↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時の楔 ~死ねない底辺鍛冶師、セーブ&ロードで運命を覆す~  作者: あくす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/80

第68話:帰る場所

ばぁちゃんの葬儀は、静かに終わった。


工房へ武器を頼みに来ていた冒険者や、近所の住人たちが別れを告げに来た。


俺の知らないばぁちゃんの話をする者も多く、若い頃にどれだけ気が強かったか、困っている者へ黙って食事を分けていたこと、俺が幼い頃には会うたび孫の話ばかりしていたことを聞かされた。


そのどれもが、俺の知っているばぁちゃんらしかった。


最後に棺へ花を置いた時も、眠っているようにしか見えなかった。

名前を呼べば、いつまで寝かせる気だいと目を開けるような気がした。


けれど、ばぁちゃんが起きることはなかった。


俺は最後まで泣かなかった。


泣けば、本当に終わってしまうと思っていたのかもしれない。


葬儀を終えて家へ戻ると、そこからが一番つらかった。


葬儀の間は、するべきことがあった。


訪れた人へ頭を下げ、医者や葬儀を手伝ってくれた人へ礼を言い、聞かれたことへ答える。

次に何をすればいいかを誰かが教えてくれた。


だが、家へ戻れば、もう誰も教えてくれない。


玄関にはばぁちゃんの履き物が残り、壁には普段使っていた上着が掛かっていた。


片づけなければならないと思ったが、どちらにも手を触れられなかった。

動かせば、この家からばぁちゃんの痕跡が一つ消えてしまう気がした。


朝になっても、台所から食器の音が聞こえない。工房で槌を振るっても、昼飯だと呼ぶ声がしない。夕方になれば、ばぁちゃんが買い物から帰ってくるような気がして、何度も玄関へ目を向けた。


