第75話 : 同じ制服の下で
入学式の朝も、工房の扉を開けるところから始まった。
通りには、まだ荷を運ぶ店の者くらいしかいない。コハクを中へ入れ、扉を閉じる。
昨日の試作を置いた作業台の奥へ回り、いつもの場所に鉄の楔を打った。
打ち込んだ頭を指で確かめ、道具を戻した。
今日は炉に火を入れず、そのまま寮へ帰った。
部屋へ入ると、レティスはもう制服に着替えていた。
長槍はいつもの場所に置いてある。
俺も掛けておいた制服へ袖を通し、留め具を上から順に閉じた。
昨日までは毎日着る服があるだけだったのに、今日これを着て出るとなると、肩のあたりが少し窮屈に感じる。
「忘れ物はない?」
「学生証は持った。お前は?」
レティスは胸元へ軽く触れて頷き、扉を開けた。コハクが先に廊下へ出ようとしたので呼び止め、ほかの生徒が通り過ぎるのを待ってから、俺たちも部屋を出た。
朝食を済ませて食堂の外へ出たところで、セレナが俺の前に回った。
「ちょっと、襟が折れてる」
「自分でできる」
「できてないから言ってるの」
手を上げるより早く、セレナの指が首元へ伸びた。
折れ込んだ布を引き出し、両側を見比べてから手を離す。
昔から服の乱れを見つけると放っておかないが、周りも制服姿ばかりの今日は、いつもより少し落ち着かなかった。
「これでいいわ」
隣でレティスがこちらを見ていた。
目が合うと、何も言わず、自分の襟元を確かめる。
その後ろで、リリアも袖口を直していた。
仕立屋で着た時より、ずっと自然に身体へ馴染んで見える。
「リリアも、似合ってるな」
指が袖の上で止まった。
リリアは俺を見上げ、少し遅れて、ありがとうございますと答える。
声は小さいが、俯いた口元が緩んだのは分かった。
「……私は?」
「お前も似合ってるよ」
セレナへ答えると、ついでみたいだと言われた。そんなつもりはなかったが、どう付け足せばいいか考えているうちに、レティスが小さく笑う。
「そろそろ行こうか」
助かったと思って歩き出すと、セレナにはそれも顔に出ていたらしい。
背中を軽く叩かれた。
学校の方へ向かう道は、これまでの朝よりずっと人が多かった。
寮から歩いてくる者だけでなく、校門の前へ馬車が止まり、制服姿の新入生が次々と降りてくる。
見送りの家族が袖を引いて何か言い添え、荷物を受け取った付き人が門の手前で頭を下げていた。
俺たちはその流れを避け、コハクを足元へ寄せて中へ入る。
見学の日には広いと感じた道が、今日は少し狭く見えた。
腰の立派な帯まで揃えた者もいれば、制服の下から使い古した靴が覗く者もいる。
途中で聞こえる話には、家の店を任される日や、冒険者として受けた依頼、所属するファミリアの名前が混じっていた。
ここへ来るまで、同じように試験へ向けて勉強していたはずなのに、暮らしてきた場所はまるで違う。
リリアが俺の隣で、人の多さに小さく息をついた。
「皆さん、同じ新入生なのですね」
「ああ。名前、覚えきれそうにないな」
誰かが笑う声に、別の誰かが振り返る。
既に知り合いらしい集まりもあれば、案内の紙を一人で見直している者もいた。
俺たち四人がここで話せているのも、試験前から一緒だったことと、同じ部屋になった縁があるからだ。
会場へ続く建物の入口では、職員が新入生の案内をしていた。
「そちらの扉から。中の者に学生証を見せてください」
俺たちは指された方へ進んだ。
案内に不満はない。
だが、そのすぐ横に馬車から来た一団が着くと、別の職員が歩み寄って、名を呼んで迎えた。
挨拶を交わし、付き添いの者へも丁寧に会釈する。入る場所を指すだけでなく、自分が先に立って扉まで案内していった。
周囲の生徒が、名前を聞いて少しずつ道を空ける。
同じ制服を着ていても、俺たちがまだ知らない目印があるらしい。
