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神官様に悩みを打ち明けますか?

 執務室の扉が閉まると、外の世界の音は更に遠ざかった。


 ノワールが小さな銀製のポットを取り出す。慎ましく湯を注ぐ音だけが静かに響くと豊かな茶葉の香る。蝋燭の光がテーブルの木目を撫で、湯気が薄く立ち上ると部屋の空気がふっと柔らかくなった。


「どうぞ、レギオン先生。」


 湯気の向こうで彼女の顔が穏やかに光る。俺はぎこちなくコップを受け取り、唇をつけた。苦味と温もりが舌に広がり、どこか体内の冷えがじわりと和らぐのを感じた。


「ではお話を伺いましょうか」

「話と言ってもね…」

「何だか思い詰めているとお見受けしましたが」

「まあ、悩んでいないと言ったらうそになるけれど。でも」

「先生はあまり相談をすることに慣れていないようですね」


 それは言えてる。独り身だし、元々多くない友達との付き合いも両親の介護や年齢を理由に遠ざけていたからな。


 一人で悩んで一人で解決するのが当たり前だった。というか誰かに話を聞いてもらうという発想自体が俺の中では革新的だ。


 しかも自分よりも一回り以上年下の女の子に人生相談をしてどうしようというのか。


 客観的に今の状況を見ると、ますます口が開かない。


「お待ちください」


 ふと立ち上がったノワールはカーテンを閉めると、手当たり次第に部屋の蠟燭を吹き消した。若干、差し込む光はあるもののほとんど真っ暗闇になってしまった。俺は椅子に座っている以外の感覚がなくなる。


「何を?」

「話しにくい方にはこうするんです。顔が見えないと言葉が出やすくなりますよ。相談ではなく夜に眠る前に独り言を呟くのだと考えてみてください」


 確かに少しは緊張と言うか、不甲斐なさが和らいだ。


 俺は雰囲気に飲まれ、ノワールが言うように独白に近いような言葉を紡ぎ始める。


「…年下の君に聞くのもどうかと思うんだけど」


 そんな枕言葉から始める。


 ノワールが俺の後ろに立ち、椅子の背もたれに手をかける気配が伝わった。


 不思議と温かくて、心の紐がすこし緩んだ。


 でも言いにくい事には違いなかった。だから俺はこの期に及んで、相談事の常套句を用いた。


「…友達の話なんだけど」

「ええ」

「そいつがな、腕に覚えがあって…剣士をしていた。けど人間関係やら運やら金銭的な問題のせいで剣を持つことをやめた。でも最近になって事態が好転したというか。剣の腕前を今更買ってくれる人が現れたんだ」

「…」

「ひとつは騎士団。もうひとつは……貴族のお嬢さんから。しかも結婚を前提に付き合ってほしいと」


 ノワールの表情はまるで分らず、息使いだけが俺に届く。


「なるほど。片や名誉、片や愛。二者択一に迷っている、と」

「一言でまとめるとそうなるのかな。でも二者択一に迷う以前の話でね。そいつは剣を使わない生活にどっぷりだったから、何を今更と思っているんだ。要するに今の退屈とは言え安定している生活を捨てる勇気が、新天地に踏み出す勇気がないんだよ。昔みたいに体が動くわけでもないし、年齢を考えりゃ冒険より安定を取るのが普通だろう。でも安定を選んだら……何かを裏切る気がしてならない。若い頃に誓った、自分への約束とか、誰かの期待とか……そういうものを」

「…」

「その降って湧いた幸運にどう向き合えばいいのか。んでもって、行った先でまた夢を挫かれたらどうしようとかね。今まで報われない人生だったから、自分が報われるヴィジョンが全く見えないんだ」


 言葉が途切れる。


 長い間があった。


 それにしてもこの暗闇相談室は中々に効果的だな。赤裸々にぺらぺらと言葉が出てくるのが不思議だ。


 沈黙を置いて、ノワールは小さく息を吸った。


「…先生のご友人は、とても真面目な方なのですね」

「え?」

「ええ。そもそも悩むという事が真面目な証です」

「いや優柔不断で臆病なだけだと思うが」

「先生」


 …。


 呼び掛けておいて、ノワールはそこで一度黙りこんだ。

 

 まるで時間が止まったように静寂だけが耳に届く。


 むしろ俺の方から声を掛けようかと思った瞬間、ノワールが喋り出した。


「安定か、挑戦か。どちらを選ぶにしても失敗するのが普通です」

「は?」

「だから、失敗前提で生きるのが一番楽ですよ」

「ええと…」

「先日の仮免許試験でリーヴェから天啓とも思える言葉を聞きました。『仮免の試験は減点方式なので、満点を取ろうと思わなければ少しは気が楽になります』と。そういって緊張するカリアトスを慰めていました」

