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時の楔 ~死ねない底辺鍛冶師、セーブ&ロードで運命を覆す~  作者: あくす


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第71話:同じ部屋の夜

借りた工房の鍵は、手の中に収まるほど小さかった。


扉を閉めて二度確かめ、俺は鍵を上着の内側へしまった。

通りの工房から聞こえていた槌の音も、いつの間にかまばらになっている。

王都の空はまだ明るかったが、建物の間には夕方の冷たい影が溜まり始めていた。


学校まで戻る道で、リリアが日用品の入った包みを抱え直した。

セレナと二人で使う水差しと、洗濯物をまとめる袋を買ったという。


俺の分も尋ねてくれたが、水差しは部屋にあった。

まずは持ってきた物を広げ、足りない物を確かめることにした。


「明日は校内を見て回りましょう」


セレナが門の向こうへ目を向ける。

昼間に通った校舎には、もう灯りのついた窓があった。

あれだけ広ければ、自分の使う場所を覚えるだけでも時間がかかりそうだ。


「朝飯のあとでいいか?」


「ええ。食堂で待ってるわ」


「私も、ご一緒いたします」


食堂へ入る前にコハクの足を拭いた。

歩き回ったせいで白い毛の先が少し灰色になっている。


リリアが布を持ち、俺が前足を上げる間、コハクは大人しく待っていた。

使い魔の許可をもらったからには、こういうことも気をつけなければならない。


レティスは奥の席にいた。

こちらへ気づくと、小さく手を上げる。

四人で席へ着き、運んできた夕食を並べた。

コハクには食事を済ませてから部屋で餌をやるつもりで、今は部屋から持ってきた敷物の上に伏せてもらう。


「工房は見つかった?」


「借りてきた」


レティスの手が、匙を取る途中で止まった。


「今日のうちに?」


「ちょうどいい所があったんだ」


「見つけた時の顔を見せたかったわ」


セレナがパンをちぎりながら言った。

俺が何か返す前に、リリアまで頷く。


「道具を置く場所を、すぐに決めていらっしゃいました」


そんなに分かりやすかったのか。

炉の具合や金床の高さを確かめていたつもりだったが、二人には別のように見えていたらしい。

レティスは面白そうに俺を見てから、工房までの道を尋ねた。


鍛冶を続けたいから、なるべく早く作業場を持っておきたかった。

そう説明すると、それ以上の理由は聞かれなかった。

学生証を使えば少し安くなること、小さくても一人で道具を広げられることを話すと、レティスは自分のことのように頷いた。


食堂には俺たちと同じような新入生が増えていた。

隣の卓では寮の棚が狭いという話をしていて、別の卓では案内図を皿の間に広げている。

知らない顔ばかりだが、皆、今日初めて使う部屋へ帰るのだと思うと、少し落ち着いた。


リリアも、夕食を残さず食べた。

食器を返す時には自分からセレナの皿を受け取り、二人で返却口へ向かっていく。

俺がいつもそこにいなくても、隣にセレナがいる。

二人が同室になれてよかったと、改めて思った。


食堂を出たところで女子寮への道が分かれた。


「レイ、明日の約束、忘れないでね」


「朝飯のあとだろ」


「レイン様、おやすみなさいませ」


「ああ。おやすみ」


リリアはコハクへも手を振った。

コハクが二人の方へ数歩ついていき、俺の声で戻ってくる。

セレナの姿が建物の角へ消えるまで見送ってから、俺たちも男子寮へ向かった。


廊下は昼間より騒がしかった。

部屋を行き来する足音と、荷物の置き場所を相談する声が重なる。

俺たちの部屋の扉を開けると、窓の下の床だけに夕暮れの光が残っていた。


棚には俺の道具があり、その隣にはレティスの長槍が留めてある。

