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厄介な事件に巻き込まれますか?

 ◇


 そよ吹く風に心地よさを感じつつ、目的地である森の入口まであと数百メートル……というところで、俺は本能的に警戒心を覚えた。


 皮膚の内側を小さな針が撫でていくような、あの嫌な兆候。


 視界の端が勝手に焦点を合わせ、耳が要らない音まで拾い始める。風の向きが変わり重たい匂いが鼻の奥に貼りついた。


 見れば冒険者風の五人組が和気藹々と森から出てくるところだった。笑い合い、肩を小突き合い、手にした剣の鞘で地面をつつく者。鎧は泥に汚れているが、動きに余裕がある。普通の獲物を獲って帰る者の足取りだ。


 ただそれだけなら良かったのだが俺は気がついてしまった。

 

 連中から漂う血生臭さに。獣やモンスターと交戦した匂いじゃない。鉄分の甘さに混じって皮膚の脂の匂い、胃の奥を逆立てるぬめり――これは確実に人を殺めた奴から発せられる死臭。


 経験が嗅覚を勝手に分類してしまう。嫌でも分かってしまう。分かった瞬間、舌の根元が苦くなる。


 俺一人きりであれば気がつかないフリをして通り過ぎれば良かった。背を向け、風下に出て忘れる。それが最も安全で、そして最も賢明だ。


 しかし今はそうはいかない。要人を四人も連れて歩いているんだ。否応なしに色々と思考が巡る。立ち止まっても、引き返しても不自然だ。視線を落としすぎても、合わせすぎても不自然。


 こちらが彼らに気づいていない芝居をしつつ、彼らに「こちらが気づいていない」と思わせる芝居まで要る。


 面倒だが…やるしかない。


 最後まで白を切り通せ。


 俺は祈るような気持ちで平静を装った。足音のリズムを壊すな。呼吸を乱すな。視線は水平、口元は僅かに緩めて教習中の指導員の顔だ。


「よし。もうすぐだ、四人とも頑張れ」


 こちらの声が聞こえるくらいの距離になった時、俺はわざとらしく声を出して教習をアピールした。


 まだ明るいし、城門も近い。連中も目立ちたくはないから教習生相手に突っかかってくる事はないだろう。少なくともそう読める状況ではある。俺は読みに賭けた。賭けながら、万が一のために指の腹で魔道具の安全具を外す準備だけはしておく。


 案の定、一瞬だけ視線は向けられたが何事もなくすれ違うことができて、俺はほっと胸を撫で下ろすことができた。すれ違いざま、彼らの香りが風にちぎれて流れる。


 背中に集まっていた針が、少しだけ鈍くなった。


 しかし――波乱は思わぬ形でやってくることを忘れていた。


「先生、ちょっと待ってくれるか?」


 そう言ってカリアトスが待てを掛けてきた。ギクリと体が跳ねる。背筋を氷が撫でたように冷えて、手のひらに遅れて汗が滲む。


「……どうかしたのか?」

「今すれ違ったウチの一人……見たことがある。指名手配犯のネクロ・ド・ネイトだった」


 途端に全員の関心がカリアトスに向けられた。空気が一段引き締まり、風の音が遠のく。特に派手好き、揉め事好きなカパタピの目の輝きようったらない。複眼の一部がぎらりと反射し、脚の先が地面を軽く刻む。獲物を見つけた捕食者のそれだ。


 案の定、興味津々に事の子細を聞き始めた。


「おいおいおい。マジかよ、姉御」

「うん。間違いないと思うよ」

「根拠はあるのですか?」

「ちょうど昨日、手配書を見てたんだ。最近になって盗賊団とか目撃情報が多くってさ。あいつらは密輸グループだ」

「密輸! いいねぇ」


 爛々と目の色が変わった二人が熱い視線を通り過ぎた五人組に送る。視線はナイフと同じだ。放たれれば、それは気配として刺さる。


 もう既に嫌な予感しか湧いてこない。俺の脳内では、最悪のシナリオの枝が何本も一気に伸びていく。ここでぶつかれば、場所は城外、森の縁。援軍は遠い。通行人も巻き込む。教習は吹き飛ぶ。新聞の一面にでも載れば俺の日常も吹き飛ぶ。


