安堵の再会を果たしますか?
テントの幕をめくって外に出た瞬間、俺は驚いた。
夜の空気がひやりと頬を撫でて松明の煙が鼻を刺す。闇は薄雲に磨かれた月で白んでいるのに、そこに並ぶ光の数は想像の何倍もあった。
カリアトスが応援を呼んでくれているのは予想していたけれど、てっきりトゥールビヨンから五、六人連れてきてくれる程度だと思っていた。
見れば騎士団と修道院兵団の精鋭たちがいるじゃないか。
きっとカリアトスがリーヴェとノワールにも相談した結果、大袈裟なことになったといったところか。
考えなしにうごいたせいで大事にしてしまったことに申し訳なさを募らせていた。
するとメサク殿が騎乗したまま、こちらに近づいてきた。鉄具の触れ合う乾いた音が近づくにつれ、背筋が自然と伸びる。傍らにはリーヴェも控えている。学校の外では流石に身分を弁えた言動を取らなくてはと跪いて応答した。土に片膝を落とすと、冷たさが膝頭からふくらはぎへしみた。
「無事か、レギオン」
「はっ。事の仔細はトゥールビヨンのカリアトス・トーム殿から伺っているかとは存じますが、同僚が盗賊団と接触した可能性があり単身で乗り込みました」
「うむ」
「制圧は完了していますが、肝心の同僚の姿がなく…恐れ入りますが捜索に助力を頂きたく」
「その必要ありませんよ、レギオン先生」
「…! モマさん。良かった」
傷一つ負っていない彼女の姿を見て、俺はようやく人心地をつくことを許された。肩甲骨に刺さっていた見えない楔がすっと抜けたような感覚だ。喉からも陰鬱な空気を吐き出せた。
こうなれば俺の憂いも仕事も終わりだ。後は中で失神している盗賊達をしょっぴいてもらうだけ。松明の明かりがテント地に揺れて影が縫い目のように踊る。ここからは公務員の仕事だ。
騎士や兵士や冒険者たちがゾロゾロとテントの中へ入っていくのを見届けると、すぐにみんなが集まってきた。
「先生! ご無事で何よりですが無茶はお止めください」
「リーヴェの言う通りですわ。せめて応援の到着を待ってください」
「そうだぜ、俺たちには無茶するなって散々教えてくれてたじゃんか」
生徒たちに昼間の教習のことを逆手に取られて叱られてしまう。確かに単身で乗り込んだのは言い訳ができないな。言葉を探して視線を泳がせると三人の眉間の皺がまるで同じ角度で寄っているのに気が付く。可笑しいやら、申し訳ないやら、可愛らしいやら。
三人の勢いに圧されているとグレーターが近寄って来た。そして感極まって涙声のカリアトスの頭をゴシゴシと撫でながら言う。大きな掌が金色の髪を無造作に梳き、しゃくり上げる息が少しずつ整っていく。
「逆い言えば、こいつに取っては無茶にカウントされてないってこった。なあレギオン?」
「え…?」
「分からないか? この大きさの幕屋ってことは賊の人数も相当いたはず…それなのに騎士団も衛兵も誰も騒いでいないだろ」
「…そう言えば」
三人はハッとしてテントの方を見た。布の向こうでは規則正しい指示の声と縄が擦れる音だけがする。悲鳴も怒号もない。
グレーターはニヤリと歯を見せるように笑って俺に答えの分かった疑問を問いかける。
「とっくに全員をのしちまってる…そうだろ?」
「まあ。衛兵たちの仕事がしやすいようにと思ってね」
何も言っていないのに状況と俺の仕草だけで全部読まれてしまった。手の甲についた微かな擦り傷、柄巻きに残った体温、踏みしめた足の泥――そういう些末が、彼らには文字に見えるのだ。
洞察力は相変わらずだな。かつてパーティを組んでいた頃もこの察しの良さに何度助けられた事か。旧友との会話に懐かしい気分と嬉しい気持ちとが込み上げてくる。胸のどこかが焚き火みたいにぱちぱちと爆ぜた。
すると少し青い顔をしたノワールが恐る恐る尋ねてきた。唇の端をきゅっと結び、視線は俺の手元に落ちたまま。
「そ、それは…命を奪われたという事ですか?」
「まさか! 全員生きていますよ。盗賊と言えど殺してしまえば殺人罪です」
「いやいや。お前だってブラックリスト相手の討伐許可証持ってるじゃねえか」
「とっくに期限が切れてるよ。冒険者を引退して何年経ってると思ってるんだ」
そんな軽口で会話をしていると息を潜めていたモマさんに後ろから声をかけられた。呼吸のリズムが変わる気配で振り向く前に彼女だとわかった。
「レギオン先生」
