蜘蛛が待合室の様子を見てますか?
…ふう。
まったく、どいつもこいつも辛気くせえ顔してんな。
オレ様はお嬢のマントの陰に身を潜めつつ、目をぐるりと動かして待合室を観察した。
修了検定くらいでガチガチになってて卒業ができるのかよ。
もっと気楽に構えればいいのに。まあこいつらの場合は、お嬢らと席を同じくしてるってところもあるんだろうけど。学校もこの三人は流石にVIPルームに通せってんだ。まあ、こんなオンボロな魔導者学校じゃ無理な話か。
それでも目の前で顔を強張らせてりゃ、こっちまで胃がキリキリしてくるってもんだ。
待合室として通された教室には午後の光が曇りガラス越しに差し込んでいる。
けれど鈍く濁った光は明るさをもたらすどころか、影を濃くするばかりだった。古びた木の床には、幾度となく椅子の脚で刻まれた無数の擦り傷が走り、まるで蜘蛛の巣のように縦横に広がっている。その隙間に溜まった埃は灰色に鈍く反射して、余計に陰鬱な空気を増していた。
乾いた椅子の木材は緊張を音に変える。ほんの少し体を動かしただけで、ギシギシと不協和音が鳴る。その小さな音に、生徒たちの怯えや不安が重なっていく。椅子が軋むたび、待合室全体がざわりと揺れるような気がして空気はさらに重くなる。
まあこうなったら仕方がない。この場の空気を見るのも一興か。
蜘蛛は観察が得意だ。獲物の息遣い、わずかな風の揺れ、網の震えからでも周囲の様子をを読み取るのは本能だからな。ましてや人間の顔色や仕草なんざ、じっと見てりゃ手に取るように分かる。
まずカリアトスの嬢ちゃん。
こいつはもう…見てるこっちが不安になるくらいに緊張していた。椅子の背もたれに寄りかかろうとしても膝が小刻みに震えるせいで安定しない。
動く度にギシギシと椅子が悲鳴を上げてる。手のひらは汗でぐっしょり濡れて、何度も膝で拭っては、またすぐに滲んで…の繰り返しだ。
「う、うわぁ……心臓が早くなってきた……」
小声のつもりらしいが周囲にまで聞こえる。真隣にいた姫さんが朗らかに嬢ちゃんの背中を擦って勇気づけ始めた。
「大丈夫ですよ、カリアトス」
「だってさ…オレだけ落ちたりしたら」
分からなくもない不安だな。
合間に窓から見ていたけど何度も暴発暴走紛いの事をやってたし、当人も相当に苦手意識が頭に食い込んでる。
話を聞くとおっさんのアドバイスで試験間際にATの魔導具に切り替えたらしいが…それが吉と出るか凶と出るか。けど治癒の加護っていうかなりのアドバンテージも持ってるし、個人試験なのを鑑みても合格点には届くんじゃないかと踏んでいる。
それにコイツは失敗を反省しても引き摺るタイプじゃない。本来竹を割ったような性格で、ミスを糧にできる人間だ。おまけにビビってるってことは、それだけ本気ってことでもある。
蜘蛛も人間も臆病なのは悪くない。むしろそういう奴の方が生き延びるしな。
続いてリーヴェ姫を見た。
この人はいつだって氷の彫像みたいに冷静だ。背筋をぴんと伸ばし、顎をわずかに引いて視線は真っ直ぐ前を射抜く。横顔の線は凛として美しく、まるで絵画から抜け出してきたように整っている。
指先で髪を整える仕草も洗練されていて、動きひとつに無駄がない。座る姿勢すら礼儀正しく、緊張を表に出すどころか威厳にすり替えてしまう。
自分がどう見られているか、そしてどう見てほしいかを熟知している。さすがはお姫様ってところだな。
「試験は減点方式です。満点を取ろうと思わなければ少しは気が楽になりますよ」
さらりと口にしたその言葉は、カリアトスの嬢ちゃんだけでなく待合室の重苦しい空気をわずかに揺らした。
