第2話 最初のデート
「潰れてなくてよかったな」
日曜の昼、ファミレスの駐車場で圭吾が言った。
店の看板は覚えているものと同じだった。入り口の脇にあった喫煙所はなくなり、代わりに持ち帰り用の受け取り棚が置かれていた。
「何年ぶり?」
「二人で来るのは、あの日以来じゃない?」
「そうだっけ」
店に入ると、席に案内された。
窓際だったけれど、六年前に座った席とは違った。あの日の席には、幼稚園くらいの子と両親が座っていた。
子供がスプーンを落とした。父親が拾い、母親が店員を呼んだ。
「ここ、注文タブレットになったんだ」
向かい側から圭吾が言った。
私はメニューに視線を戻した。
「メニューはあるね」
「琴葉、紙の方が見やすいもんな」
開きかけていたメニューを止めた。
なぜか見抜かれた気がして、今さら何を、と思う。
家で出前を頼むときも、私は画面を何度も上下させる。圭吾はいつも先に決めて待っている。
「何頼む?」
「ハンバーグ。圭吾は?」
「これ。チキン」
「やっぱり」
圭吾が眉を上げた。
「分かってたなら聞かなくてよくない?」
「当たったか確かめたかったの」
「チキン頼みづらくなるじゃん」
そう言いながら、圭吾はタブレットでチキンを選んだ。
サラダは一つ。ドリンクバーは二人分。
六年前、私たちはここでずいぶん長くメニューを見ていた。
大学のサークルで知り合って、何度も話したことはあった。それでも恋人として向かい合うと、どこに目を置けばいいのか分からなかった。
圭吾が先に決めるまで、私も決められなかった。
本当はパフェを食べたかった。隣のテーブルに運ばれていくのを見て、圭吾が、頼めば、と言った。
私は、太るからいい、と答えた。
そんな理由ではなかった。ハンバーグを食べたあとでまだ甘いものまで食べるのが、なんとなく恥ずかしかった。
そのくせ圭吾が頼んだ小さなアイスを、二度見た。
「パフェ食べる?」
現在の圭吾が言った。
メニューの最後のページを見ていた私に、視線を向けている。
「食べる」
「即答」
「もう六年なので」
「年数関係ある?」
「あるよ」
圭吾は首を傾げてから、デザートの画面を開いた。
「いちごとチョコ、どっち?」
「いちご」
「じゃ、食後で」
料理が来るまで、私はドリンクバーに立った。
圭吾の分のお茶も持って戻ると、テーブルにあった私のバッグが、空いている椅子に移されていた。
「ありがと」
「お茶、ありがとう」
そのあとは、少し黙っていた。
窓の外にバスが止まった。店員が通り、誰かの鉄板がじゅう、と鳴った。
私は圭吾の前でも平気でお茶を飲み、バッグからハンドクリームを出した。
昔なら、沈黙が続くと焦った。
就職先の話。卒業旅行の話。共通の友人の話。スマホのメモに話題を三つ書いてきたことまで、まだ覚えている。
あの日は、準備した三つを全部使った。
映画までの残り時間が長くて、帰りたいような、帰りたくないような気持ちになった。
「何笑ってるの」
「最初に来たとき、圭吾ずっと水飲んでたなと思って」
「え、そう?」
「五杯くらい」
「そんな飲んでない」
「氷ばっかり残ってた」
圭吾はコップを置いた。
「何話せばいいか分からなかったんだよ」
「私も」
「琴葉は普通だったじゃん。就職先とか聞いてきて」
「準備してきたから」
一瞬の間があって、圭吾が笑い出した。
「準備?」
「そんな笑うこと?」
「ごめん。いや、俺も前の日、上映時間調べてたのに間違えたから」
「調べて間違えたの?」
「平日の見てた」
私はメニューで顔を隠した。
時間を勘違いしたことは知っていた。けれど、圭吾も準備してきたことは、今日初めて知った。
「笑うなよ」
「先に笑ったじゃん」
料理が届いた。
圭吾のチキンは、記憶より小さく見えた。圭吾自身もそう思ったらしく、皿を眺めてから言った。
「俺がでかくなった?」
「両方じゃない?」
「厳しいな」
圭吾はチキンを切り、私の皿に一切れ載せた。
私は代わりにハンバーグを渡した。
今日初めてデートする相手なら、勝手に人の皿に載せたりはしないだろう。私も、自分で食べる、と言える相手にしか、これを許さない。
「最近どうした?」
ハンバーグを半分ほど食べたところで、圭吾が聞いた。
「何が?」
「急にここ来たいって言うから。何かあった?」
私はナイフを置いた。
店内のざわめきが、少し遠くなった。
「……たまにはいいでしょ」
「まあ、いいけど」
「美穂の写真保存してたら、昔の出てきたの」
「ああ」
嘘ではなかった。
圭吾は頷き、ドリンクバーの方を見た。
「もう一杯飲む?」
「うん。今度はコーヒー」
彼が立つと、私は手のひらを膝に押しつけた。
聞かれたのに、言わなかった。
今朝、保存した物件をまた見た。だからここへ来た。そう言ったら、今食べている昼ご飯まで変わってしまう。
それが怖かった。
パフェは、昔よりずっと背が高かった。
クリームの上に、いちごが四つ載っている。
「一口ちょうだい」
圭吾が、デザートと一緒に来た二本目のスプーンを取った。
「自分で頼めば?」
「一個はいらない」
「私だって一口少なくなるんだけど」
「じゃ、見てる」
圭吾がスプーンを置いたので、私は笑ってしまった。
「いいよ。いちごはだめ」
「分かった」
彼はクリームのところをすくった。
大きすぎる、と言うと、半分を戻した。
その雑さが嫌な日もある。今日は、もう一度笑った。
食べ終わっても、すぐには席を立たなかった。
圭吾の仕事の話を聞いた。印刷を頼む側と、納期を決める側が別々で、どちらからも急かされているらしい。
「営業がどうにかするって言わないでほしい」
「うちでも聞く。事務でどうにかしてって」
「どうにかなる?」
「ならないから営業に戻す」
「怖い」
いつの間にか、食器が片づけられていた。
時計を見ると、二時間近く経っていた。
「帰る?」
「うん」
会計は共通の生活費から出した。
昔は圭吾が多めに払ってくれて、私は、次は私が、と言った。その次が何度も来て、今はどちらの財布から出したかも分からない。
駐車場に出ると、風が冷たかった。
圭吾が車の鍵を出しながら言った。
「結局、映画の続き見てないな」
「続編? 評判よくなかったから」
「琴葉がやめとこうって言ったんだっけ」
「たぶん」
「また映画行く? 今なら何やってるかな」
圭吾がスマホを取り出した。
「映画館も、あのときのとこ?」
「別の方がいい?」
「ううん」
断る理由はなかった。
いや、行きたい理由があった。
あと一回、一緒に出かけたい。
「水族館も行ったよな。あっちの方だし、そっちも久しぶりに行く?」
「同じ日だと慌ただしくない?」
「じゃ、来週、土曜に映画。日曜に水族館」
「洗濯は?」
「土曜の朝やる」
あっさり二日分の予定が決まった。
助手席に座り、シートベルトを引いた。圭吾は暖房をつけてから、自分のベルトを締めた。
「楽しかった?」
「うん」
ここで嘘をつく必要はなかった。
圭吾も、よかった、と言って車を出した。
来る前より、別れるのが難しくなっていた。




