも――その光景は神々しく、美しかった。
暴力の形をしていながら、どこか芸術的ですらある。
絵画が動いているような、幻想的な錯覚に包まれる。
そして四つの属性が一点に収束し、爆ぜた。
空気が弾け、火花が散り、地面が割れ、耳鳴りがする。
轟音の中で、リーヴェの髪が風圧に舞った。
彼女は息を整えながら煙の向こうを睨みつける。
やがて土煙が晴れた。
現れたのは――無傷のレギオンだ。
「通用はしないと思いましたが…まさか無傷とは」
悔しげに唇を噛みながらも、リーヴェは間髪入れず追撃を開始した。
威力よりも手数を優先した高速の連撃。指揮棒のように振り回す短剣の刃先が草原に降る太陽光をチカチカと反射する。
だが、レギオンは一歩も動かない。にも関わらず攻撃がまるで通用しない。
「……?」
その内にリーヴェも一切の手応えがない事に違和感を覚えている様子だ。
流石に気が付かれたか。けど偽物の俺は十分に役目を果たしてくれた。
次の瞬間、彼女の背中に小さく影が落ちた。
「はい。捕まえた」
「えっ?」
振り返ったリーヴェの瞳が見開かれる。
前にも俺、後ろにも俺。
訳が分からずに後ろの俺と正面の俺とを交互に見比べる。すると前にいた偽物の姿が風とともに霧散した。
そこでようやく結論を導き出せたらしい。
「これは…『デコイ』というものですか?」
「その通り」
幻影魔法の一種、《デコイ》。
読んで字のごとく、囮の幻を作り出す術式。
この逃走劇を計画したのは当然ながら俺だ。こうなることも見越した上で、教習の合間に保険を掛けて設置していたのさ。
リーヴェがここを通ってくれたのは運だけどな。
「……っ。やられました」
リーヴェは小さく息を吐き、表情を和らげる。
悔しさよりも、むしろ感心したような笑み。
「幻影を使う魔物や術者もいる。ダンジョンや戦場では、常に自分が騙されているかもしれないと疑っておくことも必要だ」
「はい」
「でも経験で補える部分も多い。それにしたって四属性を無詠唱で行使とは……正直、開いた口が塞がらないよ。虚空歩行といい、どこでそんな芸当を覚えたんだ?」
「王宮の魔導士たちが訓練しているのをずっと見ていました。父の護衛や近衛の方々が。それを真似てみただけです」
なるほど、と俺は納得する。
いわゆる見取り稽古と言う奴だな。
王宮に仕える魔導士。それは大陸でも指折りの精鋭集団だ。
その戦闘訓練を子供の頃から観れる機会に恵まれていたとするなら、考えられない話じゃない。まあ「観察」だけで実行できているのだから、とんでもない才能なのは確かだけど。
一人、腑に落ちる考察をしていると、リーヴェは小さく微笑み、肩に掛けられた俺の手に触れた。
「是非、お願いを聞いて頂きたかったのに……残念です」
「ふふ。その気になれば、俺に言うことを聞かせるくらい朝飯前だろう?」
「それはそうですが――先生相手には、あまり権力は使いたくありません」
「そうかい?」
レギオンが軽く笑うと、リーヴェも目を細めた。
その瞳は柔らかく、それでいて芯の強さを湛えていた。
「あるいは、勝てると踏んでいたのですが……甘過ぎました。流石です、先生」
「いやいや。リーヴェも十分すぎるほど見事だよ。経験を積めば、もっと化ける……もっとも君が戦場やダンジョンに出るような事はまずないだろうけど」
「そうとも限らないかもしれませんよ」
「え?」
どういう意味だ――と問い返そうとしたが、リーヴェは小さく首を振った。
「おっと。捕まった分際で、いつまでも先生を足止めしては不公平ですね。ノワールとカリアトスを追いかけてくださいませ。……でも、頑張ってくださいとは言いませんよ」
「だな。間もなくモマさんが来る。合流したら、城壁へ向かっていてくれ」
「はい」
短く応えると、リーヴェは再び風を纏い、優雅に踵を返した。
思ったよりも時間をかけてしまったからな。急がないと
もっとも機動力のあるリーヴェを捕まえたのは大きい。
後は速い順に潰していくのがセオリーだ。
俺はは体勢を整え、再び風を纏った。
足元に魔力が集まり、空気が低く唸る。
視界の先、丘を越えて逃げる二つの影。
「さて次は…ノワールだな」
読んで頂きありがとうございます。
感想、レビュー、評価、ブックマークなどしてもらえると嬉しいです!




