同僚の女の子と飲みに行きますか?
さて、時間は少し経ってその日の業務が終わった頃。俺は自分の教員机に項垂れて疲労感を何とか誤魔化していた。三人は普通の生徒として扱えと本人達は簡単に言ってくれるが、俺の無礼がこのクオーツ魔導者学校の命運を分けるのだ。その重責たるや…毎日内臓をすり潰されているくらいには緊張に蝕まれていた。
肉体的というよりも精神的にげっそりと痩せ細っているようだった。
その中で仮免試験という節目を超えられたことは精神衛生上、非常に大きなものだった。幸いな事に明日は休日だ。適当な居酒屋にでも入って命の洗濯をしてから泥のように眠れば、また来週の六連勤を乗り越えられるだろう。週一の休みがこんなにありがたいとは…。
少ないじゃなくてありがたいと感じる辺り、骨の髄まで社畜根性が染み付いていて嫌になる。
数少ない救いだったのは三人の担当指導員になったことで多少なり気を使って貰えていることだろうか。三人の教習終わりが丁度定時になるのでしばらく残業とは無縁だ。
劣悪な労働環境とお偉いさん方にバレたくないだけかも知れないけど、それでも早く帰れるのは嬉しい。
そうして終業のチャイムを聞くと俺は指導員室にいた数名に挨拶をしてそそくさと退社した。何故定時に帰るのに罪悪感を覚えねばならぬのか。
「レギオン先生」
「え?」
帰路の途中で不意に声を掛けられる。振り返ると受付事務のモマさんがパタパタと駆け足気味に寄ってくるところだった。
途端に嫌な予感が頭を過る。
てっきり急な残業が発生して引き止めに来たと思ったからだ。しかし蓋を開けてみればまるで予想とは別の事を言われた。
「この後ご予定ありますか?」
「あ、いや。適当に飲んで帰ろうかなって」
「少しご相談したいことがあるんで、ご一緒してもいいですか?」
「…へ?」
この職場に就いて云年。初めて同僚に誘われた。しかも受付事務の女の子に。
俺は即座に財布の中身と相談をした。行きつけの格安居酒屋なら後輩の女の子一人くらいはどうにか奢れるか。給料日の後で助かった。
「俺の行きつけの店でも良かったら」
「はい! ありがとうございます!」
急に共連れとなり妙にソワソワしてしまっている。思えば誰かと飲みに行くのなんて何時ぶりだろうか。両親の介護で時間的にも金銭的にも余裕がなかったからギルドを辞めてからは一度もなかったような気がする。
更に言えば後輩とは言え、女の子とサシで飲むのはこれが初めてだ。それに気が付くと女っ気のなさとか、自分の甲斐性のなさに少々項垂れる。今からでも少し見栄を張って良い店に行った方がいいのかな。
しかし仕事の話やお偉方三人の話題などで話が途切れず、とうとう店に着いてしまった。こうなってはもう致し方あるまい。
見栄を張るオッサンよりも身の丈にあったオッサンの方がマシに映ることを願って、俺達は居酒屋に入った。
「モマさんはどうする?」
「ええと…こういうお店に入るのが初めてなんで」
「そっか。なら格安居酒屋マスターの俺に任せて置きなさい」
「わかりました!」
溌剌とした返事を貰った上で申し訳ないが、生憎と若い女の子向けのメニューなんてありはしないので、せめて若い娘でも腹持ちの良いものをいくつかとビールを頼んだ。
俺は真面目な相談なら酔う前にと思い、モマさんに話を振った。せめて恋愛相談とか口出しし難いものではないことを祈る。
「ところで相談っていうのは?」
「うーんと…広い意味では恋愛についてのご相談なんですけど」
「…」
…やっちまったな。若く、溌剌とした女の子の恋の悩みに解決策を提示できるほど人生経験は豊かじゃないぞ。剣と魔法と年老いた親の介護方法以外のアドバイスを求められても無理だ。むしろ俺が結婚とか恋人が欲しいというような相談をしたいくらいなのに!
