第62話:三通の通知
訓練場を出たところで、待機していた治療師に呼び止められた。
俺は大丈夫だと言ったのだが、脇腹を押された瞬間、息が詰まった。結局そのまま救護室へ連れていかれ、硬い寝台の上に横になることになった。
治療師の手から淡い光が広がり、熱を持った脇腹へ染み込んでいく。痛みは少しずつ引いていったが、完全になくなるわけではない。
「骨に異常はありません。ただし、かなり強く打っています。数日は無理をしないように」
「分かりました」
答えながら身体を起こすと、脇腹の奥が鈍く痛んだ。
折れてはいない。それだけでも十分だった。
あの巨体にまともにはね飛ばされたことを考えれば、この程度で済んだのは運がよかったのだろう。
寝台の横では、セレナが腕を組んで俺を睨んでいる。
「何度も囮になるからよ」
「他にやりようがなかっただろ」
「だからって、本当に当たることないじゃない」
「好きで当たったわけじゃない」
言い返すと、セレナは呆れたように息を吐いた。
その隣で、リリアはずっと俯いていた。
両手を胸元で握りしめ、治療が終わってからも一度も俺と目を合わせようとしない。
「リリア」
呼びかけると、その肩が小さく震えた。
「申し訳、ありません」
「何がだ?」
「私が、もっと早く気づいていれば……レイン様が傷を負うことはありませんでした」
消え入りそうな声だった。
「それに、最後の付与も、もし失敗していれば……」
「失敗してないだろ」
「ですが――」
「俺が囮になると決めた。リリアは自分の役目を果たした。それだけだ」
リリアは唇を結んだまま、俯いている。
言葉だけでは納得できないらしい。
俺は痛む脇腹をかばいながら、寝台から足を下ろした。
「最後の作戦を考えたのは誰だ?」
「それは……」
「足を滑らせる場所を変えたのも、その直後にセレナの剣へ付与したのも、俺は指示してない」
リリアがようやく顔を上げる。
「俺は、あいつを引きつけただけだ。倒せたのはリリアが自分で考えて動いたからだろ」
「でも、レイン様はお怪我を……」
「怪我をしたから失敗ってわけじゃない。三人とも生きて、魔物を倒した。それが結果だ」
俺がそう言うと、セレナもリリアの前へ立った。
「レイの怪我まで自分のせいにしなくていいわよ。あれは自分から危ない役を引き受けて、本当にぶつかった馬鹿なんだから」
「おい」
「違うの?」
「……否定はしない」
セレナは小さく笑い、それからリリアの肩へ手を置いた。
「それに、リリアがあいつを転ばせてくれなかったら、私は剣を突き立てることもできなかった。火の付与がなかったら、最後まで刃を通せなかったかもしれない」
「レナさん……」
「あれは三人で倒したの。誰か一人の失敗でも、誰か一人の手柄でもないわ」
リリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「はい……ありがとうございます」
その目元にはまだ不安が残っていたが、先ほどよりもわずかに表情が和らいでいた。
救護室を出ると、廊下の先に試験官たちの姿が見えた。
先ほど中断の判断を仰いでいた試験官が、俺たちの戦闘記録らしき書類を手にしている。その横では、主任らしい男が短く指示を出していた。
俺たちに気づいた男は、書類から顔を上げた。
「治療は終わったか」
「はい」
「ならば本日の試験は以上だ。結果は後日、届け出のあった住所へ通知する」
合否をうかがえるような表情ではなかった。
俺たちを褒めることも、失敗を指摘することもなく、試験官は再び書類へ視線を戻す。
ただ、その紙の端に並んだ文字が一瞬だけ見えた。
状況判断。
連携。
そして、連続付与。
それが誰に対する評価なのか、考えるまでもなかった。
「行こう」
俺たちは試験場をあとにした。
宿へ戻ると、入口で待っていたコハクが勢いよく駆け寄ってきた。
俺の匂いを嗅いだ直後、脇腹の辺りへ鼻を寄せる。服に血はついていないが、いつもと違うことは分かるらしい。
「大した怪我じゃない」
頭を撫でてやっても、コハクは納得しなかった。低く鼻を鳴らしながら、俺の足元を離れようとしない。
