↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼氏と別れるために、デートをやり直しています  作者: 黒咲かぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/7

第4話 二十八歳

 パスタの店には、予約が必要だった。

 六年前は平日の夜で、私は圭吾が予約していたとも知らずについていった。今度は土曜日だからか、ネットで調べると早い時間しか空いていなかった。


「五時半だって」

「いいよ。昼、軽くすれば」


 圭吾は冷蔵庫の扉を開けたまま言った。

 私は店の予約画面に、二名、と入れた。

 利用目的の欄に、誕生日、記念日、その他、と選択肢があった。

 その他を選んだ。


「誕生日でもないのに、ちょっと贅沢だね」

「たまにはいいんじゃない」


 圭吾が先週の私と同じことを言って、卵を二つ出した。

 冷蔵庫の下の棚には、私が買ってきた小さなヨーグルトが二個残っていた。


 圭吾は、何かがおかしいと思っている。

 水族館から帰った日も、火曜日の夕飯のときも、私の顔を少し長く見た。

 それでも、問い詰めることはしなかった。

 私が疲れている日は、話しかけずにいてくれる人だ。その加減を好きになったのに、今はそのおかげで話さずに済んでいた。


 土曜日、店へ向かう前に、クローゼットの前で立ち止まった。

 六年前に着たワンピースはもうない。圭吾が初めて誕生日を祝ってくれた日に、かなり考えて選んだ服だった。

 あの日の私は二十二歳になった。

 交際を始めたのは九月の初めで、私の誕生日はその二週間後。圭吾の誕生日は八月だから、先に祝ってもらったのは私の方だった。

 今は十月で、二十八歳になってから、まだ一か月ほどしか経っていない。


「これ、変じゃない?」


 ニットとスカートを着て、リビングに出た。

 圭吾が振り返った。


「いいと思う」

「思うだけ?」

「似合ってる」


 私が聞き返した分だけ、圭吾の答えは具体的になった。


「圭吾も、上着それにする?」

「だめ?」

「だめじゃないけど、もう一枚の方が好き」


 彼は袖を通しかけた上着を脱いだ。

 私は、それでいいんだ、と思った。

 どの上着が好きかは簡単に言える。違うものを選ばれても、私のことを好きじゃないとは思わない。


 店の中には、炒めたにんにくの匂いがしていた。

 テーブルの配置は少し変わっていたけれど、奥の壁に飾られた風景画は同じだった。窓に面した席に、店員が案内してくれた。


「ここだったっけ?」


 圭吾が小さな声で聞いた。


「あっち。壁際」

「よく覚えてるな」

「写真あるから」


 六年前の私は、運ばれてきた料理を一皿ずつ撮った。

 圭吾からもらった細いネックレスも、テーブルに箱を置いて撮った。

 いまも、仕事につけていくことがある。


「あのとき、デザートに字書いてもらったよな」

「名前がひらがなだった」

「漢字、電話で伝えるの難しくて」

「予約してたんだ」

「誕生日だから」


 圭吾がメニューに目を落とした。

 昔の自分の話をするとき、彼は少し照れた顔になる。


「今日は、どうする?」

「単品で頼もう。魚の前菜、食べたい」

「俺、肉」

「両方頼んで分けよう」


 パスタを二種類頼んで、デザートはあとで考えることにした。

 店員が去ると、圭吾がこちらを見た。


「そういえば俺ら、ここで二十八歳の話したよな」


 パンの籠に伸ばしかけた手を、膝に戻した。


「覚えてるんだ」

「なんとなく。卒業して働いたらどうなってるだろって」


 あのとき私は、二十八ってすごく大人だね、と言った。

 圭吾は、もう会社で偉くなってるかも、と言った。私は笑い、自分は毎朝ちゃんと起きられるかな、と答えた。

 そのあと、結婚してたりして、と口にした。

 圭吾が、誰と、と聞いた。

