お姫様を案内しますか?
「か」
「か?」
「考えさせてくれませんか?」
声が情けなく震えていないか気になって視線を泳がす。それとは対照的にリーヴェはまっすぐに俺を見て、短く頷いた。
曖昧で蒙昧な俺を咎めるでもなく、呆れるでもなく、ただ受け止める頷きだ。
「承知しました。私も不意打ちのようなお誘いだとは自覚しています」
「ありがとうございます…しかし、今更私が騎士団に入れますか? 年齢制限もありますし」
「心配無用です。私の近衛にすると言えば、多少の無理は通せます。何なら苦言をして来た者、全員と御前試合を組んでも構いません」
「…」
この場合は何て言うんだ? 実力ありきの裏口入学? どのみち本気で俺を欲してくれているというのは伝わってきた。
そこで彼女はほんの少し視線を窓の外へ流し、帽子のツバを指で整えた。
「だた返事を無期限で待つ、と言うわけにもいきません」
「…当然なお話です」
「私が魔導者学校を卒業するまで、ではいかがですか?」
リーヴェの実力的に試験をしくじる可能性は低いだろう。現にここまですごく順調だし。
ということは仮にプラン通りに教習が進んだとして今月の終わりまで。つまりは十日程度ということになる。
長いとも短いとも思えない、絶妙な頃合いだ。
「分かりました。その時までにはお返事をいたします」
「はい」
俺が承諾するとリーヴェは纏っていた王女のオーラを脱ぎ捨て、普段教習で見せるような年相応の雰囲気に戻る。
化粧をした訳でも、着替えをした訳でもない。
本当に本人の意識だけで少女の顔と王女の顔を使い分けている。もうこれが魔法だろ。
「…それではお暇いたしましょう。畏まって頂きましたが、次からはまたただのリーヴェ・リオンとして接してくださいね、先生」
「良きところまでお送りします。流石に事情を知ってお一人で返すわけには…」
「またただのリーヴェ・リオンとして接してくださいね、先生」
「…」
何という、オウム返しと笑顔による圧力。
俺は綿よりも容易く屈してしまう。
「…リーヴェ。一人では危ないから送っていくよ」
「はい! お願いします」
胸のどこかが緊張したままに微笑む。するとリーヴェは遠慮しがちに、それでいて確固たる力のこもった上目遣いをしてきた。
「それと、お願いがもうひとつ」
「何かな?」
「はい…この町を案内してほしいのです。せっかく無理をして抜け出してきたので、この機会に見聞を広めたく」
案内、か。想像の域は出ないけど、空気が詰まりそうな暮らしなのだろう。一昨日に草原をただ歩くだけでウキウキするくらいだもの。
事実上、王女様の護衛になるけれど、お忍びならそこまで大事にはなるまい……おっと、フラグじゃないよな。
それに断れる未来がない。多分一人で強行突破するだろうし、そこで何かあれば俺の責任問題にもなる。
散々思考を巡らせておいて、始めから出ていた結論へ行き着く。
「分かった。ただし、今どきの女の子が楽しめるような場所は全然知らないからな」
「お願いします」
と、本当に屈託のない笑顔を見せてくる。
俺はこの若さを直視出来なかった。
玄関で軽く靴の埃を払う。ドアを開けた瞬間、朝の光が斜めに差し込み、埃が金の粉みたいに舞った。
扉が閉まる音が密かに背中を押してくれた。
家を出てしばらく行った先の通りは朝の仕度の匂いで満ちていた。忙しなく動く無数の足音、肉屋の油、洗い立てのシーツの石鹸。市場へ向かう荷車が軋み、遠くで子どもが犬を追いかけ、鐘楼が短く時を告げる。
俺にしてみれば日常も日常。けれど彼女が見たいのはきっとこういう景色だろう。
「ここは朝市の大通り」
「活気が…すごいてすね」
「午前中だから、まだまだこれからだよ。昼過ぎにはこれの倍くらいの人で溢れる」
「…あ。一つ行きたいところを思い出しました」
「どこ?」
「『アスモフード』というパン屋さんはご存知ですか? 魔導者学校でどなたかが話しているのを耳に挟みまして」
「ああ、知ってるよ。俺も教習中に何回か聞いた」
特に女の子たちから噂話を聞いていた。カフェを常設しているパン屋で、何でも新発売のメニューが可愛いとか何とか。