その日のうちに街へ戻ることも考えていたが、治療師から長時間の馬車移動は避けるように言われている。もともと王都で一泊する予定だったこともあり、帰るのは翌朝にした。
部屋へ入るなり、リリアは寝台を整え、荷物から水筒を取り出した。
「レイン様、こちらへ。お水をお持ちします」
「そこまでしなくても平気だ」
「ですが、治療師の方も安静にと仰っていました」
「歩けるし、もうほとんど痛くない」
そう言って椅子へ座ろうとした瞬間、脇腹が引きつった。
顔に出さないようにしたつもりだったが、リリアには気づかれたらしい。
「レイン様」
「……少しだけだ」
「横になってください」
声音は穏やかなのに、引く気はまるで感じられなかった。
俺は諦めて寝台へ腰を下ろす。
リリアは毛布を掛けると、水を入れた木杯を枕元へ置いた。それでも離れようとせず、寝台の傍らに膝をつく。
「リリア」
「はい」
「まだ気にしてるのか?」
問いかけると、リリアの指先がわずかに動いた。
「……怖かったのです」
しばらく迷った末、リリアは静かに続けた。
「レイン様が倒れられた時、身体が動かなくなりそうでした。もし、あのまま立ち上がられなかったらと思うと……」
「それでも動いただろ」
「はい」
「俺が何も言わなくても、自分で考えて魔法を使った」
リリアは目を伏せた。
「以前、言ったよな。一緒に王立学校へ行きたいけど、ついていけるか不安だって」
「……はい」
「今日、俺たちを助けたのはリリアだ。少なくとも実技でついてこられないなんて心配は、もう必要ないんじゃないか」
リリアは驚いたように俺を見つめた。
やがて胸元で手を重ね、ほんの少しだけ笑う。
「そうであれば……嬉しいです」
「そうなんだよ」
「ですが、合否はまだ分かりません」
「それは俺もセレナも同じだ」
横から声が飛んできた。
いつの間にか窓際の椅子へ座っていたセレナが、頬杖をついてこちらを見ている。
「三人とも受かってるかもしれないし、三人とも落ちてるかもしれない。今考えても仕方ないわ」
「縁起でもないことを言うな」
「じゃあ、三人とも受かってるってことでいいじゃない」
簡単に言って、セレナは大きく伸びをした。
その様子に、リリアも小さく息を漏らす。
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ緩んだ。
翌朝、俺たちは乗合馬車で王都を発った。
揺れるたびに脇腹は痛んだが、セレナとリリアに挟まれ、余計な動きをするたびに二人から睨まれたため、街へ着く頃にはすっかり大人しくなっていた。
それから数日が過ぎた。
雪はほとんど消え、工房の軒先から落ちる雫も少なくなっていた。風はまだ冷たいが、昼間の日差しには微かな暖かさが混じり始めている。
試験が終わっても、俺たちの日常は変わらなかった。
工房で仕事をし、時間を見つけて実技の訓練をする。夜にはレイン塾を開き、試験が終わった今でも役に立ちそうな知識を三人で復習した。
もっとも、集中できていたかと聞かれれば怪しい。
外で足音がするたびに、セレナは窓を見る。
扉が鳴るたびに、リリアの背筋が伸びる。
俺も二人のことを言えなかった。
「手が止まってるよ」
ばぁちゃんの声に、俺は慌てて金槌を振り下ろした。
甲高い音が工房に響く。
「止まってない」
「さっきから同じところを叩いてるじゃないか」
見れば、加熱した鉄は必要以上に薄く伸びていた。
舌打ちしたい気分で炉へ戻す。
「合格してようが落ちてようが、腹は減るんだ。今は手を動かしな」
「分かってるよ」
「分かってる奴は、そんな難しい顔をしないもんさ」
ばぁちゃんは笑いながら、作業台に積もった鉄粉を布で拭った。
その時、工房の扉が叩かれた。
俺とセレナとリリアが、同時に振り返る。
顔を見合わせたあと、俺は金槌を置いて扉へ向かった。
外に立っていたのは、冒険者ギルドの職員だった。手には革の鞄を持ち、胸元には見慣れたギルドの紋章がある。
「ファミリア《アステル》の代表、レイン殿で間違いありませんか?」
「ああ、俺だ」
「王立学校より、所属する受験者三名宛てに書状が届いております」
