神官様と偶然に鉢合わせますか?
それから公園やウィンドウショッピングなどをしながら散策していると、いよいよ心配が勝り、リーヴェを城門近くの路地まで送ることになった。何でも王宮の一部の人間しか知らない隠し通路があるそうで、そこを使うらしい。
そりゃ有事の際に城から抜けだす手段は何パターンか用意されているだろうからな。私用で使っていいのかはさておいて。
「楽しかったです」
「何よりだ」
「こうして、これからも私の傍にいてもらえると嬉しいです」
「あ、う」
「ふふ。意地悪な言い方ですね、あくまで騎士として仕えて頂きたいだけなのに……お返事、お待ちしていますね」
「…はい」
裏通りで彼女の後姿を見送ったあと、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
だがいつまでもこうしていては流石に怪しまれると思い、踵を返して大通りに出た。街の向こう側に夕日が沈んでいく。
金と橙の境界がゆらぎながら、建物や人間の影を長く伸ばしていた。
――綺麗だな、と素直に思う。
けれど同時に…その光が胸に痛かった。
黄昏のこの時間は、どうしてこんなにも人の心を掻き立てて、あるいは焦らせるのるのだろうか。
終わりが近い太陽が最後の輝きを見せびらかす。
◆
リーヴェは、まさに光と言っていい存在だった。
才能や家柄に恵まれた王族という立場に対しての羨望や嫉妬とは違う。
単純に若く、真っ直ぐな感性が眩しい。
何もリーヴェに限った話じゃない。魔導者学校に通っている大多数の生徒。ああいう昼日中の人間を見るたびに、自分がどれだけくすんでいるかを思い知らされる。
俺はもう夕暮れだ。
日の高い時間はとっくに過ぎた。
これからはゆっくりと夜を迎えて――文字通りの晩年になるのを待つだけじゃないか。
若い頃はいつか自分も誰かの憧れになれると思っていた。誰かを照らせると思っていた。
だが現実はどうだ。
騎士団を、修道院兵団を、そしてギルドを去った日から、俺の昼は終わっていたのかもしれない。
それでも時々、思うのだ。思ってしまうのだ。
あの頃の夢の続きを――もう一度だけ見たいと。
馬鹿げた願いだ。
この歳で夢を追うなんて、滑稽以外の何物でもない。
けれど心のどこかでまだ燻っている。
俺の中の太陽はとっくに傾いたはずなのに。
◆
風が吹いた。
素直に家に帰る気分にもなれず夕焼けの名残を背に、俺はふらりと歩き出した。
行き先もなく、足の向くままに。
気づけば、町の北の外れ――古い教会の前に辿り着いていた。
窓の隙間から蝋燭の光がこぼれている。
それはまるで、沈みきれない夕日の残り火のようで幻想的だった。
あるいは信仰心なんてモノを持っていたら、まだマシだったのかもしれない。剣を拠り所にして生きてきた男が剣を持つことをやめたら、そりゃどっちに進んでいいのか分からなくなって当然さ。
ふと魔が差して祈りでも捧げてみようかと、そんな気分になった。
けれど作法やしきたりなんてまるで知らない門外漢がいきなり教会を訪ねては迷惑になるだけか。
入口の前にまで来た俺だがやはり臆病風に吹かれてしまい、ノブにかけた手をそっと引いた。
その時の事だ。
俺は入り口の脇にあった窓から声をかけられたのだ。
「……先生?」
「ノワール……さま?」
「まあ! 呼び捨てでよろしいのですよ。少しお待ちになってください」
ノワールは窓から出していた半身を引っ込め、すぐに正面の扉を開けた。俺は出迎えてくれた彼女のフォーマルな姿に少々身構えた。
漆黒の修道衣をまとい、首から下がった銀のロザリオが星のようにチカッと輝く。
まるで夜空が形を取ったようだった。
「やあ…どうしてここに」
「こちらの教会が少し人手が足りなくなりまして、お手伝いに伺っていました」
「手伝い? ノワールくらいの人が」
「神の前に私の役職など、あってないようなものです。それよりもどうぞ」
と、俺は招き入れられてしまった。