セレナも気づいていたが、立ち止まらなかった。俺は訓練場で拾われなかった荷物と、あの職員の声を思い出し、学生証を取り出す手へ目を落とした。
今日は何か起きたわけではない。
それでも、誰が来たかで案内の仕方が変わるのは、見ようとしなくても分かった。
扉のところでコハクの許可札も確かめてもらった。通路に近い席で、足元から出さずに待たせるよう言われる。
空いている列を示され、四人でそちらへ向かった。
会場には、椅子が何列も並んでいた。
高い窓から差す光が制服の肩を照らし、その向こうで人の頭が一斉に動く。
前方には式のための場所が整えられ、壁際には学校の者たちが立っていた。
これだけの新入生が一度に座ると、靴音も話し声も大きな建物の中で重なり合う。
席へ入る前に、少し離れた列の男と目が合った。
レオルド・ヴァレンベルクだった。
取り巻きの二人と並び、職員の説明を聞いている。こちらに気づいたまま、口元だけを薄く動かした。
覚えているぞ、と言われたようで、俺もすぐには目を逸らせなかった。
あいつも、今日から同じ学校の生徒になる。
前へ進んだレティスが椅子の横で止まり、俺を待っていた。
何も言わないが、レオルドを見たことは分かる。俺はその隣へ入り、通路側の席に座った。
コハクを椅子の下へ落ち着かせ、膝の上で学生証を仕舞おうとした時、壁際からの視線に気づいた。
教師たちの一人が、柱のそばに立っていた。
周りは新入生の顔と名簿を見比べているのに、その人は片方の肩を柱へ預け、手元の紙を下げたままこちらを見ている。
姿勢だけなら、式が始まるのを少し持て余しているようにも見えた。
だが、目が合う直前、その視線は俺の膝のあたりにあった。
学生証を持った手を見下ろす。硬くなった指の付け根と、消えきらない小さな火傷の跡。
朝に手は洗ったが、制服の袖から出たところだけは、工房にいた時と何も変わらない。
何か付いていたかと思って掌を返すと、その人の目もわずかに動いた。
俺が顔を上げる。
柱のそばの教師は、こちらを一度見てから、前方へ目を戻した。声はかけてこない。
なんだ、あの人。
リリアがコハクの足に椅子を当てていないか確かめていたので、俺も身を屈めた。コハクはもう伏せていて、俺が覗くと鼻先だけをこちらへ向けた。
その時、前の列で来賓の話が聞こえた。
今日来ている家はどこか、誰が誰の代理なのか。俺にはほとんど分からない名前が、挨拶を交わす時の注意と一緒に挙げられている。
隣のレティスが、ふと顔を上げた。
会場の後ろを見たあと、すぐに身体の向きを戻す。
俺が視線の先を追っても、入口から入ってくる人と、席を示す職員がいるだけだった。
「どうした?」
「何でもない」
返事をしたレティスは、制服の袖口を整えた。指が一度布を強く掴んでから離れる。
もう一度聞こうとしたところで、前方へ進んだ職員が、着席を求めた。
話し声が少しずつ消え、最後に椅子を引く音が残った。
式が始まった。
代表として前へ立った人は、新入生を迎える言葉のあと、この学校で何を学ぶのかを話した。
「ここで問われるのは、出自ではなく、皆さん自身の力と成果です」
声は会場の後ろまでよく通った。
持っている力を知り、足りないものを学ぶこと。互いに競い、協力し、外へ出た時に役立つものを身につけること。
努力する者には道が開かれ、さらに高みを目指すための機会があるという。
俺は前の列を見た。どの背中にも同じ制服があり、その少し向こうにレオルドの横顔がある。
あの言葉どおりなら、あいつも俺も、ここで見せるものを問われるはずだ。
そうであってほしいと思った。
入口で見た違いも、訓練場で聞いた言葉も、なくなったわけではない。
それでも、これから教わることまで全部疑っていたら、ここへ来た意味がなくなる。
