↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/61

逃走の教習ですか?


 休み明けの初教習。


 俺たち五人は、前回とは違う城門からツァイトスタッドの草原に出ていた。


 門を抜けた瞬間に広がる風景は、まるで世界が一段明るくなったかのようだった。

 街の喧騒が背後に遠ざかると、代わりに草が擦れ合う音と、遠くで鳴く鳥の声が聞こえてくる。

 春特有の柔らかな風が肌を撫で、雲の切れ間からぼんやりとした光が地表に降り注いでいた。


 空は花曇り。淡い光が地面に溶けて、どこか夢の中みたいに霞んで見える。

 日差しが弱いのはありがたい。あまり強い日差しだと日射病の心配も出てくるし、単純に眩しくてやってられない。

 それに――女の子の場合は日焼けを気にしたりして、集中が乱れたりもする。


 ……この辺りの現実的な理由を口に出したら、確実にリーヴェ辺りに睨まれるだろうけどな。


 俺は連休中の悩みが尾を引き、正直なところコンディションはあまり良くなかった。

 けれど、それを表に出すような真似はしない。指導者が顔に疲れを出したら、空気が一気に沈む。


 流石だったのは他のみんなも、まるで表情に変化を見せなかったことだ。

 魔導者免許の取得を目指すような連中は、元々精神的にタフな人間が多い。

 中でもこの三人は、出自も職歴もまるで違うのに、どこか共通した“張り詰めた強さ”を持っている。


 そんな中でも、まだ庶民派のカリアトスだけはやけに機嫌よく微笑んでいた。


「やけに上機嫌だな。何かあったのか?」

「え? ああ、いや……今は内緒にしとく」

「お、おぉ……そうか」


 やけに意味深な言い方だ。

 最近、恋愛も事件もひっくるめて色々あっただけに、嫌な予感しかしない。


 ま、それはさておき教習だ。俺が集中を欠いては示しがつかない。


「よし。じゃあ一回、注目。今日の教習について要点を説明するぞ」


 軽く手を叩くと、三人と一匹の視線が一斉に集まる。

 遠くの草が風に流れて波のように揺れ、その中に彼女たちの髪が柔らかくたなびいた。

 この静謐な瞬間――教官として立つ責任の重さが、改めて背中にのしかかってくる。


「今回のテーマは、移動魔法のより実践的な訓練。そして《《逃げ方》》の練習だ」


 俺の声が風に乗って広がる。

 リーヴェが小さく頷き、ノワールは耳元の髪を静かに掻き上げる。

 カリアトスはいつものように元気いっぱいの声で返事をした。


「良い返事だ、カリアトス。じゃあ質問」

「え゛?」

「どうして一番最初に逃げる訓練をしなければならないんだ?」

「えっと。ヤバい敵が相手だったら、逃げないと死んじゃうから」

「端的にまとめればそういうことだな」


 その答えに、リーヴェがくすりと笑う。

 ノワールは静かにメモを取っていた。

 それぞれの反応が違うのが面白い――三人三様の思考があるのは、教える側としても悪くない刺激だ。


 そもそも、冒険者や騎士を志さない限り、魔物と戦う機会なんてそうそうない。

 一般市民にとって危険とは避けるものであって、立ち向かうものじゃない。

 だが、魔導者という職業はそれを教える立場だ。戦う力を持つからこそ、逃げ方も知っておかなきゃならない。


「この次の教習からは実際に魔物と戦う事が始まる。その為の保険を学ぶ教習だ」


 俺は草原の中央を指差す。

 風に削られ、苔の生えた大きな岩がひとつ――今日の目標地点だ。


「一段階でやった通り、基本は足へのエンチャントによる『疾走』をベースにして、余裕があれば『飛行』も実践する。なぜ疾走が基本になるかは……リーヴェ、答えられるか?」


