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時の楔 ~死ねない底辺鍛冶師、セーブ&ロードで運命を覆す~  作者: あくす


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第74話 : 槍と間合い

図書館で控えた仕掛けは、その日の午後、工房でさっそく俺を悩ませた。


図では簡単そうに見えた留め具が、実際に作ると狙った力では外れない。


少し削れば今度は指で押しただけで外れる。

作業台へ並べた二つを眺め、紙に描かれた線だけでは分からないことが多いと、改めて思った。


それからの数日、俺たちの暮らしには少しずつ決まった形ができていった。


朝はコハクを連れて工房へ行き、誰もいないことを確かめて鉄の楔を打つ。


寮へ戻る頃にはレティスも身支度を終えていて、食堂でセレナとリリアに合流する。


朝食のあとは図書館へ向かう日もあれば、王都の店を見て回る日もあった。


夜も、眠る前には一人で工房へ足を運んだ。

朝と夜に時間を保存する習慣は、暮らす場所が変わっても同じだ。


鉄の楔で戻れるのは約十時間。

新しく打てば前の保存は失われる。


扉を閉め、いつもの手順を終えてから、二人と一匹で暮らす部屋へ戻った。


食堂までの道で迷わなくなり、図書館ではそれぞれが先に見たい棚を選ぶようになった。


レティスも、俺たちと昼飯を食べるのが当たり前になっていた。


入学式まであと三日となった午後、そのレティスが、長槍を抱えて工房へやってきた。


「前に言っていた道具、借りてもいいかな」


「槍の手入れか。ああ、入れよ」


扉を開けたまま、作業台の紙と金具を端へ寄せた。


炉には火を入れていないが、二人が立つともう狭い。

コハクは俺たちの足元を一度見比べ、入口の外に伏せた。


レティスは穂先を覆っていた布を取り、槍を台へ斜めに渡した。

はみ出した柄を俺が支え、根元の溝へ細い道具を差し込む。

油に混じった古い汚れが少しずつ浮いた。


「こういうところが、布だけだと残るんだ」


「なるほど。無理に擦らなくていいんだね」


道具を渡すと、レティスはすぐに力加減を掴んだ。

槍を扱う時とは違う細かな動きだが、急いで済ませようとはしない。

きれいになった溝を光へ向け、まだ汚れが残っていないか確かめている。


俺は、その横で穂先と柄の継ぎ目を見た。


刃の作りも、柄の収まりもいい。

無駄に厚くして重さで誤魔化したものではなく、力のかかるところに必要な厚みがある。

使い込まれてはいるが、放っておかれた傷みはなかった。


ただ、握る場所に残った擦れが気になった。


「いつも、ここを持つのか?」


俺が柄を示すと、レティスは頷いた。


「普段はね。近くなれば、もう少し前」


重心を指で確かめ、両手を置く幅と見比べた。

この前、木剣を止めた動きは無駄がなかった。


だがそのあと槍を引いた時、肩がわずかに動いたのを覚えている。


「構え、見せてもらってもいいか」


「ここで?」


「振らなくていい。立ち方だけ」


扉を大きく開き、長い柄が外へ逃げるようにした。


穂先には布を戻す。


通りを人が歩いていないことも確かめてから、レティスに入口へ立ってもらった。


槍を手にした途端、立ち姿が変わった。


肩の力が抜け、両足が無理のない位置へ収まる。


俺が見たいと言っただけなのに、どこから相手が来ても動けそうな構えになった。

やはり、ただ武器を持っているだけの男ではない。


その腕へ目を近づけると、レティスがこちらを見た。


「何か、おかしい?」


「少しだけ、肘を上げてみろ」


服の上から肘へ手を添え、上げる位置を示した。レティスの腕が一瞬固くなったので、俺も手を止める。


「痛むのか?」


「いや。……近くないか?」


「見ないと分からないだろ」


レティスは何か言いかけたが、結局、槍へ目を戻した。

俺は肩から手首までを見て、後ろの手をほんの少し前へ動かしてもらう。


