第8話:死の迷宮
市場での騒動の後、真っ白な犬は当然のような顔をして、俺たちの後ろをとことことついてきた。
追い返そうとしても、赤い瞳でじっと見つめられると、どうにも調子が狂う。
「……仕方ないわね。おばあちゃんも、可愛いワンちゃんが家にいたら少しは気が紛れるかも」
セレナの言葉もあり、俺たちはこの犬を工房で飼うことに決めた。
痛みに耐えるばぁちゃんの手をそっと舐めて寄り添う白い犬に、俺はコハクという名前をつけた。
一時の癒やし。
だが、現実は待ってくれない。
俺たちはばぁちゃんの治療費を稼ぐため、ギルドの受付へと向かい、掲示板で見つけた高額報酬の討伐・探索クエストの札を提出した。
しかし、それを見た受付嬢は、信じられないものを見るような目で俺たちを睨みつけた。
「この依頼を受ける気? 本気で言ってるの?」
「ああ。Fランクだと、このダンジョンには入れないのか?」
俺が尋ねると、受付嬢は深くため息をつき、トントンと書類を指で叩いた。
「入れるか入れないかで言えば、入れるわよ。でも、情報として教えておくわ。ここはものすごい数の即死罠が設置されていて、過去に戻らなくなった冒険者は多数いるの。クエストランクもBランクと高くて、通常は熟練のパーティで臨むものよ」
受付嬢は真剣な声色になり、俺とセレナの顔を交互に見据えた。
「行くなら止めないけど、Fランクがクリアできるようなものじゃないわよ。命が惜しければ行かない事ね」
「……忠告、感謝する。だが、行くしかないんだ」
俺が札を引かないのを見て、受付嬢は呆れたように手続きを進めた。
夜闇に乗じて、俺たちは街外れのダンジョンへと向かった。
なぜかコハクも、俺の服の裾をくわえて絶対に離れようとせず、結局ついてくることになってしまった。
薄暗いダンジョンの入り口。俺は周囲を警戒しながら、土間に鉄の楔を力強く打ち込んだ。
カンッ、という音が響く。
「……よし、行くぞ」
セーブは完了した。
あとは俺が中に入り、泥臭く罠の配置を記憶して、危なくなったらここまで走って戻り、楔を引き抜けばいい。
俺たちはダンジョンの中へと進んだ。
目の前には不気味な静寂が広がる長い通路。
「レナとコハクはここで待っててくれ。俺がまず、罠の感知範囲を調べる」
俺が慎重に一歩を踏み出し、通路の床石を踏んだ、その瞬間だった。
カチッ。
嫌な音が鳴り響き、壁の無数の穴から毒矢が一斉に放たれた。
「しまっ……!」
「レイ!? 大丈夫!?」
入り口で待っていたセレナが悲鳴のような声を上げる。
肩を掠めた猛烈な毒が即座に全身を巡り、視界が急速に霞んでいく。息が詰まり、立っていられなくなる。
俺は朦朧とする意識の中で、入り口の地面に突き刺したばかりの楔に必死に手を伸ばし、それを引き抜いた。
◇
視界が白く染まり、目を開けると、再びダンジョンの入り口で楔を打ち込んだ直後の時間だった。
「っ……はぁ、はぁっ……!」
「レイ? どうしたの、急に息を切らして」
不思議そうな顔をするセレナをよそに、俺は冷や汗を拭った。
やはり、あの通路の最初の石畳は罠だ。
俺たちは奥へと進み、先ほどの石畳の前に到着した。
「レナは待っててくれ。ここは俺が……」
先ほど自分を殺した罠の石畳を避けようと、俺が一歩を踏み出そうとした時だった。
「ワンッ!」
コハクが俺の横をすり抜け、迷いなく通路へと歩き出したのだ。
「おい! 待て!」
俺が止める間もなく、コハクは先ほど俺が踏み抜いた罠の石畳に足を乗せ……ようとして、たまたま躓いたのか、ピョンと跳ねるようにしてその先へ着地した。
さらにその先でも、飛んできた矢を偶然しゃがみ込むようにして避けたり、でたらめなステップで進んでいく。
「あいつ、運が良すぎるだろ……」
俺は冷や汗をかきながら、コハクが偶然踏まなかった安全な足場だけを必死に追いかけ、どうにか毒矢のエリアを抜けることができた。
「よし、あともう少しで祭壇だ……!」
目的の夜光結晶まであと十数メートル。
油断したわけではない。
だが、俺が次の床石に足を乗せた瞬間、再び嫌な音が響いた。
カチッ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
「……っ!? 地鳴り!?」
通路の奥、祭壇のさらに上部の暗がりから、通路の幅を完全に埋め尽くすほどの巨大な岩が、凄まじい勢いでこちらに向かって転がり落ちてきた。
「二段構えの罠か! 走れ、レナ!」
結晶に触れることすら叶わない。
俺たちは今来た通路を、死に物狂いで引き返した。
背後からは迫り来る大岩の轟音。
とにかく入り口まで戻らなければ、押し潰されて肉塊になり、やり直すことすらできなくなる。
「ハァ、ハァ……っ、間に合え……!」
心臓が破裂しそうなほどの全力疾走。
大岩の風圧が背中を押し、すぐ後ろまで死が迫っているのが分かった。
ダンジョンの入り口が見えた瞬間、俺は滑り込むようにして地面の鉄の楔を掴み取り、大岩に飲み込まれる直前で力任せに引き抜いた。
◇
視界が光に包まれる。
次に目を開けた時、俺はみたび、ダンジョンの入り口でハンマーを構えていた。
「っ……はぁ、はぁ……!」
背中を冷たい汗が伝う。
毒矢の次は、大岩。
仕掛けられている罠の凶悪さに胃がキリキリと痛むが、俺の頭はすでに、次の周回で結晶の手前にある大岩の罠をどう回避するかを必死に考え始めていた。