「はい。消費する魔力量に対しての移動効率が高く、万が一の場合の落下リスクが低いからです」

「その通り」


 完璧な回答。言葉も抑揚も、まるで教科書の朗読みたいに正確だ。

 やっぱり優等生のお手本ってやつだな。


「空を飛ぶと風向きの計算、魔力残量の管理、あるいは撃墜リスクまで出てくる。ほんの一メートルでも着地に失敗すれば命を落とす。

 けど同時に、高所を取るのは戦術的に有利でもある。だからどっちも練習しておく必要がある」


「なるほど……」とノワールが頷く。

 彼女は理屈から入るタイプだ。実践に移る前に、常に意味を探している。

 その慎重さが、俺にとっては救いでもある。


「よし。じゃあ段階的にいこう。まずは全員、あそこに見える岩まで疾走してみてくれ」


 言いながら俺は草の香りを吸い込んだ。

 この広い空間の空気は、街のそれとはまるで違う。風が生きているように流れている。

 そして、どこか胸の奥の重苦しさまで洗い流してくれるようだった。


「見通しはいいけど、魔物がいない保証はない。それに他の冒険者も通るかもしれない。安全確認を怠るな。それと……もう指名手配犯は見つけないでくれよ」


 軽口を叩くと、四人の間に小さな笑いがこぼれた。

 その笑い声に、重く淀んでいた空気が少しだけ軽くなる。


 ◇


『正しき道の果ては光』


 MT志望のリーヴェとノワールは呪文を詠唱し、足に淡い光をまとった。

 光がふっと消えると、二人の身体がすべるように動き出す。

 地面からわずかに浮き、氷の上を滑るように進むその姿は、教本に載せたいほど美しかった。


「モマさん、悪いけど二人に付いて行ってくれ。先に着いたら飛行の練習でもして構わない」

「分かりました。任せてください」


 俺は返事を聞きながら、取り残されたカリアトスの方へ目を向けた。


 魔法への苦手意識は相変わらずで、さっきまでの元気はすっかり影を潜めている。

 AT機能付きのメイスを握る手が小刻みに震えていた。


「そんなに緊張するな」

「……オッス」


 体育会系の返事が返ってきた。

 俺は笑って、肩を軽く叩く。


「ATに変えてからは順調だったろ? 現に仮免だって取れたんだ」

「そうなんだけどさ」


 短く呟いた彼女の声は、風に混ざって小さく掻き消えた。


「とりあえずメイスのギアを疾走用に切り替えて。加速、減速、方向――この三つだけ意識しておけばいい。あとはメイスが補助してくれる」

「うん……」


 カリアトスが小さく呪文を唱えると、足元で風が渦を巻いた。

 草がぱたりと寝て、土の香りが立ち上る。


「まずは加速。重心を前に、軽く跳ねるイメージだ。進む先をしっかり見て、焦らずに」

「オス……!」


 カリアトスは勢いよくジャンプした。

 本人は軽く跳んだつもりだろうが、実際には五メートル近く先まで飛んでいる。


「うわ! とっと……っと!」

「落ち着け、まずは上出来だ。自由に跳んで、感覚を掴んでみろ」

「……OK!」


 俺たちは草原の真ん中で蛙のようにピョンピョンと飛び跳ねた。

 はたから見れば滑稽かもしれないが、訓練とは得てしてそんなものだ。


 やがてカリアトスは、魔力の出力を微調整し始めた。

 足の動きにリズムが生まれ、風を切る音が安定していく。

 重心が揃い、走る姿勢になった瞬間――彼女の疾走は見違えるほど滑らかになった。


「よっしゃ! いい感じじゃね?」


 自信と笑顔が戻ったその顔に、俺は思わず安堵する。

 この成長の瞬間を見届けられるのは、教官冥利に尽きる。


「よし。なら最初に言った岩まで行くぞ。みんなが待ちくたびれちまう」

「了解!」


 カリアトスが風を蹴る。草原の上に彼女の軌跡が一筋、光の帯のように走った。

 その光景を見つめながら――俺の胸の奥に、わずかに眠っていた剣士の感覚が、かすかに疼いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。