たった半日でも、朝ここへ来た時とは違う部屋に見えた。


コハクに餌をやっている間、レティスは水差しから小皿へ水を注いでくれた。

床へ置く前に俺の顔を見るので、寝台の脚の内側を指で示す。

通り道へはみ出さない場所に皿が収まり、コハクが鼻先を寄せた。


「この子の水は、ここでいいんだね」


「助かる。倒したら俺が拭く」


「僕が倒した時は、僕に拭かせてほしいな」


もっともな返事だった。

俺は笑って頷き、餌の袋を棚の下へ戻した。


レティスは小さな机へ布を敷き、槍を壁の金具から外した。

昼間は布に隠れていた穂先が、灯りの下へ出てくる。

刃は細く、根元へ向かうにつれて厚みがあった。研ぎ目は揃っていて、よく使う武器らしい細かな傷が残っている。


俺が見ていることに気づき、レティスは槍を机の上で少し回した。


「気になる?」


「よく手入れしてるな」


「使ったあとに確かめる。放っておくと、次に持った時に困るから」


刃だけでなく、柄の継ぎ目や握る部分へも目を向けている。

武器を大切にしているのが分かった。


許しをもらって近くから見ると、穂先の根元には手入れの布が入りにくい溝があった。

俺がそこを指で示すと、レティスは顔を寄せ、細く畳んだ布を通してみせる。


「ここを磨くのに時間がかかるんだ」


「細い道具があると楽になる。工房に持ってきたやつなら使えると思う」


「今度、見せてもらってもいい?」


「ああ。作業できるように片づけてからな」


返事をすると、レティスは嬉しそうに穂先を拭いた。

昼間より表情が動いている。

綺麗な顔をしているせいで、槍を持つ姿も妙に整って見えたが、指先には握り込んでできた硬いところがあった。


「学校へ来たのも、槍を学ぶためか?」


「うん。知らない相手と戦いたい」


答えが早かった。

レティスはそれに気づいたように、一度手を止める。


「同じ相手ばかりだと、動きを覚えてしまうから。初めて見る武器や戦い方に、どこまで対応できるか試したいんだ」


「俺みたいなのでも?」


「君みたいなのこそ」


少し身を乗り出され、俺は思わず笑った。

昼間は当たり障りのない話をしていた男が、戦いの話になるとこちらの返事を待ちきれないような顔をする。


俺は短剣だけで正面から渡り合うのが難しいこと、足場を見て誘い込み、作った道具を使うことを話した。


罠といっても置けば必ずかかるものではない。見つかれば役に立たず、自分や仲間の邪魔になることもある。

レティスは途中で口を挟まず聞き、最後に槍の柄へ視線を落とした。


「足元まで見ないといけないんだね」


「気づいたら踏んでた、くらいが理想だ」


「それは、一度やってみたい」


「部屋ではやらないぞ」


レティスが声を抑えて笑った。

俺も、自分の作った物についてこんなふうに尋ねられるのは嫌ではなかった。

今すぐ勝負をする約束はせず、使える訓練場所を確かめてからにしようと話した。


槍を拭き終えると、レティスは布を畳み、机の木目に沿って残った油を拭き取った。


「ここなら、自分で選んで学べると思ったんだ」


「何を?」


「どう強くなるか。誰の言うことを聞くかも」


静かな声だったが、それまでより言葉がはっきりしていた。

レティスは机の端を見たまま、指についた油を布で拭う。


「名前や立場だけで、正しいことにされるのは嫌だから」


昼間、窓口の前で細くなった目を思い出した。

あの時も、言いたいことはあったのだろう。

何があったのか尋ねるほど、俺たちはまだ互いを知らない。


俺が黙っていると、レティスは顔を上げた。


「レインは? 鍛冶を学びたいんだよね」


「自分で作れない物を、作れるようになりたい」


それから、道具を作った俺自身が、使う時に仲間へ守られてばかりでは困る。

セレナとリリアが新しいことを覚えるなら、俺も同じところに留まってはいられなかった。