「モマさん…! 良かった」
俺は努めて明るく振舞った。不安がらせたりはしたくなかったからな。笑顔の角度を少し上げて声に弾みを足す。
けれど俺の思惑とは裏腹に、モマさんはどんどんと心底申し訳なさそうな表情へ変わっていく。瞳の縁に影が差して指先が自分の袖口をつまむ。
「本当にすみません。自分の浅はかさが恥ずかしい」
「大丈夫ですよ。実際に接触までしていたら仰る通り浅はかだったかもしれないですけど、手前で踏みとどまったんでしょ?」
「しかし。そのせいでレギオン先生を危険な目に…」
そう謝罪の言葉を述べられても困ってしまう。モマさんの心配で精神的な疲労があったのは確かだけれど、彼女の安全が確約されてからは――正直楽しかったのだ。
誰かを助けるために剣を振る感覚が。
悪党を倒すために剣を振る感覚が。
命のやり取りのために剣を振る感覚が。
柄が手の内に吸い付いて、剣の重さが骨をまっすぐ通って、斬撃の軌跡が空気に線を引くそのすべての感覚が身体の深い場所の自分と一致する。
初めて芝居見物へ連れて行ってもらった子供みたいに胸のわくわくが止まらない。
一度離れてしまっていたからこそ。
やっぱり自分は剣が死ぬほど好きだったんだと自覚したからこそ。
今日の事にとてつもないありがたみを感じて仕方がなかった。今の職場で一日削られるより、今この一瞬の方が何倍も生きている気がする――そんな不謹慎な実感すら隠し切れない。
俺は不器用ながらもそんな思いを彼女へ伝えた。
「だから、そんなに謝らないでください」
そう伝え終わるとモマさんだけでなく、みんな呆然と俺にかけるべき言葉を見失っているかの反応を示した。
するとグレーターがその静寂を破ってきた。いつもの、まっすぐな言い方で。
「なあ、レギオン。また冒険者ギルドに戻ってくるつもりはないか?」
「え?」
「今のを聞かされたら…」
と、言い掛けたところでその話は遮られた。鋭い足音が草を裂き、火の粉がひとつ跳ね上がる。
少々慌てた様子でテンポラがこちらに駆けてきたからだ。外套の裾が夜露を散らし、肩で息をしている。
「先輩、皆さん。お話のところ申し訳ありません。急ぎ確認したいことが」
「どうした?」
「付かぬことを伺いますが、幕屋の中に『エビル・ワイヴァーン』がいませんでしたか?」
「エビル・ワイヴァーン? いや、見ていないな。そんなのがいたら真っ先に気が付くはずだし…」
俺が答えると聞きなれない単語だったのか、ノワールが意味を尋ねてきた。彼女の瞳は正面を見たまま、ほんの僅かに揺れる。
「テンポラ様。エビル・ワイヴァーンとは何ですか?」
「ワイヴァーンの変異種の一つです。通常種と比べ小柄ですが全身が黒く、夜行性のために夜間飛行に優れています」
「ですんで、夜に奇襲をされることが多いんですよ。で、見た目のインパクトも相まってエビルと呼ばれてるんです」
「さすが。よく知ってるな、カパタピ」
「ったりめーよ。ついでに言えば何年か前に隣のデイデイト帝国が軍事用の品種改良と調教に成功したって聞いたけど…」
「はい。此度の盗賊団の中にそのデイデイト帝国を追われた元・竜騎士の男がエビル・ワイヴァーンと共に紛れ込んでいるかもしれないとの情報を得まして、捜索中でした」
「なんだと?」
「人相を確認している限りでは見受けられず、誤情報か別の場所に潜伏しているか…といった判断を下すところなのですが。念のため先輩にも確認を致した次第です」
ふむ。一応テントの中はくまなく捜索した。きちんとした建造物なら隠し部屋があるかもしれないが、草原に立てられたテントではその可能性も薄い。そもそも、そんな大きな生物の痕跡はもっと派手に残るはずだ。
テンポラの言う通り、誤情報か潜伏場所が違うのではないだろうか。
「分かりました、ありがとうございます。間もなく賊たちの拘束と収容も完了しますので、城下に戻りましょう」
「ああ。分かった」
最後の最後に煮え切らないような事態になってしまったが、そもそも当初の目的はモマさんを無事に連れ戻すこと。それが叶ったのだから手放しで喜んで良いはずだ。
俺たちは騎士団に言われるがまま、帰路に付き始める。輪が解かれ、列が動き、馬の蹄と人の靴底が一斉に草を撫でた。松明が順に方向を変え、炎の尾が夜気に伸びる。
そうしてゾロゾロと人や馬の足が動き出したその時のことだった。