周囲の生徒たちが思わず視線を送ってくる。
もしかしなくても、わざと聞こえるように言ったか? 国民からの指示は大事だろうからな。
やっぱり動く氷みてぇに冷静だ。見ているものの数がそんじょそこらの奴らとは違う。
けどだからといって全部が冷え切ってるわけじゃない。そこがこの人の魅力でもある。特におっさんと教習している間の姫さんはそこら辺の町娘と何ら変わらないくらいの屈託のない笑顔をしていたのが印象深い。
もしそこまで計算しているとなれば…恐ろしいな、おい。絶対にないことだけど、絶対に敵に回したくはない。
溶けた氷の中には化け物がいました、なんてのはお約束だしな。
修了検定どころか卒業試験だって澄まし顔でクリアする姿しか想像できなかった。
そして最後にうちのお嬢。
この人は…やっぱり別格だ。緊張とか冷静とかいう場所にいない。早い話が天然で空気を読まないんだよな。
この間も平気で傷心のオレ様に止めをさしてきたし。
…ああっ! 思い出したらまた腹が立ってきたぜ。あのおっさん、いつか痛い目見せてやる。
なんて怒りを抱いている隙にお嬢はまた妙な事を言い出す。ふと、マントの陰に潜む俺に囁きかけてきたのだ。
「カパタピ、あなたは緊張してませんか?」
「緊張? 冗談でしょう。大船に乗ったつもりでいてくださいよ」
俺は胸を張るつもりで八本脚をぴんと伸ばし、誇らしげに答えた。
するとお嬢はにっこりと微笑んだ。
「ええ、期待してますよ。頑張ってください」
ん? ちょっと待て。
なんで観客席から激励するみたいな事を言うんだ? そこは「一緒に頑張りましょう」とかじゃないんすか、お嬢。
そう思ったのはオレ様だけじゃなかったようで横にいた姫さんが指摘してきた。
「……なんだか他人事じゃないないですか? ノワール、これはあなたの試験なのですよ?」
お嬢は小首を傾げて、ぽんと手を打った。
「…そっか。私が試験を受けるんですよね。すっかりカパタピが受けるものだと思っていました」
んな、アホな。
待合室の空気が一瞬止まった。
次の瞬間、ぷっと誰かが吹き出す音が聞こえた。カリアトスだ。慌てて口を押えるが、肩が震えている。
「ご、ごめん。だってカパタピが受けるって…自分の試験なのに…あはははっ!」
リーヴェは唇を引き結んで耐えようとしたが、目尻にじわりと涙を浮かべている。
「…ふふっ。これは確かに」
他の生徒たちも、最初は眉をひそめて「何を言ってるんだ?」という顔をしていた。だが真面目に考えれば考えるほど馬鹿らしくなったのだろう。椅子のあちこちからくすくすと笑い声が洩れはじめた。
「くふっ……すみません、ノワール様」
「ちょっと吹き出してしまいました……」
誰もが口々に「すみません」だの「申し訳ありません」と謝りながら、それでも笑いが止まらない。さっきまでの重苦しい沈黙が嘘のように待合室の空気が柔らかく揺れていく。
俺はマントの陰から、ため息交じりに呟いた。
「……まったく。お嬢は、爆弾みたいに場をひっくり返しやがるな」
だが悪い気はしなかった。
張り詰めていた糸が一気に緩み、呼吸が楽になる。生徒たちの顔色も少し明るくなった。緊張に押し潰されそうだった空気が笑いに変わって弾んでいる。
そう、これでいい。試験前に必要なのは堅苦しい沈黙じゃない。笑って肩の力を抜ける時間だ。
お嬢は首をかしげたまま、不思議そうに辺りを見回していた。
「皆さま、どうなさったのかしら? 私、そんなにおかしいことを申し上げました?」
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