VIP達の気苦労を感じますか?
◇
程なくして城壁から外に繋がる関所までやってきた。
高くそびえる城壁の基礎は古い時代の石組みで、苔が縫い目のように緑の線を描き、上に継ぎ足された新しい煉瓦は陽を受けて鈍く赤く光っていた。見張り台の旗は風に遊ばれてぱたぱたと鳴り、門扉の蝶番がときどき低い音でうなる。
隊列を整える兵士たちの槍先が揃って、銀の魚群のように揺れた。荷車の軋み、商人の喧噪、家畜の鼻息、干し草と油の匂いが漂い、門前はいつもの通り、出入りする生の重さでどっしりしている。
ここで物流や転入転出に伴う関税徴収、あるいは犯罪者らの出入等を管理する。普通なら通行証を出したり、場合によっては面接があったりと面倒なのだが教習であれば話は別。
俺たちは特別な通行証を提示して儀礼的な質問に二、三答えると、衛兵同士が目配せを交わし、すんなりと町の外に出ることが叶った。
まあ引き連れている面子が面子なだけに、兵士たちの顔はこれ以上ないくらい緊張で引きつっていたけれど。
「あれが例の魔導者教習か…」
とこそこそ声が聞こえてきた。
眉間に皺を刻み、喉仏がこくりと上下するのがはっきり見えた。槍を持つ手元にわずかな汗。こちらが視線を返すと、慌てて視線を逸らす若い衛兵。わかる、わかるよ。俺だってこの四人を連れていると心拍数が二割増しになる。
ともあれ一回目の教習場所である草原に無事に到着した。
外へ一歩出れば空気が変わる。
城内の濃い息遣いが薄まり、草の匂いが肺の奥まで入ってくる。風は低い丘を撫でて、草穂を一方向に倒しながら縞模様を作って走り去る。空は微かに曇っており、日光による視界の阻害が少ないので、幸先は良さそうだ。
雲は薄い灰のベールのようで影の輪郭が柔らかくなるから遠くの森の線がくっきり見える。
時間も惜しいので四人を並ばせると早速、教習のための模擬クエストの内容を伝え、隊列を決めることにした。足元の土は乾いていて、踏むたびに細かな粉塵が立ちのぼり、ブーツの縁を薄く汚す。俺はそれを見て帰ったら磨かなきゃなと、どうでもいいことを思う。
でもこういう瑣末な雑念は、緊張を誤魔化すのにちょうどいい。
「まず、今日の教習における模擬クエストだが……ここから森の入口まで行って戻ってくる」
「それで?」
「それだけだが?」
「……しょぼ」
クエストを聞いたカパタピが呟く。声は平坦だが、脚の付け根がちょいと揺れる。人間だったら肩を竦めていた事だろう。八本の脚が乾いた草をさわさわ鳴らし、腹部の毛が風に逆立つ。
「せっかくこのメンバーが揃ってんだから、もっとド派手な事をしようぜ」
「気持ちはわかるが勘弁してくれ。教習で何をするかってのは決まっているんだ。勝手な事をしたら責任問題になって俺の首が飛んでしまう」
「っけ。人間、遊び心を持たないと潰れちまうぜ?」
「蜘蛛のお前に言われてりゃ世話ないな」
そんな台詞の応酬があった。言い合いの間、モマさんは扇子を閉じたまま口元に当て、目線だけで全体を測っている。もう一人は表情を動かさず、靴のつま先で小石を軽く蹴った。音が乾いて小さく跳ねる。
実を言うとカパタピの存在はありがたかった。
最初は手を焼きもしたが、これだけ錚々《そうそう》たるメンバーの中にあって、種族は違えど同性であるし、貴重な生物には違いないが身分は関係ない。歯に衣着せぬ物言いで場をほぐし、空気が固くなりすぎるのを防いでくれる。緊張が走るときほど、ああいう軽口が効く。
何だかんだで一番気兼ねなく会話ができる相手だった。俺が冗談を混ぜればちゃんと拾うし、突けば突き返してくる。訓練のテンポに呼吸を合わせるのに、こういう合いの手は助かる。
――そして、俺は気が付かなかった。カパタピとの会話の後ろで、相当に邪な思考を巡らせている人間がいたことに。視線の端をかすめた黒い笑みを、その瞬間の俺はただの気のせいとして捨てた。
嫌な直観は、いつだって忙しさの陰で見落とされる。
俺は露ほどもそんなことには気が付かずに歩き出した……気分は最高難易度の要人警護だったけどな。
町中ほど死角は多くないが、今度はモンスターに遭遇する確率が跳ね上がる。しかも、万が一があれば国が動くかもしれないほどの人物が四人もいるんだから、緊張感は半端ない。
背中に見えない視線が何本も突き刺さっているようで、歩幅が自然と一定になる。呼吸の回数を数え、心拍を数え、草の揺れと鳥の影を片っ端から意味づけしようとする。職業病だ。
何が辛いって、それを表に出すわけにはいかないということだ。俺が緊張すれば四人には容易く伝わってしまうだろうし、そうなればまともな教習ができなくなるからな。
肩を落としすぎず、上げすぎず。視線は広く、しかし落ち着いて。声は平坦に、けれど弾力を。自分の身体を外側から操縦するように、俺はいつもの講師の面を被る。
だから努めて普段通りを装って話を振った。
「みんなも退屈だとは思うけど、気を抜いたりはしないでくれよ」
「心得てますわ。それにこうして自由気ままに歩けることのどこが退屈でしょうか」
「え?」
「ふふ。私たちの身分ともなれば不自由な事も案外多いんですよ。こうして気の知れた友人たちと外を歩けるだけでも、かなり刺激的です」
「そうそう。色んな人に全力で守ってもらえるのはありがたいけどね、息が詰まるときだってあるさ」
「……そういうものか」
所詮は庶民の浅はかさだな、と自分がおかしくなった。檻に入った鳥にとっての“散歩”は檻そのものからの休暇なのだと、目の前で実感を伴って語られると、ちょっと胸が痛む。俺にとっての“ただ歩く”が、彼女らにとっては“ほとんど許されない自由”かもしれない。
ただ歩くのがつまらなく退屈だと思うのは、それが退屈な環境にいたからなのだろう。四人にしてみれば、教習と言えども数少ない非日常を味わえる機会なのかもしれない。護衛が少なく、視線も少なく、手順も少ない。風が頬に触れる感触さえも、きっと違って感じられる。
緊張感を捨てろとは言わないが、楽しんでもらうに越したことはない。俺は歩調を半歩だけ緩め、横に並んだ影が重なりすぎない距離を保つ。