話は、学校の外で担う役割へ移っていった。
ファミリアの一員として上を目指す者にも、自分の仕事を深める者にも、ここで学ぶことが土台になる。
俺は《アステル》のプレートの感触を思い出し、膝の上で指を揃えた。
セレナは顔を上げたまま聞いていた。
リリアも、いつの間にか袖口から手を離している。
レティスの表情は落ち着いていたが、来た時よりも前を見る目が強くなっていた。
式辞と挨拶が続き、拍手が会場に広がった。
その音の中で、ようやく実感が湧いてきた。
合格通知を受け取った日から、ここへ来るために揃えた服も、運んだ荷物も、今日の席まで繋がっていたのだ。
最後に、新入生へ翌日からの予定が伝えられた。
身体の動かし方と、武器や魔法の扱いを、順に見てもらう。詳しい場所と時刻は、配られる案内と掲示を確認するように言われた。
説明がそこへ入った途端、隣の二人の様子が変わった。
セレナが少し身を乗り出し、レティスも紙を受け取る前から案内係を目で追っている。
昨日まで剣と槍の話をしていた二人には、式辞よりこちらの方が気になるらしい。
「どこまで動けるのかしら」
「使う場所にもよるだろうね」
声を落として言い合う二人へ、俺も小声で返した。
「もう試合する気かよ」
セレナに、まだ何も言ってないと見られた。
レティスも笑ったが、渡された紙を開くのは誰より早かった。
リリアは両手で案内を受け取り、魔法について書かれたところへ目を落とした。
「私も、見ていただくのですね」
「入学試験でも見てもらっただろ」
「はい。ただ、学校の先生には……」
そこで言葉を止め、もう一度紙を読んだ。
セレナがその横から覗き、場所を確かめる。
俺も、自分の道具を使う場合の注意を探した。
短剣を振るだけなら、俺より上手い奴はいくらでもいるだろう。
罠を用意できる時間があるか、持ち込めるものは何か。
それで見せられる動きも変わる。
紙に書かれた範囲だけでは分からず、明日説明を聞いてから確かめようと思った。
列ごとに退場が始まり、俺たちも席を立った。
入口へ向かう途中、壁に掲げられた訓練施設の案内図が目に入った。広い場所と、仕切られた場所がある。
床の種類が違えば、杭の使い方も同じにはできない。
足を緩めて図を見ると、セレナに袖を引かれた。
「レイ、後ろが詰まるわ」
「ああ、悪い」
通路の外へ寄りかけた時、柱のそばにいた教師が、少し離れた壁際にいるのを見つけた。
俺の顔ではなく、今見ていた図へ目を向け、それから俺を見る。
見学の時にいたかは覚えていない。
明日、あの人にも何か教わるのだろうか。
尋ねるには人の流れが多すぎて、俺は会釈だけして出口へ向かった。
扉の外は、来た時よりも暖かかった。
制服姿の新入生が紙を広げ、明日の場所を友人と確かめている。
見送りの者と合流して笑う声もあった。大勢に紛れても、今は自分がどこへ向かうのか分かる。
リリアが案内を畳み、胸元へ抱えた。
「今日、ここに来られてよかったです」
「まだ式が終わったところだぞ」
「はい。ですから、明日も頑張りたいです」
その返事に、セレナが笑った。
レティスも、まず場所を確かめておこうかと歩き出す。
俺は紙を見返し、コハクが足元へ戻ったのを確かめてから、三人を追った。
この学校には、レオルドもいる。俺の名前を先に知っている奴も、手に残った傷を見る人もいる。
明日、自分が何を見せられるかは、まだ分からない。席に座って話を聞いていた今日とは違って、自分から動くことになる。
案内の紙を仕舞い、前を歩く三人へ声をかけた。
「先に、明日の場所を確かめるか」
セレナが足を止め、案内に書かれた道順を指で辿った。
四人で同じ場所を確かめる間、コハクは隣に座り、俺たちがまた歩き出すのを待っている。
明日から、ここで俺たちの力を見られる。