「これで、引いて戻してみてくれ。ゆっくりでいい」


柄が手の中を滑り、止まった。


さっきより肩の動きは小さい。レティス自身も気づいたらしく、同じ動きをもう一度繰り返したあと、握る位置を見下ろした。


「戻すのは楽だね。でも、押し込む時は少し違う」


「だろうな。今度は前の重さが気になるはずだ」


長く使ってきた握り方には、その槍なりの理由がある。手の位置だけ変えれば全部がよくなるほど、単純ではない。


俺が見たかったのも、正しい構えを教えることではなく、どこに身体の負担が出ているかだった。


肩の幅と両腕の届く範囲を確かめようと、横へ回った。レティスは俺が袖に触れる前に、少し身を引いた。


「服は、そのままで分かる?」


「今日は大体でいい。作るなら、ちゃんと測るけどな」


「……そうか」


妙なところで慎重な奴だと思ったが、人に身体を触られるのが苦手なのかもしれない。

俺はそれ以上手を伸ばさず、腕を出してもらって長さを見た。


「足を半歩戻してくれ」


レティスがゆっくり踏み直した時、踵が入口に立てかけていた薄い板へ触れた。


俺が材料を片づける時に寄せ、そのままにしていた板だ。

倒れた角を踏まないよう足をずらしたレティスが、長い柄を扉へ当てないよう身体も捻る。支えにする足の位置が、わずかにずれた。


反射的に腕を掴み、もう片方の手を肩の後ろへ回した。


「危ないだろ」


支えた身体はすぐに止まった。槍も落としていない。だが、レティスは俺の腕の中で妙に動かなくなった。


顔がすぐ近くにある。

短い金髪の下で、目がこちらを見上げていた。

こんな時でも整った顔だなと思ってから、俺はようやく板を見た。


「悪い。俺が置いたんだった」


手を離して板を拾う間に、レティスは一歩外へ出た。槍を持ち直し、空いた手で襟元を直している。


「どこか捻ったか?」


「平気だよ」


返事は早かった。

そのわりにこちらを見ないので、顔を覗くと、頬が少し赤い。


「暑いのか? 炉は使ってないけど」


「……君は本当に、そういうところだな」


何のことか尋ねる前に、入口から声がした。


「レイ、何してるの?」


セレナと、その後ろにリリアが立っていた。

学校で用事を済ませたあと、ここへ寄ると朝に言っていた二人だ。

セレナの目が、俺とレティスの間を行き来する。


「槍を見てる」


「今、槍よりレティスに近かったけど」


「構えも見てたんだよ」


拾った板を棚の下へ収め、俺は扉の横へ避けた。セレナは中を覗いたものの、狭さを見て入口に残った。リリアもその隣から、布を被せた穂先へ目を向ける。


「手入れは、もう終わったのですか?」


「あと油を拭けば終わる。いい槍だぞ、これ」


レティスが台へ槍を戻したので、俺は布を取り、柄の擦れた部分へもう一度指を置いた。


「ただ、お前が槍に合わせて動いてるところがある」


レティスが顔を上げた。

セレナも、今度は槍を見る。


「使えてはいるんだろうけど、戻す時に肩で距離を稼いでる。今のまま重さだけ落としても、押した時の感じが変わるだろうしな」


「なら、どうする?」


「武器をお前に合わせた方がいい」


柄を切れば済むとも、穂先を薄くすれば済むとも思わなかった。

間合いを保つ長さは欲しい。

だが、引き戻すたびに余分な動きが要るなら、長さと重さの置き方を一緒に考える必要がある。


その話をすると、レティスはしばらく黙って手元を見ていた。

やがて指で握る幅を確かめ、俺へ目を戻す。


「そういう見方をされたのは、初めてだ」


「俺には槍術の教え方は分からないからな」


「うん。だから、面白い」


頬の赤みはまだ少し残っていたが、その目はさっきとは違っていた。

俺が作業台から紙を引き寄せると、自分から隣へ来て、どこを気にしているのか尋ねる。


思いついたことを描き留めた。まだ形にできる案ではないし、本人が必要とする動きももっと見たい。


今回は手入れだけにして、いつか作るなら相談しようと伝えた。


「私の剣を見る時より、長くない?」


セレナの声に顔を上げる。