 私は、さあ、とすまして、圭吾が笑うのを見た。

 本当は、そこで名前を呼んでほしかった。


「圭吾、偉くなった?」

「ならない。先輩にも得意先にも怒られる」

「私は朝起きられてる」

「平日はな」

「休日は関係ないでしょ」


 前菜が運ばれてきた。

 圭吾は皿の端にある緑のソースを、何これ、と聞いた。私は店員の説明を聞き直した。

 六年前なら、分からなくても聞けなかったと思う。


「二十八って、もっと何でも分かってると思ってた」


 私が言うと、圭吾はパンでソースをすくった。


「全然だよな」

「そうだね」


 パンを小さくちぎった。

 結婚していないことが、昔の想像と違うだけなら、笑えた。

 今の仕事も、住んでいる町も、二十二歳の私には思いつかなかった。違っていても困っていない。

 向かいに座る人は想像どおりなのに、この先の話になると、私たちは何も決められなかった。


「……琴葉?」

「なに?」


 圭吾がパンを置いた。


「最近さ、何かある?」

「別に」


 考える前に、口から出た。

 圭吾の眉が寄った。


「ほんと?」

「うん」


 彼は私の顔を見たまま、黙った。

 私はグラスを持ち、ひと口飲んだ。


「ならいいけど」


 圭吾が視線を下げた。

 その言い方に、聞かれたくないんだろ、と言われたような気がした。

 私は頷かなかった。


 パスタを取り分けるとき、フォークが皿の縁に当たった。

 その音だけが大きく聞こえた。

 仕事の話を振れば、圭吾は答えてくれた。彼の会社で、若い後輩が入ってきたらしい。私はうちの職場の話もした。

 いつも話している内容だった。

 いつもより、言葉の切れ目が分かった。


「来月の連休、どっか行きたい?」


 デザートのメニューを開いた圭吾が聞いた。


「まだ早くない?」

「遠出するなら、早めに決めないと」

「……近場でいいよ」

「うん。だから、何か希望ある?」


 来月も、こうして二人で出かけるつもりでいる。

 それが嬉しくて、困った。

 その頃、私は別の部屋にいるかもしれない。


「ちょっと考える」

「分かった」


 圭吾はデザートのページを私の方へ向けた。


「今日は?」

「ティラミス」

「じゃ、俺はアイス」


 私は笑いかけて、うまくできなかった。

 ファミレスでは、一口をねだる圭吾に、普通に笑えたのに。


「一口いる?」


 運ばれてきた皿を、圭吾が少し近づけた。


「うん」


 スプーンを伸ばした。

 昔なら、その一口だけで、友達に話したいことが増えた。

 いまは、圭吾の差し出した皿を両手で受け取れる。彼にしかできないことが、私にもたくさんある。

 なのに、聞かれたことには答えられない。


 帰り道、車はいつものスーパーの前を通った。


「明日の分、買ってく?」

「冷凍してあるお肉、使いたい」

「じゃあ直帰でいいか」


 圭吾がウインカーを出した。

 私はバッグの持ち手を握った。

 六年前、同じ店を出た私たちは、別々のアパートに帰った。着いたら連絡して、と言われて、帰ってすぐ、着いたよ、と送った。

 いまは同じ鍵を持っている。


 家に着き、圭吾が食器洗い機の中身をしまっている間に、スマホを開いた。

 保存した物件の一つが、掲載終了になっていた。

 胸が一瞬ざわついた。

 困ったのか、ほっとしたのか、分からなかった。


 別の物件を開いた。

 駅から十分。築十二年。写真の部屋には、もちろん何も置かれていなかった。

 問い合わせの欄に、内見を希望します、と入れた。

 名前と連絡先を入力して、送信した。


「琴葉、明日何時に起きる?」


 キッチンから圭吾の声がした。


「八時くらい」

「了解」


 私は届いた受付メールを閉じた。

 明日の話なら、こんなに簡単にできた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。