仕事柄、相手にするのは若者が多くなるし、緊張を解くために雑談だって挟む。
だから若者の流行やら、遊びやらは中年のおっさんの割には知っているのだ。
人の波を避けつつ角を曲がると、槍を持った衛兵二人とすれ違った。俺とリーヴェを見るが帽子とローブの影が功を奏したのか特に反応はない。
ま、こんなところに王女様がいるなんて誰も思わんからな。
「アスモフードはこの先。偶然だけど中々ベストな時間じゃないか? 平日だしそんなに混んでないだろう」
店の前にくると焼きたてのパンの香りが漂ってくる。リーヴェは足を止め、匂いを胸いっぱいに吸い込む仕草をした。ささやかな幸福の香りが彼女の表情をほんの少し柔らかくする。
「この香りが好きです」
「分かるよ。後はコップに注がれるビールの音とかね」
「いつか先生をお招きして食卓を共にしてみたいですね」
何気なく言われた一言で俺は王宮で食事する姿を夢想する。が、何をどう考えても緊張する場面しか出てこない。きっと料理の味も酒の味も分からないだろう。
俺の考えは顔に出ていたのか、リーヴェは愉快そうに笑った。
「少なくともお食事はご一緒できそうですね」
「…だね。入ろっか」
アスモフードの扉を押すと、涼しい鈴の音が鳴った。店の奥で回っている空調用の羽根が、焼き上がったばかりの香ばしい匂いをゆっくり撹拌してこちらへ押し出してくる。
当然だけど店の外にいる時よりも鮮烈だ。
俺達は案内されるままにテーブル席へついた。案の定、混雑はしていないがそれでも座っている客は女の子やあるいはカップルしかいない。
別に何を言われた訳でないのに、勝手に肩身が狭くなるのを感じた。
わざわざ尋ねるまでもなく、話題の新商品とやらは見つかった。メニュー表に堂々と写真つきで出ていたからな。
…『ルミナリエ・クロワッサン』。
こんな機会でもなければ関わる事もないメニューだ。注文するのも恥ずかしい。
説明欄には角度によって表面が虹色にきらめく——とか何とか書いてあるが。粉砂糖の粒に魔法を仕込んであると噂に聞いたな。確かに若い子には受けそうだ。
ま、話の種に若者文化を迎合するのもたまにはありだろ。
俺は店員を呼んで注文をする。
「この…クロワッサン二つ」
「お飲み物どうされますか?」
「深煎りのコーヒー、砂糖抜きで」
「はい。お連れ様は?」
「そうですね…よく分からないので同じものを」
「かしこまりました」
料理を待っている間、リーヴェが店内を嬉々として見渡していたので会話がなくとも間が持った。
もしかしなくても初めて喫茶店に入ったのだろう。
まるで子供のように目に入るもの全てを羨望の眼差しで見ている気がした。
やがて木のトレーが来た。皿に載ったクロワッサンは、装飾もさることながら生クリームたっぷりで見ているだけでカロリーを摂取した気になる。層の合わせ目を縫うように溶けかけた飴が金いろの糸となって縁に固まり、ところどころ琥珀の滴になっている。
「いただきます」
リーヴェが上品にかじる。
パリっ、サクッと小気味良い音と共にリーヴェの口元が自然とほころんだ。
俺も一口噛む。
甘いし、うまい。
…いや甘いが勝つな。一口目で年相応の拒否反応がじわじわ来る。
慌ててコーヒーを流し込む。苦味が舌の表面を荒く拭ってくれた。休み休みなら…何とか一個くらいは行けるか?
この年になると自分が食べるよりも若い子が美味しそうに頬張っている姿を見る方が心地よくなる。昔じゃ到底考えられなかったけど。
俺は立場をすっかりと忘れて一人の中年として目の前の女の子の食事風景を見ていた。
仮に結婚して子供がいたら、こんな風景が拝めたのだろうか…いや。娘と一緒に甘い物を食べに行くとかお父さんキモい、と言われる未来しか想像できんな。
すると半分ほど食べたリーヴェが俺の目線に気が付き、
「そ、そんなに見られては恥ずかしいです」
と顔を赤らめていた。
「ああ…ごめん」
◇
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