食卓には、ばぁちゃんが使っていた椅子だけが残っていた。


リリアが夕食の皿を並べる時、四枚目を手に取って動きを止めた。


「申し訳ありません」


「謝ることじゃない」


リリアは皿を棚へ戻したが、そのあとしばらく、こちらを振り返らなかった。


「お食事は、少しでも召し上がってください」


「分かってる」


「お婆様もきっとそう仰います」


リリアはそこまで言って、唇を噛んだ。


「そうだな」


椅子へ座り、冷めかけた料理を口へ運ぶ。


味は分かったが、美味しいとは思えなかった。


それでも食べた。


残せば、ばぁちゃんに叱られる気がした。


セレナも以前のように無理に明るく振る舞うことはしなかった。


朝になると自分の家から来て、何も言わず水を汲み、洗濯物を畳み、ばぁちゃんが残した仕事を一つずつ片づける。


日が暮れる前には父親の待つ家へ帰っていったが、翌朝にはまた顔を出した。


ある日の夕方、帰り支度を終えたセレナが、食卓の前で足を止めた。

俺は夕食に手をつける気になれず、ばぁちゃんの椅子を見たまま座っていた。


「今日も、あまり食べてないでしょう」


「あとで食べる」


セレナは向かいへ座った。

すぐには言葉が出なかった。

ばぁちゃんの椅子だけが、俺たちの間に大きな穴を開けているように見えた。


「私たちの前で、無理に平気な顔をしなくていいからね」


「してない」


「してるわ」


短く言い切られた。


「泣いても、怒ってもいい。レイが何も言いたくないなら、それでもいい。でも、一人でいなくならないで」


あの朝、俺が何度二人を残して工房へ走ったのか、セレナは知らない。


それでも、胸の奥を見透かされたような気がした。


「分かった」


それだけ答えると、セレナは小さく頷いた。


コハクは、ばぁちゃんの部屋の前で過ごすことが増えた。


扉は開いたままなのに中へは入らず、廊下へ身体を伏せて部屋を見ている。

声をかければ俺のところへ来るが、しばらくするとまた同じ場所へ戻っていた。


俺は工房へ入った。


作業台には、あの朝に打った楔が残っていた。

当然、もう時間を保存する力は失われている。


あの日、俺が引き抜かなかった楔だ。


柄を握り、ゆっくり引き抜く。


時間は戻らなかった。


何も起きないことを知っていた。

それでも、手の中の楔を見つめながら、ばぁちゃんの声を思い出した。


あんたには、これからの時間がある。


俺は楔を捨てず、作業台の引き出しへ入れた。


これから先も時の楔は使う。

ばぁちゃんの言葉は、力を捨てろという意味ではない。使えば救える命も、変えられる未来もある。


ただ、楔さえあれば何も失わないという考えだけは、もう持てなかった。


その言葉を受け入れたつもりだった。


だが、前へ進むということが、ばぁちゃんを置いていくことのように思えてならなかった。


王立学校の制服も、荷造りを終えた鞄も、部屋の隅に置いたままだった。

入寮手続きを始められる日まで、もうほとんど時間は残っていない。


それでも俺は、出発の支度に手をつけられなかった。


「レイ」


工房の入口から、セレナが声をかけた。


「父さんが来たわ」


居間へ戻ると、セレナの父親が食卓の前に立っていた。

葬儀の時にも世話になったが、今日は仕事道具を持ってきている。


「家と工房のことだが、本当に残すんだな」


「ああ。売るつもりはない」


迷わず答えた。


ここには、ばぁちゃんと過ごした時間が残っている。工房の炉も、使い込まれた食卓も、柱についた小さな傷も、手放せるものではなかった。


「王都へ行っている間、時々見てもらえないか。炉が錆びないようにして、家にも風を通してほしい」


「任せておけ。工房の中は勝手に触らん。何かあれば王都へ知らせる」


「悪い」


「気にするな。娘にとっても大事な場所だからな」


その言葉に、胸の奥がわずかに温かくなった。


ばぁちゃんは、帰る場所を残しておくと言っていた。


本人はいなくなってしまった。

それでも、ばぁちゃんが守ってきた家と工房は残る。


俺たちが帰ろうと思えば、いつでも帰ってこられる。


セレナの父親へ鍵を一本預けると、ようやく出発することが現実になった。


「お前たちが戻るまで、この場所は俺が見る」


「何年かかるか分からないぞ」


「休みには帰ってくるんだろう」


「そのつもりだ」


「なら、帰るたびに自分で確かめろ。人に任せきりにすると、ばあさんに怒られるぞ」


「違いない」


セレナの父親は工房の方を見てから、俺の肩を一度だけ叩いた。


余計な慰めを口にしなかったことが、ありがたかった。


それから数日、俺たちは止まっていた準備を進めた。


制服、筆記具、訓練用の装備、寮へ持ち込む日用品。ばぁちゃんが繕ってくれた古い布袋には、鍛冶道具の中でも特に使い慣れた物を入れた。


擦り切れていたはずの縁は、丁寧な縫い目で補強されている。


指でそこをなぞると、もうばぁちゃんはいないという痛みと、確かに残してくれたものがあるという温かさが同時に込み上げた。


縫い目の一つ一つに、ばぁちゃんの指が触れたのだと思った。


その瞬間、視界が滲んだ。


葬儀でも、誰もいない部屋を見ても出なかった涙が、止めようとしても溢れてきた。


布袋を胸へ抱え、声を殺したつもりだったが、扉の外には二人の気配があった。

その日も荷造りを手伝いに来ていたセレナと、隣の部屋にいたリリアだ。


セレナもリリアも、部屋へは入ってこなかった。


ただ、俺が泣き止むまで、そこにいてくれた。


出発前日の夕食後、セレナが自分の家へ戻る前に、俺は二人を居間へ呼んだ。


コハクも俺の足元へ座る。


「二人に話しておきたいことがある」


「ばぁちゃんのこと?」


セレナに尋ねられ、頷いた。


最後に交わした会話を、すべて話すことはできない。


時の楔のことも、何度も同じ朝を繰り返したことも、父さんと兄さんのことも、まだ胸の中へしまっておく。


けれど、三人に向けられた願いまで隠す必要はなかった。


「ばぁちゃんは、俺たちに学校へ行ってほしいって言ってた」


二人が黙って俺を見る。


「知らないものを見て、学んで、強くなれって。三人で合格したことを、最後まで喜んでた」


リリアが胸元で両手を重ねた。


「私も、お婆様に制服を見ていただけたことを、忘れません」


「私もよ」


セレナが続ける。


「入学を諦めるなんて言ったら、ばぁちゃんに怒られるでしょうね」


「間違いなくな」


久しぶりに、少しだけ笑えた。


きっと、いつまで暗い顔をしているんだいと叱られる。


「三人で強くなろう」


俺は二人の顔を見て言った。


「ただ卒業するだけじゃない。ここを出る時より、ずっと強くなって帰ってくる。ばぁちゃんに自慢できるくらいに」


「ええ」


セレナは迷わず頷いた。


「三人で強くなりましょう」


リリアの声も、以前よりはっきりしていた。


「そして、胸を張ってここへ帰ってきましょう」


「ああ」


誰もいない椅子へ目を向ける。


もう、ばぁちゃんが迎えてくれることはない。


それでも、ここは俺たちの帰る場所だった。


翌朝、入寮手続きのために王都へ出発する日が来た。


入学式は七日後。

その前に寮へ入り、学校での生活を始める準備をしなければならない。


冬の名残はまだ空気の中に残っていたが、差し込む朝日は以前より暖かかった。

道端には雪解けの水が細く流れ、その脇から小さな芽が顔を出している。


季節も、俺たちを待たずに進んでいた。


荷物を背負い、リリアと二人で家中の窓と戸締まりを確かめる。最後に工房へ入り、炉の前へ立った。


冷えた炉と、壁へ並べた金槌。ばぁちゃんが何度も腰かけて俺の仕事を見ていた椅子。


「行ってくる」


返事はなかった。


それでも、言っておきたかった。


工房の扉を閉め、家の鍵をかける。

リリアも自分の荷物を背負い、俺に続いて玄関を出た。


門の前には、自宅から荷物を背負ってきたセレナと、その父親が立っていた。

父親は預けた鍵を掲げ、任せておけとでも言うように頷く。


俺も黙って頭を下げた。


コハクが俺の隣へ並ぶ。セレナは街道の方へ身体を向け、俺を振り返った。


「行こう、レイ」


「ああ」


俺は隣に立つリリアへ目を向けた。


「行こう、リリア」


「はい、レイン様」


三人で街道へ向かって歩き出す。


数歩進んでから、俺は振り返った。


小さな家と、その隣に建つ工房。


ばぁちゃんと暮らし、セレナとリリアと出会い、《アステル》を始めた場所だった。


ここから出ていくのは、初めてではない。


けれど今度は、帰ってきた時に胸を張れる自分になっていたかった。


父さんのファミリアを追い出された日、俺には何も残っていないと思った。底辺鍛冶師と呼ばれ、この工房で槌を振ることしかできなかった。


今は違う。


隣にはセレナとリリアがいる。

足元にはコハクがいる。

俺たちは三人で王立学校に合格し、自分たちのファミリアを名乗っている。


失ったものは、戻らない。


それでも、これから手に入れられるものまで失ったわけではなかった。


「行ってきます」


もう一度告げて、前を向く。


王都行きの乗合馬車が待つ街道へ向かい、俺たちは三人と一匹で歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。