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幸せになるのは怖いですか?

 初の公共の場での教習では、不安や緊張に飲まれたり、あるいは解放感や油断から大胆な行動を取ってしまう生徒も多い。


 広場に吹く風は屋内の教習場と違ってどこまでも遠くへ抜けていく。周囲には往来の人影、荷車の音、街角の喧噪。魔法を扱う訓練をするには、少々気が散る環境だ。場数を踏んでいない者ほど、この空気に呑まれてミスをする。


 だが三人は――怖いくらいにいつも通りだった。


 余計な緊張も、無駄な浮つきもない。普段から公私を厳格に分けている生活を送っているのだ。今さら第二段階の教習ごときで取り乱すような彼女らではない。


 むしろ、冷静すぎて少々気味が悪いくらいだ。あまりに真面目すぎると、講師としては逆に間がもたない。俺は少し気を抜かせるため、軽く口を開いた。


「ただ歩いていても仕方がない。カリアトス、ちょっとした問題を出そうか」

「っげ」


 顔をしかめるその反応が、なんともカリアトスらしい。額にかかる金色の髪がわずかに揺れ、瞳の奥で小さな警戒の光が瞬く。だが、表情の端に見えるのは怠惰ではなく、真面目な照れ隠しだ。


「一般的に魔法を二つに分類した際の呼び方は何と何?」


 流石に簡単すぎたか。カリアトスはほっとしたような顔をして、少し気が抜けた声で答えた。


「生活魔法と戦闘魔法、だろ?」

「その通り」


 頷くと三人の足音が石畳に軽やかに響いた。風の音と遠くの鐘の音が混ざり、街の空気に溶けていく。俺はそのまま歩を進めながら問いを重ねる。


「じゃあ、教習所では主に戦闘魔法の訓練や授業ばかりを行う理由を二つ言えるかい?」

「出力の規模の話じゃなかったけ? 極端に言えば火事を起こすくらいの火の魔法が使えれば、出力を抑えることでコンロで料理をする程度の火力にもなるって」

「正解。もう一つは?」

「確か……モンスターと戦うため」

「合ってるから自信を持っていい」


 俺は少し笑う。カリアトスの声は少しずつ張りを帯び、緊張の影が薄れていく。


「魔法の発展の歴史は人間とモンスターとの戦いの歴史でもある。この世界は魔物が生息する地域の方がはるかに多い。それこそ庶民であっても、ある程度の対抗手段を持たねば生きていけない。かと言って、手当たり次第に魔法を使われても社会が持たない」

「だから教習所で行う授業では、実技が戦闘魔法を想定し、学科が生活魔法を行使する上でのルールを勉強する…だったよな」

「そう。じゃあ最後の質問だ」


 俺は立ち止まり、軽く杖の先で地面を突いた。石畳の下から、かすかに魔力が反応して光の粒が滲む。生徒たちが思わずそれを見つめる。


「魔物が生息する場所は多岐にわたるが、大別するとダンジョンとコンバットエリアに分けられる。その最大の違いは?」

「えっと……閉鎖的か否か。コンバットエリアは線引きが曖昧だけど、ダンジョンは明確に区画が定義されている。そしてダンジョンは閉鎖的な分、探索や戦闘が限定される上に、逃亡や連絡が格段に難しくなるから……気を付けなきゃダメ!」


 必死に頭の中の教科書を読み上げながら声を出すカリアトス。その様子はさながらクライマックスで犯人を追い詰める探偵のようだ。


 息を弾ませながらこちらを見上げる顔には、わずかに汗が光る。まだ少女のあどけなさを残しながらも、必死に「生徒」としての自分を演じようとしている。

 最後の方は少々稚拙な言い回しだったが、こちらが理解してほしい点は押さえている。


「OKだ。一段階の内容はしっかりと覚えているようだから安心したよ」

「へっへ~」


 カリアトスは得意げに笑った。その笑顔が一瞬、朝の陽光を受けて輝く。俺の心のどこかで小さな安心感が実った。正直、彼女が一番緊張していたので、それを解そうと思って話を振ったのだが上手くいったようだ。


 途中、AT(自動詠唱)の魔導具に切り替えてから暴走は減ったとはいえ、カリアトスはずっと魔法に苦手意識を持っている。呪文の言い回しで噛んだり、詠唱のテンポが狂うと顔を真っ赤にして俯いてしまう。


 大分克服はできているがそれでも卒業までの間は特に目を掛けておきたい。教官としてだけでなく、人として彼女の成長を見届けたいという気持ちが自然と芽生えていた。


 そんなことを考えていると、不意に柔らかな囁きが耳元に届いた。


「流石ですね」


 モマさんだった。彼女の声は穏やかで、しかし心の奥まで響くような重みがある。


「カリアトスの機微を悟ったのは、剣士としての観察眼ですか? それはそのまま商売に転用できる素晴らしい才能ですよ」

「そんな立派なものじゃ……」


 否定しかけた声がかすれる。モマさんの目は、どこかすべてを見透かしているようだった。


「先生は夢破れたことに囚われているようですが、あなたの才は使い方次第で今からでも十分に開花できます。尤も、この学校にいる内は難しいでしょうけど」

「……」


 くぅ。正体を明かしてからというもの、一気に攻め込んでくるな。巧みに人心を惑わしてくる話術には恐れ入る。


 アラフォーとはいえ、昔取った杵柄で未だに夢を見ているようなおっさんには、こういう言葉が一番刺さる。心の奥の燻った火種に息を吹きかけるような声音だった。


 燻っているのは百も承知だ。


 叶うことなら、もう一度返り咲いて世に名を轟かせてみたい。剣を持つ男なら誰しも一度は夢見るものだろう。しかも今なら逆玉な上に、可愛い奥さんまで手に入る……あれ? 冷静に考えると、外野の目で見ればメチャクチャ恵まれたチャンスじゃないか。


 けれど――昨日から、俺は答えを出せずにいた。


 理由は分かりきっている。


 これまでの人生経験が、心の奥で囁くのだ。


 お前の人生に幸運などない。

 そんな美味しい話があるものか。

 ここで冒険をして躓いたら、残りの人生をどうする?

 そもそも無能だから今の仕事に甘んじているんじゃないのか?

 この職に就くのだって、どれだけ苦労したと思っている?

 もう一度ゼロからスタートして、若い連中に馬鹿にされながら仕事を覚える気か?


 昨日、モマさんの告白を受けただけでも、やらない理由はいくらでも見つかった。要するに――ビビっているのだ。


 どブラックな職場だとわかっていても、ようやく掴んだ“安定”という場所から抜け出す勇気がない。昔は勢いだけで生きてきた分、今はその惰性が怖い。止まってしまった足は、いざ動かそうとすると重すぎる。


 ……情けない話だ。


 俺はモマさんを軽くあしらい、深く息を吸い込んだ。

 冷たい風が肺を満たす。街の喧騒が遠のき、意識が一点に集まる。


 カリアトスに偉そうなことを言った以上、他のことに気を取られていては示しがつかない。今は教習に集中しなければ。


 胸の奥で、未練と現実の狭間を押し込めるように息を吐いた。

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