治癒の加護を持っていますか?
「OK。そろそろ時間だから戻ろう」
「うん」
俺がそう促すとカリアトスは若干ぼんやりとした様子で頷いて歩き出した。
返事は素直だったが、表情は暗くて視線の焦点は定まらずに思考がどこか別の場所に置き去りになっているようだった。彼女の金色の瞳は今しがたの訓練で消耗したのか、あるいは別の感情にとらわれているのか、普段より少しだけ陰りを帯びて見えた。
いつも快活なだけに余計にコントラストが浮き彫りにされる。
そうしたうわの空の状態が仇になったのだろう。カリアトスは自分が魔道具として用いているメイスにまだ妙な残響が残っていることを見落としていた。柄の奥に仕込まれた魔力回路が、まるで深い呼吸を繰り返すかのように脈動を続けており、そこから不穏な熱が立ち上っている。
俺は息を呑み、瞬時にそれを察した。
「カリアトスっ!!」
怒鳴るように叫んだ声は、湿った岩壁に反響して鋭く耳を打った。
「え?」
間の抜けた返事をしたその刹那、メイスの先端から奔流のような魔力が迸った。青白い光が炸裂し、雷鳴を思わせる轟音がダンジョンの狭い通路を満たす。俺自身、もう魔力は尽きているものだと高を括っていた。だからこそ、気が付くのが遅れたのだ。
その刹那。思考よりも先に身体が勝手に動いていた。
抜刀の動作は呼吸のように自然で刃は寸分違わぬ軌跡を描いて雷とカリアトスの間へ割り込む。電光は刀身に阻まれ、彼女の華奢な身体に届くことはなかった。
しかし。
「っぐ、ああ…!」
守ることはできた。だが、代償は大きかった。
刀身から伝わってきた電撃と灼熱の奔流が、瞬く間に掌を焼き尽くしていく。焦げつく臭気が鼻を突き、苦悶の声が抑えきれずに漏れた。ダンジョンの暗がりにその呻きがこだまし、自分の声だって言うのに別の生き物の断末魔のように響いた。
カリアトスを守りきったという安堵と、もう剣を握ることすら叶わないかもしれないという絶望が同時に胸を押し潰す。痛みは骨の髄にまで染み渡り、脳髄を焼くようだったが、不思議なことに俺の唇は微笑を形作っていた。無理やり笑うことで、心が軋むのを誤魔化したのかもしれない。
「せ、先生…!」
振り向いたカリアトスの顔は青ざめ、金色の瞳が大きく見開かれていた。
「大、丈夫。カリアトスは?」
「オレは平気…だけど」
「なら良かった」
強がりでしかない言葉を吐き、俺は己を保とうとした。だが内心は、もう教習どころではないと分かっていた。このまま上へ戻り、応急処置をしてもらうべきだろう。まだ間に合うかもしれない。
……いや、そんな期待を抱くのはやめよう。むしろ、これで良かったのかもしれない。剣を握れないなら、諦めもつく。長年しがみついていた夢からようやく解放されるのだ。
いい歳をして夢にすがるんじゃない、現実を見ろ──自分にそう言い聞かせる。
俺はできる限り平静を装って声を掛けた。だが、目の前のカリアトスは未だかつて見たことがないほど真剣な顔をしていた。
次の瞬間、彼女は深く息を吸い込み俺に抱き着いてきた。
「先生!」
「…っ。カリアトス! 何を!?」
何事かと混乱して素っ頓狂な声を出す。
しかしすぐに彼女の思惑を理解する。叔父譲りの治癒の加護を俺に施して食ていたのだ。
カリアトスから伝わってくる温もりはただの人肌のそれではない。蜂蜜とマシュマロの中間のような、形容しがたい柔らかさと甘やかさに包まれる感覚。膜のような温かさが全身を覆い、焼けただれた掌の痛みがみるみる引いていく。
数十秒もしないうちに俺の手の火傷は完治していた。
いや、それどころか剣を握る感触は以前よりもしなやかで、腕全体が軽やかになっていた。まるで幾年か若返ったかのような感覚が体を駆け抜ける。
「先生、どう? 具合は?」
「…」
「先生?」
「あ、え、すまない…あまりにも治癒が見事だったから呆気に取られていた…」
「び…ビビらせんなよ~」
あの絶望的な火傷が見る影もなく癒えたことで、俺は感動を通り越して放心していた。逆にカリアトスは俺の沈黙が不安を煽ったのか、今にも泣き出しそうな顔になっていた。
英雄の姪といえど、まだ十代の少女だ。立て続けのショッキングな出来事に心が揺さぶられても無理はない。
だが俺の驚愕もまた当然だった。剣士として数多の怪我を見てきた経験から、どれほどの損傷であれば体が使い物にならなくなるかは把握している。その俺が絶望を覚えるほどの火傷を、カリアトスはわずか数十秒で癒してしまったのだ。しかも通常の治癒以上の結果をもたらした。
彼女の叔父である英雄グレーターでさえ、同等の治癒を施すには長年の勘や経験を必要とするだろう。だがカリアトスは未成熟な年齢でありながら、それをやってのけた。
──末恐ろしい。
そう思わざるを得なかった。天は二物を与えずという言葉があるが、魔法の才が欠けていることは、もしかすると釣り合いを取るためなのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はどうにか涙を堪える彼女を宥めた。落ち着きを取り戻したところで俺たちはダンジョンを後にする。
全身に高揚感が駆け巡り、心臓は未だに速く打っていた。それでも冷静さを取り戻さなくてはならない。特にカリアトスの心を労ることが必要だった。
二日連続で魔力の暴走を引き起こしたことは、学校側への印象が悪い。口裏を合わせようかと一瞬考えたがすぐに打ち消した。こういう時は素直に報告した方がトータルの傷は浅い。
……結局、ここ数年で上手くなったのはミスや失敗の後始末ばかりだ。そう自覚した瞬間、胸の奥にずしりとした重さがのしかかる。
しかし同時に体の方カリアトスのおかげかとても軽い。まるで十代の頃のような軽快な感覚と心の重さが不思議な均衡を保ち、まるで天秤の上に乗せられているような気分だった。
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