「お前の剣は、何度も見てるだろ」


「そうだけど」


リリアが小さく、レナさん、と呼んだ。セレナは口を閉じ、今度はレティスへ向き直る。


「槍って、近くまで入られたら大変でしょう?」


「入らせないために、長さがあるからね」


「でも、入れることもあるわ」


「もちろん。だから、その先も練習する」


二人とも穏やかに答えているのに、話が少しずつ具体的になっていく。


横へ避けた時はどうする、柄を押さえられたらどうする。

俺が紙へ戻ろうとすると、セレナが剣の柄へ手を添えた。


「ここで試すなよ」


「試さないわよ」


「僕も、そのつもりはない」


二人が同時に答えた。入口で伏せていたコハクが顔を上げ、すぐにまた顎を前足へ戻す。

リリアはその頭を撫でながら、困ったように笑っていた。


手入れを終えて外へ出ると、近くの材料店の店主が、荷を運び込んでいた。俺の持つ工房の鍵を見て、学生かと声をかけてくる。


学生証を見せると、鉄だけでなく鋼材も少し安く売れると教えてくれた。

細い棒材と薄い板を示されたが、まずは棚へ残した材料を使ってからだ。


「鋼か」


さっき描いた槍の案を思い出しながら、品物を見る。

必要になるなら、量と値段を確かめに来よう。

今日は店の場所だけ覚え、三人のあとを追った。


その夜、いつもどおり工房で鉄の楔を打ってから部屋へ戻ると、レティスは窓際の寝台へ腰を下ろしていた。

槍は布を巻き直され、邪魔にならない場所に置いてある。


俺も上着を脱いで寝台へ座ったところで、名前を呼ばれた。


「君は、誰にでもあんなふうに近づくのか?」


「あんなふうって?」


「……工房で」


構えを見た時のことだろうか。

考えてから、武器を見るなら近づくだろうと答えた。

相手が動けば服もずれるし、離れたままでは細かいところが見えない。


レティスは俺を見たまま、少しだけ口を開いた。それから諦めたように息をつき、布団を引き上げる。


「もういい。寝よう」


「触られるのが嫌なら、次は先に言ってくれ」


「……嫌だとは、言ってない」


返事のあと、布団が肩まで上がった。

話の終わりどころが分からなかったが、明かりを落とすことにした。

コハクが寝台の下の敷物へ丸まり、部屋が静かになる。


翌日からも、朝食の席には四人が揃った。


留め具はまだ調整が続き、リリアは図書館で借りずに読める本の頁を控えた。

セレナとレティスの武器の話も時々続いたが、食卓で構えを見せようとして、今度はリリアに止められた。


通い始めた道の角で春の花が開き、食堂の席が新しく来た生徒で埋まっていく。

朝晩の工房通いも続けているうちに、掲示に書かれた入学式の日は、いつの間にか明日になっていた。


その夕食の席で、リリアは集合時刻をもう一度確認した。

セレナは分かっていると答えながら、自分の制服の襟に汚れがないか気にしている。

レティスも、明日は少し早く出ようと俺へ言った。


「遅れないようにしないとな」


俺が答えると、リリアが頷いた。


試験の日とは違う緊張が、四人の席にあった。

それでも食事が終わるまでには、朝食を急いで喉へ詰まらせるなという話になり、セレナに俺の顔を見られた。


夜の工房から戻り、制服を寝台の脇へ掛けた。道具を出したあとの古い布袋を畳むと、ばぁちゃんが繕ったところが手に触れる。


明日は、これを見せた時に話した学校へ入る。


袋を引き出しへ収め、窓際を見ると、レティスも支度を終えたところだった。


明日はよろしく、と言われ、俺も同じ言葉を返した。コハクが制服の裾へ鼻を寄せたので、毛がつく前に少し上へ掛け直す。


明かりを落としても、今夜はすぐには眠れそうになかった。


廊下の向こうで誰かが明日の時間を確かめている。聞き覚えのない足音も、遠くで閉まる扉の音も、もう来たばかりの日ほど気にならない。


明日から、王立学校で学ぶ日々が始まる。


寝返りを打つ前に、掛けてある制服へもう一度目を向けた。

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