差し出されたのは、三通の封筒だった。
どれも厚手の紙で作られ、赤い封蝋には王立学校の紋章が刻まれている。
受け取った途端、指先に力が入った。
「確かに届けました。それでは」
立ち去る職員を見送る余裕もなく、俺は工房の中へ戻った。
食卓の上に、三通の封筒を並べる。
俺、セレナ、リリア。
それぞれの名前が、間違いなく記されていた。
「開けるわよ」
セレナは迷わなかった。
封蝋を割り、中の紙を引き出す。素早く目を走らせたあと、その口元が持ち上がった。
「合格」
短い一言だった。
だが、その声には隠しきれない喜びが滲んでいる。
「次はレイね」
「分かってる」
自分の封筒を手に取る。
不思議なもので、試験でアイアンボアと向き合った時より緊張していた。
封を切り、折り畳まれた紙を開く。
冒頭に記された文章を、何度も読み返す。
王立学校入学試験の結果、入学を許可する。
「俺も、合格だ」
息を吐き出した瞬間、身体から余計な力が抜けた。
セレナが俺の肩を叩く。
残る封筒は一通。
リリアはそれを見つめたまま、動かなかった。
「リリア?」
セレナが呼びかけても、返事がない。
膝の上で握られた両手が、小さく震えていた。
「怖いのか」
俺が尋ねると、リリアはゆっくり頷いた。
「私は、本来であればFランクでした。《アステル》に加えていただいたことで、Eランクとして扱われるようになっただけです」
「それは試験と関係ないだろ」
「分かっています。ですが、もし私だけが不合格でしたら……やはり、私には皆様と並ぶ資格がなかったのだと……」
途中で言葉が途切れる。
俺はリリアの前に置かれた封筒へ手を伸ばしたが、触れる直前で止めた。
「一人で見るのが怖いなら、一緒に見るか?」
リリアは封筒と俺の顔を交互に見た。
迷ったあと、静かに首を横へ振る。
「いえ。自分で、開けます」
震える指で封筒を手に取る。
封蝋を割る音が、やけに大きく聞こえた。
中から取り出した紙を広げ、リリアの瞳が文字を追う。
俺もセレナも、何も言わずに待った。
やがて、リリアの目が大きく見開かれた。
「……合格、です」
声が震えていた。
「私も……合格しています」
「よし!」
思わず声が出た。
セレナがリリアへ抱きつき、リリアは驚きながらも通知を胸元へ抱える。
「これで三人一緒ね!」
「はい……はい、レナさん」
リリアの目には涙が浮かんでいた。
その手元から、合格通知とは別の小さな紙が一枚落ちる。
拾い上げると、実技試験に関する講評だった。
そこには、地形を利用した妨害魔法、戦況に応じた術式の切り替え、そして連続付与による仲間との連携を高く評価する、と記されている。
俺はその紙をリリアへ差し出した。
「ほら」
「……はい」
「強制的に上がっただけのEランクじゃない。試験官が、リリア自身の力を評価したんだ」
リリアは講評を見つめた。
涙が一筋、頬を伝う。
それでも今度は俯かず、俺たちに向かってはっきりと笑った。
「私も……お二人と一緒に、王立学校へ行けるのですね」
「ああ」
「三人一緒よ」
奥から、ばぁちゃんの笑い声が聞こえた。
「揃って受かったのかい」
「ばぁちゃん!」
振り返ると、ばぁちゃんは工房の入口に立っていた。
俺たちが頷くと、ばぁちゃんは目尻の皺を深くする。
「そうかい。なら、今夜は少し豪勢にしないとね」
「もっと驚かないのか?」
「三人とも、あれだけやったんだ。受かると思ってたよ」
そう言って台所へ向かおうとしたところで、ばぁちゃんが小さく咳き込んだ。
俺が近寄るより早く、ばぁちゃんは片手を上げる。
「年寄りがちょっとむせただけだよ。それより、買い出しを手伝いな」
「分かったよ」
いつもの調子だった。
だから俺も、それ以上は気に留めなかった。
食卓へ戻り、三通の合格通知を並べる。
一番下には、入学までの日程が記されていた。
入学式は、春の第一月。
入寮手続きは、その七日前から。
王立学校へ行ける。
三人で、同じ場所へ。
ずっと目指してきたはずなのに、その日付を見た瞬間、胸の奥に喜びとは違う感情が生まれた。
春になれば、俺たちはこの工房を離れる。
その日が、はっきりと決まった。