そこまで話すと、レティスは頷いた。

詳しい事情を確かめることも、強くなれると言い切ることもしない。

ただ、工房を借りた理由はよく分かったと言った。


コハクが二人の間へ入ってきた。

空になった皿から戻ってきたらしく、俺の膝へ鼻先を押しつける。頭を撫でていると、今度はレティスの足元へ座った。


レティスは片づけを終えた手で顎の下へ触れ、コハクが目を細めるのを見て口元を緩めた。


俺は棚から金槌と、布に包んだ鉄の楔を取り出した。

楔は袋の奥へ収め、手袋と一緒に持つ。

時を保存するところまで、同室者に見せるわけにはいかない。


「工房へ行ってくる。道具を少し置きたい」


「これから?」


「明日の朝にも使えるようにしておく」


寮へ戻る時刻は決まりに間に合うよう確かめた。レティスは窓の外を見てから頷き、机は空けておくと言ってくれた。


廊下へ出ると、湯場へ向かう生徒たちと行き合った。部屋へ声をかける男がいたので、俺も振り返る。


「レティス、今なら一緒に行けるみたいだぞ」


「僕はもう少しあとにするよ」


畳んだ布を棚へ戻しながら、レティスが答えた。大勢と一緒に入るのが苦手なのかもしれない。

俺も工房から戻ってからにするつもりだったので、それ以上は勧めず扉を閉めた。


◇


外の通りには店先の灯りが残っていた。

昼間に覚えた角を曲がり、コハクと並んで歩く。故郷では家の隣へ出れば工房だった。

これからは朝晩、この道を往復する。

雨の日も、授業で疲れた日も、歩ける距離に借りられたのはありがたかった。


工房へ入り、錠を掛けた。

炉には火を入れず、持ってきた道具を棚へ収める。

小さな灯りで見回すと、昼間より部屋が狭く感じられたが、作業台に手を置いた時の安心は変わらなかった。


俺は台の脚元へ屈み、鉄の楔を当てた。


槌を振ると、乾いた音が小さな工房に響いた。

いつもの感覚が手の奥へ伝わり、この夜の時間が保存される。

朝、故郷に残した楔の期限はもう過ぎている。今、戻れる地点はここに移った。


普通の鉄なら、約十時間。明日の朝にはまた打ち直す。

それで救えるものがあるなら使うし、鍛冶のために時間を重ねることもあるだろう。

だが、この一本があるからといって、何もかも大丈夫になるわけではなかった。


楔から手を離すと、コハクが俺の手首へ鼻を寄せた。首の後ろを撫で、明日はここへ道具を持ってくるぞと声をかける。

コハクは扉の方へ向き直り、俺が灯りを消すまで待っていた。


◇


寮へ戻ると、レティスは寝台の上に座って案内の紙を読んでいた。

外套は棚へ掛けられ、ゆったりした寝間着に着替えている。

机の上には灯りが一つだけ残してあった。


「おかえり」


「ただいま。灯り、助かった」


返事をしてから、その言葉が自然に出たことに少し驚いた。

まだ自分の寝台の位置にも慣れていないのに、扉の向こうで待つ相手がいる。

昼間、この部屋へ入る時に感じた居心地の悪さは、もう薄れていた。


湯を使って戻り、濡れた布を干す場所を相談した。

コハクの水を替え、明朝は早めに工房へ行くことも伝えておく。

レティスは足音くらい気にしないと言ったが、俺はなるべく静かに出ようと思った。


灯りを消す前、窓側から声がした。


「明日、僕も朝食に一緒に行っていい?」


「もちろん。セレナたちにも会える」


「じゃあ、また明日」


「おやすみ」


コハクが敷物の上で丸くなる。

俺も寝台へ入り、慣れない天井を見上げた。

廊下を歩く足音が遠ざかると、隣で紙を畳む音が聞こえ、それきり部屋は静かになった。


明日は工房へ行き、朝飯を食べ、学校の中を歩く。今日、初めて会った同室者とも一緒に。


上着の中の鍵の位置を確かめてから、俺は目を閉じた。

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