「はあ」


 それはそうだ。不合格のラインを踏まない限り、多少の減点があった程度では落第することはない。


 ノワールは背後で密かにテンションを上げながら、更に言葉を続ける。


「素晴らしい言葉だと思います。私は密かに胸を震わせていました」

「震えるほどか? 確かに友達を励ますには良い言葉だとは思うけど」

「そんな事はありません。考えても見てください。その御友人も、人生に満点を求めてはいるから苦しんでいるのでは?」

「う!」

「けれど神は恐らく、私たちに満点を求めてはいません。多少減点されても、合格ラインに届けばいいのです。勿論、罪の大きさによっては不合格を言い渡されることもありますが。それでも試験は何度でも受けれらるとおっしゃいましたよね?」

「まあ、免許の試験はね」

「同じです。神も常に悔い改めるという再試験を用意してくださっていますから」


 ノワールの手が背もたれを離れ、俺の両肩を掴む。


 そこそこの力強い握力と温かさがじんわりと伝わってくる。


「そもそも満点が取れない、不完全だからこそ人は祈るのです。神はお伽噺に登場するランプの精ではありません。人間の願いを叶える為にいるのではなく、人間の祈りを叶える為にいるのです。剣についても同じではありませんか?」

「ど、どういったところが?」

「祈りたいから祈れば良い。同じように剣を握りたいから握ればよいのです。神に祈ったとて自分の望む形で返答が返ってくることは稀。剣士だって自分の思うように敵が動いてはくれないでしょう?」

「っ」


 正直、色々と論理が破綻している気がする。いや実際にしているのだろう。


 でも俺の心の中は不思議と軽くなっていた。


 思い通りに動く敵はいない、か。その通りだな。


 悩みってのは、別に解決せずとも何か一つ、胃の腑に落ちるピースがあるとどうにかなりそうな気がしてくるから可笑しい。


「今は踏み出す事について述べましたが、安定を求めることも悪ではありませんよ。人は光のある方へ顔を向けていれば、それだけで十分なんです。休みたければ腰を下ろしていいのです。そしてまた歩ける時が来たら、歩き出せばいい――私はそう思います」

「少々休み過ぎな気もする…その友人がね」

「いいではありませんか。神さえも六日の天地創造の後に一日の休みを設けました。全知全能の神でさえ、休む時は休むのです。全能とは程遠い我らはもっと休まなくては」


 その暴論に俺はとうとう、くすりと笑ってしまった。


 すると話に一区切りがついたと見え、ノワールが執務室の扉を開けた。すぐに廊下の柔和な光が差し込んで、暗闇に慣れた目を火で差してくる。


 そして廊下の燭台から火を貰い、部屋の中を再び照らした。


 ノワールは俺の前に座り、優しく微笑んでくる。


「私は神ではないので、苦悩に対して答えをお教えすることはできません」

「いや、十分だよ。人に話すと楽になるって言うけど本当なんだね」

「え? ご友人の話ですよね?」

「…」


 ノワールの最後の一言に俺は言葉を失った。


 まさか本当に俺の友達の話として聞いていたとは思わなかった。


 彼女はまっすぐな瞳でこちらを見つめ、少しだけ首をかしげる。


「どうかなさいましたか、先生?」

「いや……いや、なんでもないよ」


 口の端が勝手に緩んでいく。


 真剣に話を聞いてくれたことへの感謝と彼女のあまりの純粋さへの呆れがごちゃ混ぜになって、どうにも笑わずにはいられなかった。


 ノワールはそんな俺の様子を見ては少しだけ頬を膨らませた。


「笑うなんてひどいです。真面目にお話を伺っていたのに」

「悪かった。ただ…助かったよ。ありがとう」

「それならよかったです…相談というのは答えを出すためではなく、心の重さを分け合うためにあるのだと私は思っています。もし先生も悩みがあれば、是非頼ってください」


 彼女の言葉は、蝋燭の火よりも柔らかく、胸の奥に染み込む。

 俺はカップを傾け、冷めかけた茶を飲み干した。


「先生のご友人も救われると良いのですが。」

「どうだろう。今日の事を話してみるけど鈍い奴だから、気づくまで時間がかかるかも」

「ふふっ。でしたら祈っておきますね」


 軽やかにそう言ってノワールは胸の前で両手を組んだ。


 その仕草を見ていると何かがほどけるようだった。


 祈りというものは、案外こんなふうに人を救うのかもしれない。


「…ありがとう、ノワール」

「いいえ。こちらこそ、素敵なお話を聞かせていただきました」

「素敵な、か」


 その言葉に俺はもう何も言えなかった。

 

 ただ照れくさくなって目を逸らす。


 俺は手を振るノワールに何度も頭を下げながら、教会を後にした。


 夜風がそっと吹き、教会の鐘が微かに鳴る。


 何故だかは知らんけど、俺は無性に母親に会いたくなっていた。思い立ったが吉日と言うし、明日の最後の休みは墓参りにでも行ってみようかな。



読んで頂きありがとうございます。


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