「そうと決まれば取っ捕まえようぜ!」

「いえ。ここは泳がして敵のアジトを見つけるのがいいのでは?」

「そうですわね。尾行しましょう」


 続々と盛り上がっているところ悪いが、もちろんそんな事を許すわけにはいかない。血の匂いが脳を煽ると、人は簡単に自分を過信する。若さの悪癖だ。いや、俺だって若い頃はやった。やって、痛い目も見た。


 俺は淡々と三人と一匹に告げる。声に余計な感情を混ぜない。一本の線でまっすぐ刺す。


「よし行こう、なんて言うと思ったか? ここで一旦待機して通報するぞ」

「はぁ!?」


 カリアトスとカパタピが身を乗り出して声を出す。地面に影が近づき、土埃がふわりと舞う。


「そりゃないだろ、先生。折角の手柄を」

「こんな絶好のチャンス、中々来ないって!」

「チャンスよりも安全だ。そもそも仮免の魔導者がほとんどのパーティで何ができる?」

「でも……」


 と、中々に諦めがつけられない様子の三人だった。熱がかかった心は、冷えるまで待つのが一番早い。理屈ではなく、権威で止める必要がある。ずいっと前に出てきたモマさんの一言で、借りてきた猫のように大人しくなってしまう。


「先生の言うことに従えないのですか?」

「……いえ」

「よろしい。三人の説得は私がしますから、先生は通報をお願いします」

「……ああ、ありがとう。それじゃあ四人で周囲を警戒しつつ、待機を」


 すごいな、あの三人と一匹を一瞬で制するなんて。


 声の高さも、間の取り方も、まるで舞台の名優のようだ。反論が生まれる前に、反論の余地を封じる抑えの効いた口調。俺だって舐められている訳じゃないと思うが、立場を思うといまひとつ強気に出られない負い目があるからな。


 確かにこのメンバーの副教官として付いてくれるには最良の人材かもしれない。頼もしさと、ほんの少しの怖さは紙一重だ。


 なんて事を思いながら俺は通信用の魔石を取り出して通報を試みた。掌で転がすと内側から淡い青が灯り、石の核が微かに震える。喉を一度湿らせ、声帯の位置を整える。こういうときに噛むと、ろくでもない印象を与えるから。


「……もしもし。南門警備隊ですか? 先程、魔導者教習で通過したクオーツ魔導者学校のレギオン・ランドロスと言います。実は教習中に指名手配犯と思わしき人間を目撃しまして……」


 それからは根掘り葉掘りの質問攻めだった。


 時間、場所、人数、特徴、方角、速度、装備、匂い、周囲の通行人の数。事態が事態だけに仕方がない。質問に答えるごとに、俺の中の緊張は形を変える。焦りの熱が任務の冷に置き換わっていく。むしろ、やろうと思ってもできない現場に居合わせたことに感謝すべきか。


 現場は学びの宝庫だ……いや、やっぱり平穏が一番だが。


 千載一遇なんてのは易々と訪れはしない。ここで手柄に目が眩んで実力以上の仕事をしようとしてはいけないと、話を納めることにしよう。魔法行使でも実生活でも、能力以上の成果を求めるとロクな事にならないのだ。俺の傷跡は全部、その教訓のメモだ。


「……よし、通報完了。警備兵がこちらに向かってくれるそうだから、帰路に着きながら合流を図ろう」


 連絡を終えた俺は生徒たちに目を戻す。カパタピの脚は先ほどより落ち着き、カリアトスは唇を噛んで頷いた。もう一人は視線を森の影に置いたまま、聞こえるように「了解」と短く言う。


 モマさんも俺と目が合うと、わずかに顎を引いた。


 てっきり恨み節の一つや二つ飛んでくるかと思ったが、かなり聞き分けのいい返事が返ってきた。息が合うとパーティは強くなる。強くなると俺の肩も軽くなる。ありがたい。


 モマさんの説得のお陰か? だとしたら本当に頭が上がらない存在なんだな。この面子を相手に……改めて彼女の怖さを垣間見た気がする。強いというのは押し返す力だけではない。受け止め、いなすのもまた強さに違いない。


 俺は歩調を整え風下に入り直し、四人の位置関係を微調整する。草原の匂いがまた戻ってくる。さっきまで鼻に貼りついていた死臭は、薄雲の向こうの陽のように少しずつ遠ざかっていった。

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