こうなっては、さようならという訳にもいかない。まいったな。
「先生こそ、どうしてこちらの教会へ?」
「あ、いや、その…ちょっと考え事をしていたら、ふと辿り着いたというか」
「まあ! 素敵です。その場に私が居合わせられたなんて、正にお導きです」
本当にね。仕込みを疑ってしまうくらいに出来上がった話に思える。
「お時間があれば少し奥へ。お茶を淹れますね」
「え? でも仕事があるんじゃ」
「もう粗方片付いていますよ」
俺はノワールに導かれ、礼拝堂へ入った。
人のいない礼拝堂の中は思った以上に静かだった。
外の喧騒がまるで嘘のように遠い。
蝋燭の火が点々と並び窓の外から漏れる夕光と溶け合って、薄い紫色の空気を作っている。
荘厳なのだが、俺は昔から不思議と落ち着きを覚える空間だ。
「相変わらず、ナイケヴィオス教の教会は落ち着きますね」
「あ…そう言えば修道院兵団にいらしたのでしたね。お祈りされますか? いえ、むしろ致しましょう」
「…ノワールの前で悪いけど、俺はそこまで信仰がある訳でもなくて」
「信仰に多い少ないはありません。鳥が梢に止まるのと同じ。羽を休めて頂ければそれでいいのです」
ノワールはそう言って、ほんの少しだけ笑った。
その笑みは、いつもの教習の時よりもずっと柔らかい。
再会をしてから人となりを見ていたが、彼女は人の話を聞く時に決して相手を急かさない。沈黙すら受け入れるように静かに寄り添う。
そういう性分なのか、それとも神職に携わるうちに身に着けたものなのかは分からないが、こういう時はとてもありがたかった。
俺はノワールに倣って椅子に腰かけ、祈っている風な真似をした。
瞑想でも精神の統一でもない。頭も心も空っぽにしているだけ。そもそも神は全知全能なのだから、俺が何を言わずとも全てお見通しだろうと不敬な事だけは過っていた。
やがて祈りも終わり、いよいよ執務室に案内された。
そしてドアを開けようとした瞬間、俺は脇腹を誰かに小突かれたのだった。
――ドンッ!
「うぐっ……!?」
不意な衝撃。
反射的に息が詰まった。
「おいこら、おっさんッ! 何しれっとお嬢を連れ込もうとしてんだ、ああんっ?」
見下ろすと、小柄な少年が仁王立ちしていた。
男の子なのか女の子なのか、分かりずらい絶妙な顔立ちをしている。ただ前にかかる茶色の髪の奥にある目だけは、妙にギラついて俺を睨みつけてきていた。
誰だ、一体。初対面にしては些か横暴が過ぎるが。
「こら、カパタピ!」
「え!? か、カパタピ!?」
カパタピって蜘蛛の? ノワールの魔導具の?
俺は混乱を露にする。目の前の現実と記憶が齟齬を起こして、思考のピントが全然合わない。
「な、なんで人間の姿に?」
「決まってんだろ」
カパタピはあっけらかんとした口調で言い放つ。
「お嬢の役に立てるように、だよ。八本脚で歩きゃ不便だろ? 人間社会ってのは面倒くせぇ仕組みばっかだ」
そう言って、彼はわざとらしく裾を整え、ニッと笑った。
笑っているのに、どこか睨まれているような気がした。
「それにしても油断してたぜ。魔導者学校を抜け出して、お嬢と逢引たぁな」
「全然違う!」
人聞きの悪い事を言うな。教会の誰かに聞かれたらどうするんだ!
「そうですよ。先生は考え事をしている内にここに偶然辿り着いたのです。今からお茶をしつつ、その悩みを私に打ち明けて頂くのです」
「え? 別に相談するとは言ってないけど…」
「先生、どうぞ。今、お茶を淹れますから」
ノワールがやわらかく微笑む。
どうやら俺は今から年下の神官様に人生相談する事になっているらしい。カパタピの手前、いよいよ後に引けなくなってしまった。
カパタピは不服そうな顔を隠す事もせず、それでもノワールの指示という事で退いた。しかし去り際に俺にの耳元で呟く。
「お嬢に手ぇ出したら、その時は覚悟しとけよ」
「お前は俺を何だと思っているんだ」
ため息が廊下の燭台の火を揺らした気がした。