けど小耳に挟んだ事がある。
女子の相談とは名ばかりでその実、悩みを聞いてもらいたいだけで解決は望んでいないケースが多い、と。つまりは惚気たいのか愚痴を聞いてもらいたいかのいずれかである場合がほとんどのはず。
まあ普段からめちゃくちゃに気を揉んでもらっているし、毎回小休止に美味しいお菓子を貰ったりしているのだからこの時くらいは付き合ってあげたとしてもいいだろう。
しかし、いざ話が始まってみると俺の予想とは大きく違った方向に進んでいったのだ。
「レギオン先生はかつてトゥールビヨンに所属して、クエストをこなしていたんですよね?」
「え? まあね」
「どんなクエストをしていたとかは覚えてますか?」
そりゃあ覚えているさ。正直に言ってあのギルドでの日々が俺の人生の全盛期と言っても過言じゃない。思う存分に剣を振るえたのもそうだが、自分たちの力をで自分たちの名を轟かせていこうと希望を見れていたのが大きかったと今にして思う。
この今の暮らしには希望がない。死んでいないだけで、実際には生きていないような生活だ。
と、俺が暗くなって相談したって仕方ないな。
とりあえずは当たり障りのない返事でお茶を濁していた。
「そりゃ全部とは言わないけど、印象的なのは覚えてるね」
「例えば?」
…何だか恋愛話からどんどんと遠ざかってはいないか? 俺の話ばっかりになってるし。
そう感じながらも聞かれたことには答える。大抵のオッサンは年を食うと昔話を語りたくなるものなのだ。
「そうだな。がむしゃらだったから依頼があれば大抵やってたよ。討伐、採集、運送と一通りね」
「…ギルドの方の仕事だと、後は護衛ですか?」
「あ! それもやったし、護衛と言えばトレイリアンブル家の本店と一時期専属契約してたこともあったな」
「…!」
そう言った時、モマさんの目の色が変わったのが分かった。無理もないことだと思う。
今、口にしたトレイリアンブル家というのはこの国はおろか、この大陸一の商店と言っても過言ではないほどの大富豪だ。資材建材、日用雑貨、調度品や宝石類の扱いなど凡そ扱っていない品物や手を付けていない商売はないとまことしやかに囁かれている。
トレイリアンブル家が手に入れられないというならば、この世界でソレを手に入れるのは不可能だろう。
当然金融にも一枚噛んでいて王宮、教会、各ギルドに対しての貸付も多くあり、ある意味ではそれらの権力よりも強い影響力を持っている。
そんな大商店の、しかも本店と契約出来ていたというのだから少しは見直してくれたかも知れない。
すると当時の思い出がより色濃く滲み出すように頭の中に蘇ってきた。
「そう言えば…一度だけトレイリアンブル家の当主から手紙を貰ったな」
「え?」
「護衛の中で俺の剣の腕に惚れ込んでくれてな、愛娘のボディガードをしてくれないかと言われたんだ」
「断ったんですか?」
「ああ。当時は仲間もいて世界一のパーティになろうって目的もあったし、お固いところにい続けた反動で気ままに剣を振るのも楽しかったしね」
「今からでもトレイリアンブル家に連絡を取って見てはどうですか? ひょっとしたらその愛娘に見初められて逆玉なんてことあるかも知れませんよ?」
「あっはっは! そりゃいいね」
何だ、モマさんはこんな冗談を言える人だったのか。可愛げの中にどことなく近寄り難いオーラもあったけれど、認識を改めないといけないかもしれないな。
俺が高らかに笑い飛ばすと、モマさんは目は笑わず口元だけを微笑ませる。そして安酒のグラスを傾けるとゴクリと喉を鳴らす。その様子に不気味な美しさがあった。
「それで…モマさんの相談は?」
「その前に一つだけ訂正しますね」
「訂正? 何を?」
「レギオン先生に手紙を出した理由ですが、当主が惚れ込んだからではなくて、その愛娘本人がレギオン先生の仕事ぶりを見ておねだりしたんですよ。あの人に側にいてほしいと」
「はい?」
何でそんな事を言いきれる? また何かの冗談か? けれどこの奥底に胆力を効かせた物言いどう言うことなんだろう。
「ところでその娘さんのお名前は覚えてますか?」
「え? あ…」
ふと尋ねられて、再び記憶の池に疑問という石が投げ入れられる。波紋を作り、沈んでいく石の欠片が手紙の一文の映像を思い起こさせる。
確か…お嬢様は。
「モマお嬢様、と……ん?」
んん??
そう。確かモマお嬢様と呼んだ記憶もあるし、使用人や商店の人間がモマお嬢様と呼んでいた記憶もうっすらとある。
そして今、俺の眼の前に座ってやっすい酒をチビチビとやっている同僚もモマさん。
背中に冷水を垂らされたように一気に血の気が引いていくようだ。
◇
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